■節子への挽歌4220:自然の生命力
節子天気がいい日になるかなと思っていたら、曇ってきました。
庭の鉢などの整理をしているうちに、疲れてしまって、畑はやめました。
人は怠惰に流れるものです。
昨日、庭で野菜を育てようと大きなプランターを買ってきたのですが、トマトを2本、植えたらそれでもう一杯になってしまいました。
植えようと思っていた候補の苗があまってしまいました。
計画性がないとこういうことになります。
置きっぱなしになっていたプランターを見たら、野草の陰にレタスが育っていました。
昨年飢えて結局食用にはならなかったレタスでしょう。
これが育つかもしれません。
これで毎朝のレタスはもう自給できるかもしれません。
自然は、人間の、特に私のような、いい加減な計画性とは違った、大きな摂理に従った計画に沿って世界をつくっているのでしょう。
自然の素晴らしい生命力にいつも感動します。
そういえば、一昨年、台風で根元から倒れてしまったフジが復活し、花を咲かせています。
倒れた後、手入れもきちんとしなかったので、枝が好き勝手に育っていますが、どれかメインを決めて絞り込んでいけば、以前のように咲いてくれるようになるでしょう。
テッセンも咲き出しました。
これも放りっぱなしでした。
琉球朝顔も育ちだしています。
要するに、私が中途半端に手入れしたものはあまりうまくいっていませんが、自然の成り行きに任せたものはうまくいっているということです。
生命とは、そういうものなのでしょう。
私の生命も、自然の摂理に任せるのが一番です。
さてどうなりますことでしょう。
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