■節子への挽歌4250:複数の視座
節子
雨が降りそうだったのですが、晴れてきたので、畑に行きました。
午前中、やらなければいけないことがあったのですが、やりたくなかったのでそれから逃げただけですが。
逃げ場があることは大切なことです。
湯島は、できれば「逃げ場」の少ない人の「逃げ場」になれないかと取り組んだことがありますが、あまりうまくいきませんでした。
逃げ場は自分で探さねばいけません。
誰かが用意できるようなものではないことに気づきました。
それで一時、サロンをやめようかとさえ思いましたが、考え直しました。
もしかしたら、誰かの逃げ場になっているのかもしれませんから。
ところで、畑で気づいたのは、野草を制覇したと思っていたのですが、とんでもない。
改めて目線を落としてみると、まだまだ野草と篠笹の芽だらけです。
自分の思い込みで畑を見ていると何も見えていないのです。
世間もそうなのでしょう。
節子がいたときは、私は2つには2つの視座がありました。
また、節子は私の逃げ場でもありました。
その意味が最近よくわかります。
午後はやはり雨になりそうです。
「やらなければいけないこと」をやることになりそうです。
お天道様はすべてをお見通しです。
気が進みませんが、仕方がありません。
困ったものです。
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