■第2回万葉集サロン「万葉に開かれて行く〈見る〉古代」の報告
講座型万葉集サロンの第2回目は、「見る」の呪的意味から、倭大后(天智天皇の皇后)と額田王の歌を中心に、万葉的拡がりを追って、「見る」から「個へ」の誕生を感ずるサロンでした。
10人を超す参加者がありました。
最初に作者不明の歌から入りました。
花細(ぐわ)し葦垣越しにただ一目相(あい)見し児ゆゑ千度嘆きつ
ここでの「見る」は恋につながっています。
古代では、見ることは「愛」や「思い」を伝える行為だったそうです。
そこから、「見る」と言うことのもつ呪詞・寿詞の力と「見るな」の禁忌の話。
黄泉の国に亡き妻を取り戻しに行ったイザナギが、妻を見てしまったために失敗した話。
国土を賛美しての予祝儀礼としての国見歌の「見れば…見ゆ」の話と広がりました、
「見る」ことで、豊かな明日が発現してくるわけです。
それぞれだけでも1回分の内容がある歌ですが、こうしてつなげて読んでいくと、升田さんが意図した「個」の誕生が伝わってきます。
とまあ、こういうように紹介しても、参加されていない人には何が何だかわからないかもしれません。
そもそも講座型サロンの報告に無理があるのかもしれません。
参加者の中に、日本神道の立場から万葉集を読み解いているグループの人が2人参加していましたが、そこでの捉え方と升田さんの捉え方の違いが面白かったという意見もありました。
いつか、神道的立場からの万葉集の話もしてもらえるかもしれません。
多賀城市で、万葉を読みあっている人も参加してくれました。
万葉を読み解く活動は各地で行われているようです。
そこでどんなことが行われているのかにも興味があります。
どうも万葉の心は今なお健在のようです。
升田さんは、文字で読むのではなく、詠んでもらってそれを聞くのがいいといいます。
また理解しようとせずに、直感で受け取るのがいいとも言います。
ということで、いつか、升田さんの万葉集朗誦のサロンもやってみたくなりました。
今回は琵琶奏者が参加していましたので、彼女に琵琶を奏でてもらうのも面白そうです。
ちなみに、升田さんも琵琶を演じますので、升田さんの弾き語りもあり得ます。
「見る」ことと「詠む」こと、そして「言葉」へと、どうしてスタイルが変わってきたのか。
最初の言葉は、歌だったのではないか。
私としては、そんな議論もしてみたかったのですが、急ぎすぎてはいけません。
しかし、次回はますます楽しみになりました。
報告は難しいので、次回からは録画しようと思います。
升田さんが承知すれば、の話ですが。
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