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2019/05/04

■節子への挽歌4224:「明日でもいいか」「来世でもいいか」

節子
この連休中は、世間もお休みなので、たまりにたまった宿題や課題を消化しようと考えていました。
たとえば、ホームページの更新がかなり遅れていて、この連休中に解消しようとか、友人との約束をさぼっていたのでそれを何とか対応しようとか、いろいろと思っていたわけです。
しかし、10日もあると、まあまだいいか、まだ時間があると、ついつい油断してしまい、結局、連休中にやろうと思っていたことは、今もって何一つできていないのです。
困ったものです。

今日こそ動き出そうと思っていますが、まあ私のこれまでのことを考えると、今日もまた、「明日でもいいか」と延ばす可能性が高いです。
実に困ったものです。

しかしこれは、毎日毎日の生活のことだけではありません。
人生もまた似たようなものかもしれません。
来世を想定して生きている私には、「明日でもいいか」と同じように「来世でもいいか」と考える道があるのです。

なぜこうなるのかと言えば、何が大切なのかの価値基準が私の場合ちょっとずれているからかもしれません。
これは節子からも時々指摘されていたことです。
自分の気持ちに素直に従うこと。
これが私の行動基準なのですが、これはそう簡単ではありません。
いろんな意味で常識や価値観を私も吹き込まれて大きくなったこともあって、この行動基準に従っている、世間の常識や価値観とのずれが起きて、ストレスが発生します。
節子がいた時には、それを節子が緩和してくれていましたが、いまはそれができません。

こんなにストレスフルな人生になるとは思ってもいませんでした。
人生はなかなか思うようにはいきません。
昨夜も真夜中に目が覚めて、眠れなくなりました。
おかげで本が1冊読めました。
「主語を抹殺して男」。
日本語学者三上章の評伝です。

今日は畑仕事の予定ですが、寝不足で倒れないようにしなければいけません。

 

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