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2019/05/26

■節子への挽歌4263:いつも最後の場と考えて人と付き合いたい

節子
しばらく、といっても2か月ほどですが、音信不通になっていた人が2人いました。
節子もよく知っている人ですが、最後はちょっと論争の結果の音信不通だったので、少しだけ気になっていました。
2人とも私とは本音で激論する相手だからです。
私は時々、自分では気づかずに、言葉で相手を傷つけることがあります。
その一人からは、何回か注意されています。

ところが、その一人から2日ほど前に電話がありました。
何のことはない、メールアドレスが変わったので、私が出していたメールが届いていなかったのです。

そして、もう一人からは今朝、論文が届きました。
この間、その論文を書くために外部との縁を遮断していたのです。

気にしていたのが報われませんでした。

しかし、その2人はいずれも私と同世代です。
いつ「ころり」といってもおかしくありません。
日ごろから、「それが最後の場」になってもいいような付き合いをしておかなければいけません。

しかし、これは別に高齢者に限った話ではありません。
だれとでも、そうでなければいけません。
明日があることは、保証されていないのですから。

いつも最後の場と考えて人と付き合いたい、と思ってはいるのですが、それを実行するのは難しいです。
ついつい明日があるからなどと思っています。
心しなければいけません。

今日から、改めてそう生きようと思います。

今朝の畑で辿り着いたことです。
畑は人を哲学にしてくれます。

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