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2019/05/25

■節子への挽歌4261:また少し自殺問題に関わることになってしまいました

節子

久しぶりに自殺未遂者の立場から自殺予防活動に取り組んでいる吉田さんと会いました。
突然に相談があるというので、朝から湯島にでかけました。
吉田さんはちょうど81歳になったところです。
数年ぶりですが、まったく変わっておらず元気でした。

しかし活動がなかなか前に進まない。
それで相談に来たわけです。
前にも何回かアドバイスはしていますが、それがなかなか実行できないでいるのです。
その一番の理由は、「恨みや怒り」だろうと私には思えます。

社会を変えようという活動をしている人に共通しているのは、現状への激しい否定的な姿勢です。
そうした「恨みや怒り」が、運動の前進を邪魔しているのです。
ラフカディオ・ハーンの「生首」という短編を思い出します。
目先の怒りを小さな目標に合わせてしまって、大きな目標を見失ってしまう話です。

怒りは、力にもなりますが、怒りにとどまっていては思いは実現しません。
怒りを捨てることから、運動は始めなければいけません。
批判は大切ですが、批判だけでは何も生まれません。

吉田さんは、私と最初に会った頃は、「恨みや怒り」に強く呪縛されていました。
しかもそれが特定の個人に向けられていた。
繰り返し話し合いましたが、なかなか抜けられずに、抜けたと思ってもまた戻ってしまうのです。
一度、公開フォーラムでメインの話し手の一人になってもらいました。
そうなると「批判」だけでは話が完結しません。
一緒に話のシナリオを考えました。

そこから吉田さんは、前向きの活動の焦点を映したように思います。
そうなると逆に私のような存在はノイズになりかねない。
それで自然と吉田さんの足は湯島から遠ざかっていたのです。
便りのないのは良い便りというのは、これまでも何回も体験しています。
よくあることですが、しかしその吉田さんがまた電話してきたのです。

しかし、今回は「悪い話」ではありませんでした。
素直に、どう進めていけばいいのかという前向きの相談でした。
それに、久しぶりに会って、吉田さん自身だいぶ変わっているのを感じました。
もう大丈夫でしょう。

前に進むのであれば、また少しは応援できそうです。
30分の約束が2時間を超えてしまいましたが、具体的な活動に繋がりそうです。
まずは湯島で、吉田サロンをやることにしました。
うまくいくといいのですが。

 

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