■節子への挽歌4227:晴耕雨読の1日
節子
畑の開墾作業は時間を忘れさせます。
今日もちょっとだけやってこようと思ったら、気が付いたら2時間もやっていました。
やっている時はそう感じませんが、やめてさて家に戻ろうとすると疲れ切っていることに気づきます。
自転車で畑まで行っているのですが、帰りに自転車はふらふらして危ないのです。
なにしろ45ℓの袋に刈り取った草を思い切り詰め込んで、自宅まで持って帰ってきているので、大変なのです。
野菜の手入れよりも、私が好きなのは野草を刈り取って、土中に広がっている竹の根っこを切り取ることです。
かなりの力仕事です。
電動農機は一切使わないので、頑張らないと草の成長に間に合わないのです。
今日は、草刈り作業をしていたら、通りがかりに人から、きれいになりましたね、と声をかけられました。
実際にはあんまりきれいにはなっていないのですが、毎日ここを散歩している人から見れば、1か月前に様子と比べてもらえるので、褒めてもらえるわけです。
しかし、そういってくれる人が一人でもいると楽しさもまた高まります。
開墾作業は何が楽しいかは前にも書きましたが、楽しいだけではなく、いろんなことに気づかされます。
今日は、科学技術の恐ろしさと北方狩猟民の熊の神話のつながりを思い出させられたのです。
帰宅して、中沢新一の「熊から王へ」を読みました。
ちょうどいま読み直しているところだったのですが、そこでイスラムの自爆のことまで狩猟民の神話に予告されていることに気づきました。
午前中は晴れていたのに、午後から雨が降りそうな天気に変わりました。
晴耕雨読の1日になりました。
ところで、今日はやぶの中で草刈りをしていて、首にチクッという痛みを感じました。
畑作業をしているとよくあることです。
先日はアリにかまれましたが、アリといっても最近は猛毒を持ったありもいるようなので、油断はできません。
今日はアリではないのですが、いまもまだチクチクします。
調べてもっらても外傷らしいものないのですが、4時間たってもまだ治りません。
畑作業は、ある意味での自然への攻撃ですので、この種のダメッジは当然受けることになります。
これもまたとても大切なことなのです。
畑作業から学ぶことは多いです。
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