■節子への挽歌4274:初夏を感じさせる青い空の朝
節子
もう6月です。
あの年の6月を思い出すとまた気が落ち込みそうなのですが、今朝は気持ちのいい朝です。
昨日から読み出した「国家に抗する社会」はほぼ読み終わりました。
朝起きて、畑に行こうと思ったのですが、もう少しで読み終わるので、ついつい読んでしまい、畑に行きそこなってしまいました。
「国家のない社会」が存在する、そのことを今はみんな忘れています。
民族自決などという、ばかげたスローガンにみんな洗脳されてしまっているわけです。
一人の人間として、仲間と一緒に暮らすことの幸せはもう取り戻せないのかもしれません。
いささかのさびしさを感じますが、そう考えると、生きていることもそう魅力的なことではない気がします。
いささか唐突ですが、今朝、起きた時に感じたのは、節子の人生は幸せだっただろうかと言うことです。
そして、その幸せに、私は少しは荷担できただろうかと思いました。
なぜそんなことを思ったかはわかりませんが、突然に心に浮かんできました。
それほど今日は、気持ちのいい朝です。
節子の人生は、少なくとも私の人生よりも幸せだったと思います。
最後まで、愛されていたからです。
愛される人たちに囲まれて人生を全うした。
そういう生き方ができる人は、そう多くはないでしょう。
なんだか自己正当化のような気もしますが、そんなことを考えながら目が覚めて、本を読みました。
この初夏を感じさせる青い空の朝が、私にはちょっと苦手なのです。
あの年のことを、どうしても思い出させられるからです。
昔は大好きだった夏が始まります。
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