■節子への挽歌4179:暇なのに時間破産
節子
暇で暇で仕方がないと思っていたら、また時間破産です。
時間破産と過剰な暇は、「心のままにならない」という意味で、私にはほぼ同じものですが、時間破産の嫌なところは、時間がないことです。
「心を失う」、つまり「気もそぞろ」という点では同じなのですが。
「やりたいこと」がまた次々と出はじめたのです。
一方で、もう「やめた」ということもあるのですが、新しいことに、なぜかまた襲われ出しています。
困ったものです。
最近、私が住んでいる我孫子のことに少しまた関わろうと思い出していますが、その関係でもいろいろとやりたいことが生まれてきました。
市役所の人たちにもまた会いだしています。
今日も信頼できる人のところに行ってきましたが、話しているとやりたいことがどんどん出てきます。
もっとも最近は私の知っている人たちもだんだんいなくなってきましたが。
地域活動をする上では、やはり節子がいないことがとても残念です。
節子がいれば、つながりの広がりが全く違ったものになるでしょう。
生活者感覚での広がりの意味は大きいです。
私だけだとどうしても知識や理念に負けてしまうからです。
明日はサロンですが、平日の午後のせいか、集まりが悪かったのですが、今日になって急に参加者が増えました。
仕事を休んで参加するという人までいて、うれしいことですが、いささか忙しくなって、せっかく山口県から東さんが来てくれるのに、ゆっくり話す時間が取れなくなってしまいました。
まさに「心を失いかねない忙しさ」です。
最近の気候の変化も大きいですが、私の繁閑の差もいささか激しくて、困ったものです。
さて今日もまたやらなければいけないことが終わりませんでした。
でもまあ無理をせずに、早く寝ましょう。
時間破産の一番の対策は早く寝ることですから。
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