■節子への挽歌4223:生きて存在しているだけでいい
節子
今朝のテレビで、数日前に放映された「「だから ふたりで~JR福知山線脱線事故~」が再放映されていました。
早く目が覚めてしまい、見るでもなく見ていましたが、引き付けられてしまいました。
福知山線脱線事故は14年前に起こった脱線事故で、107人の人が亡くなりました。
その事故で、最も犠牲者が多かった2両目で一命を取り留めた小椋聡さんの、その後のドキュメントです。
小椋さんは、自らが生き残った意味を見出そうと、犠牲者の最期の様子を調べ、遺族に伝える活動に取り組むのですが(小椋さんはそれが生き残った自分の使命だと感じたといいます)、夫を支えようとその活動に加わった伴侶が、事故の凄惨さを知り、心に深い傷を負い、動けなくなってしまうのです。
小椋さんは、その後、会社を辞め、田舎に転居し、いま妻を見守る生活をしています。その小椋さんが言った言葉が、言葉に響きました。
「妻は生きて存在しているだけでいい」。
ちょっと不正確かもしれませんが、そこに「生きる価値」のすべてが示されています。
「生きる価値」を問う人がいます。
私にはまったく無意味な問いですが、問うてはいけないこともあります。
「生きる価値」は、まさにそうした問いだろうと思います。
つまり、「生きる」ことが価値なのです。
私はこのことを節子から教えてもらいました。
にもかかわらず、最近、生きることに誠実ではなくなってきているのではない、と、小椋さんの言葉を聞いて気が付いたのです。
生きることに誠実であることは私の信条だったはずです。
心を入れ替えなければいけません。
今日こそ、気持ちのいい朝です。
陽光が、とてもあたたかく、明るいです。
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