■節子への挽歌4233:六道を生きる
節子
3日連続してのかなりの畑作業のためか、身体が痛くなってきました。
腕は虫か何かに刺されてかゆくて仕方がありませんし、
今朝も絶好の畑日和なのですが、どうしようか迷います。
畑をやっていると、仏教でいう「六道」のことが何となく納得できてきます。
人は「十界」を生きていると天台宗は言います。
「十界」とは、人間の心のすべての境地を十種に分類したもので、地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界があるといいます。
私のような普通の人は、前の6つの世界を生きていますが、この6つを「六道」というそうです。
人はこの6つを順繰りに歩いているわけではなく、これらを重層的に生きているというのが、仏教の教えでしょう。
つまり、私の中には、この六道が宿っている。
親鸞は、「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」といった聖人もまた、誰の中にも宿っているといっていますが、私もそれを受け入れています。
そして、「解脱」は望んでいません。
人生とは、その「六道」や「十界」を行き来しているのかもしれません。
人生は、誕生から死までの一直線ではなく、同時に十界を往来する終わりのない輪廻でもあるというのが仏教の考えです。
自分では人間界に生きているように思っていても、実はほかの領域を生きているのかもしれません。
しかし、私たち普通の人間に見えるのは、人の姿だけですので、たぶんどんなところにいようと人間に見えてしまう。
畑で土と格闘し、野草や樹木と格闘し、時に土の中の虫や竹の根っこと会話していると、自分の中にある六道を何となく感じますし、そうした様々な土石を含めた生命と触れ合っていると、生命のつながりを感じます。
説明はできませんが、何となくわかったような気になるのです。
以前も書きましたが、畑作業は殺生の連続であるとともに、生命を育むことでもある。
ゼロサムの世界であるとともに、プラスサムの世界でもある。
時間がゆっくりと進んでいるようで、ちょっと気を抜くと瞬時に事態が変わることもある。
実に豊かな世界なのです。
そして自分の役割もよく見えてくるし、自分の魅力さも思い知らされる。
畑にいると心和んで、時間を忘れるのは、たぶんいつもとは違う時間軸にあって、多重な世界を往来しているからかもしれません。
やはり今朝も畑に行くことにしましょう。
時間によって違っていることも畑の面白さです。
今日はちょっと早目の畑にしましょう。
熱中症のスリルは味わえませんが。
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