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2019/05/03

■節子への挽歌4222:懐かしの西部劇

節子

昨夜はテレビの西部劇を見てしまいました。
大学生の頃に観た「遠い喇叭」をテレビで放映していたのです。
節子はよく知っていますが、節子に会った頃は私はまだ西部劇ファンでした。
学生の頃は、一時、映画評論家になりたいと思った時期もあるくらいで、たぶん大学よりも映画館にいた時間の方が長かった時期もあります。
映画を観る合間に、西部劇(これも映画ですが)もよく観ました。

「遠い喇叭」はよくある西部劇の凡作ですが、主演の2人の名前はなぜかはっきりと覚えています。
いずれもそう有名な俳優ではありませんが、美男美女でした。
当時の西部劇は、勧善懲悪の娯楽だけの作品で、だいたいにおいてパターンは一緒でした。
いささかややこしい映画を観た後に、気分転換にはもってこいの作品が多かったのです。

節子と一緒になってから、西部劇はあまり観なくなりました。
節子は、西部劇のように人が殺し合う場面が好きではありませんでしたし、そもそも映画がそう好きではなかったのです。
最初の頃は、いろいろと私の好みで付き合わせてしまいましたが、次第に映画にはあまり行かなくなりました。
節子が好んだのは、美術展や音楽会でした。

一緒に生活する期間が長くなるにつれて、私たちが行く場所も変わってしまいました。
最後に一緒に観た映画は何だったでしょうか。
記憶に残っているのは「永遠と一日」ですが、少なくとも西部劇ではありませんでした。

西部劇も、その後、内容が大きく変わってしまいました。
いや、西部劇だけではなく、映画は私が大学生だったころとは全く別のものになってしまった気がします。
世相を反映しているのかもしれませんが、面白いですが、楽しくはありません。
しかし、それに慣れてしまうと、昔の映画が全く退屈に感じられてしまうのです。

そうでない映画もありますが、「遠い喇叭」はやはり退屈でした。
ただただ懐かしさで観ていた感じです。

節子がもしいたら、昔を懐かしみながら観られたかもしれませんが、そういう昔話もなく、ただただ退屈しながら感慨にふけりながら最後まで観てしまいました。
もっとも、節子はこの映画は観ていません。

 

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