■自動車に甘いのは経済成長のため?
87歳の公益財団法人評議員会議長で旧通産省工業技術院の幹部だった人が起こした池袋での母子殺傷事件の遺族が、再度行った運転者に呼びかける記者会見を見ました。
その行動に感動します。
当日は、加害者は任意での事情聴取に出かけましたが、途中、記者団への問いかけにほぼ無言でした。
私には信じがたい情景で、この人は謝罪や反省などとは無縁の人なのだなと感じました。
この事件を契機にして、高齢者の運転免許返納が増えているそうですし、マスコミでも盛んに取り上げられています。
しかしたぶん何も変わらないような気がします。
新聞の投書欄でも、高齢者の運転に関する議論が盛んですが、すぐにまた収まるでしょう。
そして事態は何も変わらない。
数年前に、飲酒運転事故が騒がれて、大きな問題になったことがあります。
その結果、危険運転致死傷罪もできて、処罰が厳しくできるようになりました。
しかし、その後、果たして飲酒運転は減ったのか。
私には相変わらず事態は何も変わっていないように思えます。
なぜなのか。
基本的な発想の問題だろうと思います。
私の感覚では、飲酒運転で殺傷事件を起こした人の免許は未来永劫はく奪すべきだと思います。
高齢者の運転免許は、人によって違いはあるでしょうが、80歳(たとえばですが)で免許停止にすべきだと思います。
年齢で制限するのはおかしいという意見がありますが、だとしたら3歳の子どもにも運転する権利を与えるべきですし、ましてや基本的人権を年齢で制限するべきではありません。
自分はまだ大丈夫だなどというばかげた主張がありますが、今回の加害者もそう思っていたのです。
そう主張する人は、今回の加害者と同じ世界にいる人でしょう。
しかし、なぜそんな簡単なことができないのか。
そこに経済成長志向の思考があるからではないかと私には思えます。
これは、自動車に限ったことではありません。
日本の経済成長を支えている「産業」すべてに言えることです、
その典型はやはり「原発」でしょう。
あるいは「医療」や「教育」もそうかもしれません。
明らかにおかしいと思われることがあっても、「医療」や「教育」に関しては、なかなか事態は変わりません。
さらにそれを支えている文化の問題もあります。
私たちは、いまは生活者ではなく消費者であり、労働者です。
未だに消費者運動や労働者運動が残っていることに、私は大きな違和感がありますが、その運動に大義を与えている経済の論理から言えば、交通事故は「顧客の創造」でもあるのです。
そろそろ「顧客の創造」が経済の出発点であるなどという発想を反転させるべきではないかと思います。
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