■節子への挽歌4267:よく働きよく遊ぶ、という豊かな生活
節子
風の朝です。
暑さはヤマを越したようです。
生活のリズムがなかなかつくれません。
昨日、節子の姉から電話がありました。
敦賀に住んでいますが、暑中お見舞いの電話でした。
暑い中を利賀の「そばまつり」に夫婦で行ってきたそうです。
節子は行ったことはありませんが、私は節子がいなくなってから連れて行ってもらったことがあります。
挽歌にも書いたことがあるような気がします。
姉夫婦は2人とも働き者です。
いつも、お米や野菜を送ってきてくれます。
しかし、高齢になって、米づくりは今年でやめることにしたそうです。
農作業は大変なので、姉は腰が曲がってきたそうです。
夫婦ともども根っからの「善人」です。
よく働きよく遊ぶ、という、とても豊かな生活をしています。
金銭は、人との付き合いを豊かにするためにあるという感じで、無頓着です。
農業をしっかりとやっている人たちは、いわゆる「生存的安心感」があるので、お金への頓着はないのかもしれません。
その生き方を、節子はいつも、「あの夫婦はお金もないだろうに豊かに人生を楽しんでいる」と言っていました。
姉夫婦から、私が学んだこともたくさんあります。
2人はまさにお天道様に従って生きているような気がします。
だからと言って、苦労がないわけではありません。
しかし、傍から見ると大変な「苦労」も、2人は自然に受け入れているのです。
人間はどうして今のような貧しい生き方になってしまったのか。
今の自分たちの生き方の貧しさをうけいれたくないために、昔の人の暮らしは貧しかったと思いたい人が多いでしょうが、歴史上、もしかしたら、いまほど貧しい時代はないのかもしれません。
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