■節子への挽歌4249:サロンのこと
節子
今朝は雲で覆われた朝です。
雨になりそうです。
耕した畑に種を蒔いたり苗を植えておけばよかったのですが、間に合いませんでした。
サロンをまたいくつか企画しました。
「日本書紀」「水俣」「東北被災地」というテーマを、それぞれの友人に頼みました。
話し手も全く違うタイプの3人なので、それぞれ面白いサロンになるでしょう。
サロンを続けてきたおかげで、私の世界は豊かになってきています。
サロンがこうして私の生活の一つの基軸になったのは、やはり節子のおかげです。
湯島を開いた時に1週間続けたサロンは、節子のおかげで基本ができたのだからです。
最初は節子はサロンが重荷だったようですが。
2か月ほど前に、もうサロンを辞めようかと思っていた時期があります。
いろんな意味で疲れてしまっていたこともありますが、本当に意味があるのだろうかとも思ったからです。
その後、何人かの人から、サロンを辞めないでよかったといわれました。
だからといって、その人が毎回来るわけではありません。
しかし、どうも「サロン」が存在することに意味があるようです。
そのことに改めて気づきました。
それは私にとっても同じです。
考えてみると、サロンがあったおかげで、私は節子がいなくなった後、戻ってこられたのかもしれません。
いまもちょっと気になっている人が何人かいます。
フェイスブックで、いささか危ういメッセージを書いてきている人もあります。
心配してのコメントも書き込まれていますが、その人もサロンに時々来る人です。
フェイスブックではなく、サロンでそうした本音が自由に語れるようになるスタイルも何回か試みましたが、うまくいきませんでした。
サロンのあり方も、もう少し工夫する必要があるかもしれません。
改めてサロンを少し工夫してみようかと思います。
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