■節子への挽歌4240:今日も節子から元気をもらえるでしょう
節子
節子がいなくなった後、朝、起きてパソコンに向かうと自然と頭の中に書くことが浮かんできて、挽歌が書けました。
しかし次第に「自然」には浮かんでこなくなり、さて、何を書こうかと思うようになりました。
節子が、もう私の内部に住み込んでしまったからかもしれません。
あえて話しかけなくても大丈夫、というわけです。
あるいはもう節子がいなくなったのかもしれません。
つまり「成仏」ということです。
いずれなのかはわかりませんが、まあいずれにしろいいことです。
今朝も、パソコンを開いて、ネットを確認し、さて挽歌を書こうとしています。
何を書こうか、と思ったのですが、そういえば、以前は、挽歌を書こうと思わなくても自然に書き出していたなと思ったのです。
それに番号を追いつかせるために、最近は毎日複数の挽歌を書こうとしています。
これって本末転倒のような気もしますが、やはり毎年の命日には番号を合わせておきたいと思っていますので、本末転倒であろうとなかろうとそうするつもりです。
最近、節子の夢を見ることはなくなりました。
たまには出てきてもいいと思うのですが、出てきません。
だからといって、私の生活から節子が消えたわけではありません。
節子から元気をもらっているのは、今も毎日です。
今日も節子から元気をもらいながら、1日を過ごそうと思います。
気持ちの良い朝ですから、きっと良い日になるでしょう。
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