■節子への挽歌4219:茶飲み話相手の大切さ
節子
今日は明るい朝です。
昨日までの雨でかなりぬかるんでいるでしょうが、畑作業ができそうです。
3週間ほど前から気になっている宿題がありますが、まあここまで延ばしたのだからもう1日くらいはいいでしょう。
そうやって人は大事なことを先延ばしし、結局、やり残すのかもしれません。
困ったものですが、まあそれも定められたことかもしれません。
節子も知っている柴崎さんから相変わらず難しいことを書いたメモメールが届きます。
最近は、日本語論が話題になっています。
柴崎さんは、別に私に読んでほしくて送ってくるわけではありません。
書き続けるために、とりあえず送り手に私を選んでいるだけです。
その意味では、この挽歌と同じなのです。
迷惑ならやめますと時々言ってきますが、布施人生のルールは「拒まない」ということです。
それに時々、読ませてもらうのですが、示唆のあるメールでもあるのです。
たとえば、昨日届いたメールには、山本哲士さんの「コンビビアリティとバナキュラー」の講演に参加したと書いてありました。
どうもそこで、金谷武洋さんの「日本語論」が紹介されたようです。
日本語論や中動態に関しては、以前少し柴崎さんとやり取りしたことがありますが、この種の話をカジュアルにする相手は、残念ながら私にはいません。
しかし、だからといって、専門家と話すだけの知識も意欲もありません。
茶飲み話として、こういう話ができる相手がいないのがさびしいですが、そういう話は四六時中、生活を共にしている伴侶であればこそ適任のような気がします。
伴侶というのは、相手の言っていることを理解しなくてもわかることができると、私は思っているからです。
そもそも人は理解し合うことなどできるはずもありません。
しかし共感することはできるでしょう。
イリイチにしてもポランニーにしても、左脳ではなく右脳で語り合える人が身近にいたことのありがたさを、いまさらながら感じます。
今日はいい日になりそうですが、相変わらず機嫌はあまりよくありません。
困ったものです。
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