■節子への挽歌4264:「まさかのおさむ」
節子
昨日は真夏のような暑さでした。
湯島天神は春の例大祭でしたが、私は葬送シリーズのサロンをやっていました。
帰りに湯島天神に寄りましたが、暑さのせいか、あまり混んではいませんでした。
節子とよく来ていたころに比べると、湯島天神もだいぶ変わりました。
ユカも一緒だったので、いつものように不忍池を通って、上野に出ようかと思いましたが、あまりの暑さにやめました。
そういえば、湯島から上野に向かう裏道もかなり様子は変わってきています。
節子と立ち寄ったお店もだいぶなくなってしまいました。
それにしても暑くて、もう歩いているだけでも疲れます。
しかし、これは暑さのせいだけではないことに気づきました。
歳をとると「生きているだけでも疲れる」のです。
それを忘れるために、認知力を低下させる。
つまり、認知症は生きるための自己防衛策なのではないかと思います。
だとしたら素直に受け入れなければいけません。
2月から取り組んでいた「認知症予防ゲーム」のDVDが完成しました。
中心になった人が頑張ったので、とてもいいものができましたが、あんまり頑張ったので、私は途中で脱落しました。
しかし動画の中には私も出ています。
節子が見たら、「まさかのおさむ」だと笑うことでしょう。
「生きているだけでも疲れる」などというのを聞いたら、やはり「まさかのおさむ」と思うでしょう。
最近、「まさかのおさむ」が増えてきています。
成長したのか、脱落したのか。
「本来のおさむ」なら、「成長」に決まっているというでしょうが、最近はそうも言えなくなっています。
困ったものです。
さて今朝も畑に行こうと思います。
熱中症を計画して、ちょっとだけ。
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