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2019年6月

2019/06/30

■節子への挽歌4319:川筋の熱いおんなたち

節子

昨日は12時間ぶっ通しで話し合い続けていました。
以前は毎日がそうでしたが、いまはやはり体力がついていきません。
帰宅してダウンしてしまいました。
お風呂に入るのがやっとで、すぐ寝たのですが、1時ころ目が覚めてしまい、どうも身体に違和感があります。
たぶん12時間冷房の中にいたためでしょう。

私は自然の暑さ寒さは大丈夫ですが、冷房や暖房は苦手なのです。
特に最後の3時間は冷房が効きすぎた「古拙」で食事をしていたのが答えたようです。
ユニクロの薄いTシャツだったので、身体が冷えすぎました。

もっともその3時間は、前には自称「川筋の女たち」がいて、その熱い話を聞かされていましたので、その熱気で寒さへの気づきがなかったのですが。
2人は実績をしっかりと持っている女性起業家です。
おひとりは初対面でしたが、大宰府の方です。

大宰府と言えば、私が8世紀頃住んでいたかもしれないところです。
まあそのせいで初対面なのに初対面と思わずに昔から知っているような気がしました。
そういう勘違いを私はよくしてしまうのです。

ところで、話していたら、「私たちは川筋のおんな」ですからと笑いながら言うのです。
常識のない私は、どういう意味か正確には理解できませんでしたが、おふたりと話しているうちに、この潔さとやさしさと強さと、さらに弱さを兼ね備えた女性たちのことを「川筋のおんな」というのだろうと勝手に定義づけました。
2人ともこれまでの活動を踏まえて、さらに次の展開に向けて始動しだしているようです。
その一つには、すでに私は巻き込まれているようなのですが。

ところで、今朝気がついたのですが、昨日の2つのサロンと最後の川筋のおんなたちとの話し合いの3つが、奇妙にシンクロしているのです。
「お墓」「被災地ボランティア」そして「家事」、まったく違うテーマでしたが、社会構成原理の大きな転回にいずれもつながっていました。
私の社会認識、「システム」から「表情ある個人」への視座の転回です。
お天道様のお計らいの絶妙さには、いつものように驚かされます。

生きている人間にまたお会いできました。
現世から去りがたくなりそうで、困ったものなのですが。

 

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2019/06/29

■節子への挽歌4318:自然からのメッセージ

節子

いよいよ梅雨です。
どんよりした梅雨空で、心が萎えます。

自然の表情をいつも豊かですが、同じ自然の風景が違った思いを生み出します。
梅雨空に安堵した時もあれば、今日のように梅雨空で気が萎えることもあります。
同じ風景が、気持ち次第で違ったメッセージを送ってくる。

この15年、どれほどたくさんの自然からのメッセージを受けたことでしょうか。
もっとも節子を喪ってしばらくは、自然にも無反応でした。
季節が感じられなくなり、自然への関心も弱くなりました。
季節の変化を感覚的に実感できるようになったのは最近かもしれません。

今日は典型的な梅雨日です。
不安を感じさせて出かけたくない気分ですが、今日は朝から夜まで目いっぱい人との約束があります。
朝のミーティング、午前のサロン、午後のサロン、遠方からの来客、さらに夕食の約束まで。

思えば、節子が元気だったころは、こういう毎日でした。
時々、そういう生き方を後悔することがあります。
なぜもっと節子と一緒の時間を大事にしなかったのか、と。

自らの生き方を問い直し改めることは、とても難しいことです。
いまの生き方も、また振り合える時があるとしたら、後悔するかもしれません。
でも今日は、ちょっと普段とは違う、予定が埋め込まれた1日です。
自然が見えない1日にならないようにしないといけませんが、たぶんそうなるでしょう。

自然を感じ、自然からのメッセージを受けられるのは、とても豊かなことかもしれません。
厚い梅雨雲に、なぜか節子を感じます。

 

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2019/06/28

■節子への挽歌4317:メダカがまた死んでしまいました

節子
メダカがまた死んでしまいました。

節子がいたころ、メダカも魚もみんな長生きでした。
気のせいかもしれませんが、節子がいなくなってから、わが家ではメダカも金魚も、みんな早死にしてしまうような気がします。
庭の池がどうなっているかは、まだ確認もできていませんが、魚が見えたことはありません。
もう生き物を飼うなということでしょうか。

そこにいるだけで「元気」をもらえる場があります。
そういう場をつくりたかった。
むかしは、家の中を川が流れることを考えたこともありますが、そういう思いをともかく実現するという強い思いを持つタイプではなく、結果的には私の夢はほとんど実現していません。

しかし、ちょっとだけできたところもあるかもしれません。
今日も数年ぶりでメールをくれた人が、サロンはぜひ続けてくださいと書いてきました。
湯島はたぶんいまや「みんなで育てた場」になっている。

しかし、その湯島の部屋でも、メダカはなかなか育たない。
湯島で育っているのは、もしかしたら霊的ないのちかもしれません。
節子がいたころは、なぜかハトやカラスまで部屋に入ってきたのに、最近はハトも寄り付かなくなってしまっています。
湯島で同居してくれる生き物はいないでしょうか。

 

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■「話す(放す)社会」と「語る(象る)社会」

最近、改めて気になることがあります。

フェイスブックでは、いろんな人が巻き込んでくれるおかげで、いろんなFBコミュニティ(グループ)に登録させてもらっています。
そのおかげで、いろんな人の発言を目にすることが多くなったのですが、その多くが「話す」ことで終わっているような気がしてなりません。
ツイッターがその典型だと思いますが、自らの思いを「放つ」ことで満足する人が多いようです。
私も時に、自分の思いを放ちたくなり、放つことも多いのですが、放した後、つまり話した後いつもちょっと後悔します。

話すとは「放つ」ことで、完結した行為。
むしろ問題に関する自らの思いは弱まりやすい。つまり「消費的な行為」。
語るとは「象る」ことで、創造的な行為。
それによって、新たな思いを背負うことにあり、思いは強まりやすい。つまり「創造的な行為」。
そういう整理をすることもできるように思います。

 それに、世の中にヘイトスピーチが多いですが、話すことはどこかでヘイトにつながりかねません。
私が国会デモに行けなくなったのは、あの空間に憎しみに支えられたヘイトを感ずるようになってきたからです。
もちろん、時には「怒り」が大きな力になることはあります。
しかし、日常的に怒りや思いを放っていたら、そこで思いが消費される恐れもある。

 ツイッターはもちろんですが、フェイスブックにも怒りや不満を放す(話す)コメントが多いのが、私には気持ちがよくありません。
それに、安倍首相の批判をする人と安倍首相とは、言動がとてもよく似ているような気もします。

 こんなことを書くと、また「批判することを否定するのか」と叱られそうですが、批判はっても大切だと思っています。
「怒り」もとても大切です。
ただ「怒りの活かし方」や批判のルールもあると思います。
怒りも批判も新しい価値を生みだすことにつなげていきたいと思っています。

 私の基本姿勢は、批判の矛先に自分を含めるようにしています。
それでは勢いが出ないだろうと思われるかもしれませんが、私の場合は逆です。
なぜなら批判することは常に自らの生き方を問い直すことと無縁ではないからです。

言い換えれば、批判によって、自分の世界が広くなる、あるいは新しい地平が象られていく。
語るとはそういうことだろうと思っています。

 私の投稿は、いつもそんな思いで書いています。

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2019/06/27

■百田尚樹現象

家族みんながお世話になっている、いしど歯科クリニックから帰ってきた娘が、私にと石戸さんから雑誌を預かってきました。
雑誌は、64日号のNewsweekでした。
特集が、「百田尚樹という社会現象」。表紙は百田尚樹さんの顔。

百田さんには大変失礼なのですが、この顔を見たとたんに拒否感が生じます。
むかし私は朝日新聞社のアエラを購読していましたが、表紙に麻原彰晃の写真が載ったのを契機にアエラの購読をやめました。
雑誌や書籍の表紙は、そのくらい私には大きな影響を与えます。
ですから、石戸さんからでなければ、私はこの雑誌を読むことはなかったはずです。

なぜ石戸さんは私にこの本を届けたのかは、すぐ察しがつきました。
前回私が治療に行った時に、石戸さんの息子さんがノンフィクションライターとして活躍していることを初めて知ったのです。
たぶんどこかに石戸諭さんの寄稿が載っている。
そう思って雑誌を開くと、その特集記事が石戸諭さんによってまとめられていました。
19ページにわたる大特集です。
最後には石戸さんによる百田さんへのインタビューもありました。

正直に言えば、百田さんの記事を読む気にはすぐにはなれませんでした。
しかし、石戸さんのデビュー作『リスクと生きる、死者と生きる』のまえがきとあとがきを読んだ時に、その誠実な人柄が感じられたので読むことにしました。
読み出せるまで1日かかりましたが。
ただ、なぜ石戸さんが百田さんを取材しようと思ったのかにも関心がありました。

読み応えのある特集記事でした。
石戸さんの取材姿勢は、冒頭の「百田現象から見えるのは、日本の分断の一側面であり、リベラルの「常識」がブレイクダウン(崩壊)しつつある現実である」という文章で理解できました。
そして、「百田尚樹とは「ごく普通の感覚を忘れない人」であり、百田現象とは「ごく普通の人」の心情を熟知したベストセラー作家と、90年代から積み上がってきた「反権威主義」的な右派言説が結び付き、「ごく普通の人」の間で人気を獲得したものだというのが、このレポートの結論である」と石戸さんはまとめています。

「普通の人」という表現には違和感がありますが、その趣旨には共感できます。
ただ、「普通」という言葉は、思考を停止させるマジックワード的効果があるので気をつけなければいけません。

それはともかく、石戸さんの誠実な報告には共感したり気づかされたりすることも多かったのですが、この現象、あるいはリベラルな常識の崩壊(私はむしろ「保守」の崩壊と考えています)が、何をもたらしていくのかの展望がもう少し知りたくなりました。
これからの石戸さんの発言に耳を傾けたいと思います。

石戸さんは記事の最後にこう書いています。
長いですが、引用させてもらいます。
とても大切なメッセージだと思いますので

リベラル派からすれば、このレポートは「差別主義者に発言の場を与えたもの」と批判の対象になるかもしれない。だが、そうした言説の背景にあるもの、異なる価値観を緩やかにでも支える存在を軽視すれば、あちら側に「見えない」世界が広がるだけだ。

リベラルが「百田尚樹」を声高に批判しているその裏で、「ごく普通の人たちの憤り」が水面下で根を張りつつある。

「敵」か「味方」かが第一に闘われるようになるとき、分断は加速する。二極化の先にあるのは、先鋭化した怒りのぶつけ合いだ。問題は残り続ける。不都合な現実から目を背けてはいけないのだ。

いささか目を背けがちにしている自分を反省しました。
と同時に、先日の岡和田さんのサロンで、「チッソは私であって」という考えに関連して、岡和田さんから「佐藤さんは、安倍首相は私であった」という考えも受け入れるのですか?」と鋭く追及され、つい「はい、少なくとも否定はできない」と応じてしまったことを思い出しました。

私は映画「永遠のゼロ」も観ましたが、いささか複雑な気分でした。
百田さん原作と言われなければ、もしかしたら受け入れられたかもしれません。
私自身、思い込みの強い人間ですので、百田さんや小泉さん(親子ともども)や野田さん(元首相)や安倍さんの言動には、生理的に拒否感があるのです。
それぞれに理由は違うのですが、百田さんの場合は、その不誠実さ(ヘイト発言に象徴されています)が私には決して受け入れられないのです。
そうした偏狭さの危険性を、石戸さんはメッセージしてくれているように思いました。
「敵」か「味方」、「嫌い」か「好き」かに呪縛されていると、世界は見えなくなります。
そういう人をたくさん知っているのに、自分もそうなっていることに気づかされました。

百田さんの書籍を読む気にはまだなれませんが、映画「永遠のゼロ」をもう一度、観てみようと思います。
併せて、石戸さんの『リスクと生きる、死者と生きる』もきちんと読んでみようと思います。

若い世代から学ぶことはたくさんあります。

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■節子への挽歌4316:年に一回の山形便り

節子

今日から我孫子も梅雨に入り、しばらく雨天が続くようですが、今朝は晴れ渡った気持ちのいい朝です。
午後から天気は変わるようですが、相馬霊場歩きはしばらくお預けのようです。

昨日は山形の一大さんからサクランボが届きました。
とても甘くておいしいです。
節子にもお供えしました。

夕方電話したら、彼はまだ仕事で、奥様が出ました。
しかし、その前に電話のナレーションで、「詐欺防止のためにお名前を言ってください」と言われました。
「我孫子の佐藤修です」というおすぐに奥さんが出て、私は詐欺電話にかかりやすいので、と謝ってきました。
失礼ながら、「最近は大変ですね、わが家にも多いですよ」と笑ってしまいましたが、そこから話しやすくなりました。
私は電話が苦手で、会ったことのない女性との電話は特に苦手ですが、最初の導入ナレーションのおかげで親しみを感じたのです。
ちょうどサクランボを受けとった時に、孫が来ていて、ひとつ食べるなり、近くのスーパーのサクランボとは全然違うといっていたそうですが、そのことを伝えました。

朝、パソコンを開いたら、一大さんからメールが入っていました。

年に一回の山形便り、楽しんでいただいたようで、こちらもありがたく感じております。
昨年、実をつけすぎたのか、今年は数がならない年だったそうですが、甘味と酸味のバランスは例年にない良さが出るはずという観測がなされておりまして、お孫さんのお話から考えますと、その観測があたっていたのかなと、産地の居住者として、安心し、さらに嬉しさも感じております。
ありがとうございます。

いかにも一大さんらしいです。
つづいてこんなことが書かれていました。

私も今年、50歳になり、後輩に見聞を広げる機会を提供すべく、出張などは若手を派遣するようにしていることもあり、なかなか上京出来ずにおります。

あの一大さんが50歳、そして後輩を育てている。
感慨深いものがあります。
一大さんとはもう10年以上会っていません。

節子は一度だけ一大さんに会っていると思います。
いつか山形には節子と行こうと思っていたのですが、それが実現できなかったのが残念です。

雨が降り出す前の朝のうちに、今日は畑に行こうと思います。

 

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2019/06/26

■認知症予防ゲームの解説DVDが完成しました

ほっとスマイルプロジェクトというのがあります。
世界中に「ほっとスマイル」を広げたいという思いで数年前に生まれたプロジェクトです。
いまは毎月、湯島で交流会をやっています。

そこで高林さんの「みんなの認知症予防ゲーム」をもっと広げていくために、高林さんのこれまでの実践の集大成としてのゲーム解説DVDを制作しようということになり、実行委員会が立ち上がり、先月、無事完成しました。
先日、その打ち上げを行い、今月でその実行委員会は解散します。

Img037

しかし、ほっとスマイルプロジェクトの交流会はこれからも毎月開催します。
8月には久しぶりに、国際箸学会で開発した「箸技ゲーム」のサロンも開催します。
主催はほっとスマイルプロジェクトです。

認知症予防ゲームの解説DVDに関心のある方はご連絡ください。
 
いつかまた、このゲームに長年取り組んできた高林さんにもサロンをやってもらおうと考えています。

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■節子への挽歌4315:私にとってのドラえもん

節子
ようやくリズムを取り戻せそうです。
TO DO LISTは一向に減らず、相変わらず不義理を重ねていますし、気分的なすっきり感は戻ってきてはいないのですが、動き出せそうです。

最近、娘にいろんなことを頼むようになってきていますが、昨日、ユカから「私はドラえもん」ではありません、と言われました。
そこでハッと気づいたのですが、節子は私にとってのドラえもんだったのかもしれません。

ドラえもんと一緒だと、のび太でも豊かな生活ができます。
私が、わがままに、財布も持たずに生きていられたのは、節子というドラえもんがいたからかもしれません。
何かあればすべて節子に「やっておいてね」と一言言えば、良かったのです。

もっとも、節子はそうしたことをきちんとやってくれていたわけではありません。
ミスもあれば、やってくれていないこともありました。
もちろんやれないことも多かった。

にもかかわらず、私には困ったときには節子に頼めばいいという「意識」があったのです。
頼んだところで、解決しないことはわかっていても、そういう風に考えられていたのです。
ですから私は先のこともお金のことも、ほとんど意識せずに生きてこられたわけです。

3人寄れば文殊の知恵という言葉がありますが、信頼し合える2人が手を取り合えばどんな風にも吹き倒されないのです。

そのドラえもんがいなくなった。
にもかかわらず、この12年、良く行き抜けたものです。
ドラえもんが未来に還った後も、のび太がうまく生き延びたのと同じです。

節子はドラえもんだった。
そう考えるといろんなことが納得できます。
節子は怒るかもしれませんが。

 

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2019/06/25

■湯島サロン「石牟礼道子から水俣を考える」報告

岡和田晃さんの「石牟礼道子という表現運動」(河出書房新社版ムック『石牟礼道子 さよなら不知火海の言霊』収載)を切り口にしたサロンには、11人の参加がありました。

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最初に参加者それぞれのこのテーマへの関心が簡単に表明されました。
みんなそれぞれに「水俣」への思いがあると思いますが、私も含めて、やはり水俣は過去のことになってしまっていることを感じました。

岡和田さんのメッセージは、一言で言えば、石牟礼道子さんは「殿堂入り」したが、水俣病そのものは過去の話として忘れられようとしている。それでいいのか。
そして、水俣病をめぐる「体験」や「闘争」を、「もやい直し」やスピリチュアルなサブカルチャーへと進めるのではなく、いままさに蔓延しだしている差別問題に目を向ける契機にし、改めてその意味を問い直すべきではないか、と。
私にはそう受け取れました。
論文では、石牟礼文学を脱政治化することへの懸念も示されていますが、それは同時に「政治」とは何かという問いかけのようにも感じていました。

サロンは、岡和田さんの問題提起の後、ゼミ形式で進められました。
ところが、最初に問いかけられたのは私でした。
岡和田さんの論文への感想です。
思ってもいなかった問いかけに、私は意表を突かれて、しどろもどろで応じてしまいました。
いつも気楽にみんなの話を聞いていたのですが、今回はどうも成り行きが違いました。

岡和田さんの問いかけに、私は水俣の語り部だったはずの石牟礼さんが主役になってしまい、水俣の生々しい現実がむしろ見えなくなってしまっていることに気づかされた。
しかし、自分が何をすればいいかの答えがなかなか見つからなかったと答えました。
私にとって、理解するということは意識や行動が変わるということですが、どう変わればいいかが見つからなかったのです。
それで、水俣は自分にとっていったいなんなのか、を改めて考えようと思いました。
今回、岡和田さんの話を聞いて、かなり理解できました。

ゼミでは先生への質問は許されるのかどうか知りませんが、窮鼠猫をかむように、「岡和田さんにとっての水俣はなんですか」と逆質問もしてしまいました。
さすがに先生。岡和田さんはその問いを参加者にふりながらゼミを進めましたが、そこでもやはり「水俣」は「過去の話」になっているような気がしました。

もちろんそれぞれのみなさんの今の活動や生き方にもつながっていることは間違いありません。
たとえば、沖縄から参加してくださった方は辺野古の話をし、福島にも関わっている人はスピリチュアルケアの話をしました。

チッソへの反対運動の主役だった被害者の緒方正人さんの「チッソは私であった」という本も話題になりました。
対立ではなく、自らの生き方も含めて、水俣からのメッセージを受け止めることが大切だという緒方さんの生き方に共感していた私は、岡和田さんの論考を読んで、問題を普遍化することの危険性に気づいたのですが、普遍性と個別の問題も話題になりました。

石牟礼さんの「苦海浄土」は、そこでの言葉づかいからして極めて地域に根付いた物語になっていて、日本全体の問題としては書かれていません。
それが生々しさを生み出す一方で、自分の生活とは切り離された「一地方の問題」と位置づけることを容易にしています。
その点が、同時期に話題になった井上光晴の「階級」とは違うと岡和田さんは言います。

万葉集サロンをやってくれている升田さんが、石牟礼さんはコトバの力で「異界」を生み出しており、安易に共感するとその浅さを見透かされてしまうようで怖さがあると話されました。
自分とは隔絶された異界を感ずる。しかし、そこから別の異界も含めて、自分の世界を広げていくことができる、とも言いました。
そして、折口信夫の「うぶすな」と「浄土」の話もしてくれました。

私自身は、異界からのメッセージとして強い問題提起をしていた水俣が、次第にその普遍性が可視化されることによって、問題発信力を弱めてきていることを、岡和田論文から気づかせてもらったのですが、どうもこの問題は一筋縄ではいかないようです。
「苦海」と浄土の話も含めて、もう少し考えたいと思います。
「苦海浄土」という言葉にも議論が行きました。

示唆に富む話はまだいろいろとありますが、どうもうまくまとめられません。
幸いに当日の映像記録がありますので、ご関心のある方はご連絡ください。
参加者は無条件に、参加されなかった方は、岡和田さんの了解が得られたらご本人限定でお見せできるかもしれません。

ところで、水俣とは直接関係ないのですが、岡和田さんの次のような2つの発言がとても印象的でした。
どうして文芸批評を続けているのかというぶしつけな私の問いに、岡和田さんは、もう少しましな社会になってもらわないと自分の居場所もなくなりそうだから、と応えてくれました。

しかし、文芸批評を読んでくれる人は少ないでしょう、とさらにぶしつけな問いをすると、多いか少ないかは考えようで、今日も11人の人が集まってくれたが、私はこれを「多い」と思う、と応えてくれました。
こんなに共感できるコトバを聴けるとは思ってもいませんでした。
指名されてうまく応えられずにしょげていた劣等生としては、すごく元気づけられる言葉でした。

ちなみに、ゼミ形式の魅力を感じました。
湯島のサロンでは、これから時々、ゼミサロンを企画したいと思いました。
岡和田さんにはまたぜひゼミを開いていただきたいと思います。

いつもながら中途半端な報告ですみません。

 

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■節子への挽歌4314:今日は畑に行けそうです

節子

最近、地震が多いように感じます。
もしかしたら6月28日には大きな地震が起こるという話もまことしやかに流れています。
私の場合、すべてを信じながら、特に特別の対策は考えません。

どんなことも基本的には素直に受け入れる姿勢です。
ただし、誰かに言われて、1週間分の非常食を用意するなどという生き方は私の生き方ではないのです。
1週間くらい水や食料がなくても、たぶん生きるすべは身についています。
それは、地震とは無縁な話です。
大地震が来て、もし生きつづけられなかったら、それは仕方がありません。
かつてそうだったように、自然の激変には素直に応じていく生き方を選びたいです。

自然だけではありません。
福島の原発事故も、転居する人とは違う生き方なのです。

大地震が「想定外」などと思うことはありません。
そんな言い訳は、私の生き方ではありません。
私にとっては、すべてが想定内です。
いま、この地球がなくなることさえ想定内です。

いいかえればそもそも人が「想定」できることなどたかが知れています。
科学で知り得たことなど、自然から見たら、些細なことでしかありません。
私は、「想定内」の世界で生きているわけではありません。

ですから、いつか節子に会えるかもしれないというのもまた、想定内なのです。
しかし、にもかかわらず、想定していなかったことに出会うことはあります。
いや、言い方を変えれば、すべては想定していないことでもあるのです。
自分が今日、どういう生き方をするかも、「想定」などできようもありません。

何やらややこしいことを書いてしまいました。
まあ今日はそんな気分なのです。

今日は久しぶりに畑に行けるかもしれません。
本当は相馬霊場めぐりのめどをつけるために、最初のお寺から試験的にどのくらい歩けるか試してみようと思っていましたが、体調がどうもすっきりしないので、今日はやめました。
気温の変動のせいか、どうもすっきりしません。

 

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2019/06/24

■節子への挽歌4313:ダラダラの1日

昨日の疲れか、それまでの疲れの蓄積か、今日はダウンしてしまいました。
そういう時に限って、気の重い電話があるものです。
気も萎えてしまい、風邪をひきそうです。
頼まれてやったことで、恨まれるとは、引き合わない話ですが、まあ人との付き合いとはそういうことでしょう。
それにしても勝手な話ですが、まあ自分も同じようなことをやっているのかもしれません。
ですから、そんなことでは生き方を変えることはないのですが、しかし暫らくは滅入ってしまいます。

まあ元気づけられることもあります。
昨日、法要の後、孫がもう一度、お墓に水をやりたいといったので、2人で水をやりにお墓に戻りました。
その写真をフェイスブックに載せたら、宗教嫌いのHさん(私が信頼する友人です)が、「このようにあれば、お墓が残ってもいいかな、とも思います」とコメントしてくれました。

33190623

まあそんなこんなで、今日も1日、だらだらしてしまいました。
あんまり現世滞在時間がないはずなのに、こんなにしていていいのだろうかと思います。

またパソコンの前に置いてある「to do リスト」が長くなってきています。
そういえば、ホームページも更新していませんでした。
困ったものです。

 

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2019/06/23

■節子への挽歌4312:両親の法事

節子

今日は両親の法事でした。
33回忌と23回忌です。
今回は兄が主催してくれました。
節子も、小節子として参加しました。
両親にとってはひ孫のにこも参加し、お経を聴いて焼香もしました。

住職も世代替わりしましたが、今回はわかりやすいいい説法でした。
それに顔の表情がとてもよくなりました。
先代が亡くなって半年ですが、もう大丈夫でしょう。

お墓でお経をあげてもらった後、一緒に写真撮影し、加えて、家族写真をご住職に頼みました。
小さい時からの付き合いなので、気楽に頼める関係なのです。
法衣のまま写真を撮ってくれました。

33回忌を過ぎると虚空蔵に、23回忌を過ぎると般若の世界に行きます。
虚空蔵の世界に入れば、世界はもう自らですから、供養からは卒業です。
父親に関しては、責務を果たせました。
30年前の占いでは、母親の33回忌までが私の務めのようです。

法事が終わった後、今回は娘の連れ合いの峰行がやっているエヴィーバでみんなで会食しました。
久しぶりに兄の娘家族たちも集まりにぎやかな会食になりました。
美味しいイタリアンでした。
いささか食べ過ぎてしまいましたが、全員が集まったのは本当に久しぶりです。

秋には節子の13回忌です。
これは娘に仕切ってもらおうと思います。
本当は8月にやらないといけないのですが、節子の姉夫婦があまり体調がよくなく、暑い夏は避けた方がよさそうなので、秋にしました。
まあそういう融通無碍さは、私たち夫婦の生き方でしたから、節子はもちろん許してくれるでしょう。

法事は、やはり疲れます。
なにしろ彼岸との往来なのですから。

 

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2019/06/22

■4311:ちょっと上等なサンダル

節子

ユカがサンダルをプレゼントしてくれました。
いまは基本的にサンダル生活になっていますが、なにしろいつもスーパーの500円くらいのサンダルなので、パタパタ音がして、みっともないのです。
せめてもう少しいいサンダルをと言われていますが、私がいつになっても買わないので、父の日プレゼントとして買ってくれたのです。
と言っても、私が許容できる範囲での「上等品」です。
世間一般には「上等」とは言わないかもしれません。
ホーキンスの5000円ほどのサンダルです。

それで早速履いていますが、やはり疲れません。
来月予定している相馬霊場回りのトライアルは、このサンダルで行こうかと思います。
新しい靴はだめだと言われていますし、家にある靴はもう10年以上前のものですから、重いのです。
サンダルでの巡礼は私的です。

節子なら賛成するでしょうか。
笑いながら賛成するでしょう、たぶん。

梅雨の合間の晴れの日を選んで、とりあえず近くの興陽寺から1日でどのくらい歩けるかを試してみる予定です。
10キロか50キロか。
早朝から歩き出せば、80キロすべてを1日で歩いてしまえるかもしれません。

物事を、そういう風に、いつも簡単に考えてしまうのが私の習癖なのですが。

 

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2019/06/21

■湯島サロン「農福連携から始まる農村イノベーション」のご案内

熊本で福祉と農業を基軸にして長年活動している宮田さんには、毎年、湯島でサロンをやってもらっていますが、今年もまたお願いできることになりました。
宮田さんの活動は多岐にわたっていますので、なかなかその全体像が見えにくいのですが、「農業」と「福祉」、さらには「教育」と「文化」における実践を通して、だれもが生きやすい社会に近づこうという姿勢にはブレはありません。

今回は、「農福連携から始まる農村イノベーション~人は城、人は石垣、情けの「輪」を手掛かりに~」というタイトルになりました。
いまでは農業と福祉の連携は実践段階になってきていますが、そうした動きが始まる前に、湯島では宮田さんの提案で、農業と福祉をつないで考えるアグリケア研究会も継続してやっていました。
最近、宮田さんの周りでも、農福連携で大きな進展があったようですが、農村の労働市場というフィルターを通して、グローバリズムとそれへの対抗運動につなげていきたいと宮田さんは考えているようです。

そんなわけで、今回は農業と福祉の連携から生まれだしている最新のお話を聞けるかと思います。
宮田さんの活動は地域に密着しながらも、いつもグローバルなつながりも視野に入れていますので、今回もまた海外との関係にも話題が広がるかもしれません。
どんな展開になるかは、当日のお楽しみと言うところでしょうか。

平日の夜ですが、ぜひたくさんの人に参加していただきたいと思っています。

〇日時:2018年7月25日(木曜日)午後7~9時(6時半開場)
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提起者:宮田喜代志さん(小規模多目的ホーム明篤館館長・農福連携研究者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌4310:音楽が戻ってきました

節子
昨夜は熟睡しました。
目が覚めたら7時。昨日の疲れもほとんど消えていました。

久しぶりにレコードを聴きながら食事をし、その後、レコードを聴きながら本を読みました。
レコードを聴くのは本当に久しぶりです。
というのも、レコードもプレーヤーも自宅ではなく、すべて転居先と予定していた湯河原に送ってしまっていたからです。
3月に湯河原に行ったときに、数枚のレコードを持ち帰りました。
プレーヤーは、通販でおもちゃのようなものを購入しました。
そして、今朝、初めて聴きました。

持ち帰ったレコードは、節子とよく聴いたポップスです。
今日はシャデラックスと荒木一郎を聴きました。
いずれも今では知っている人も少ないでしょう。
しかし私たちにはそれぞれお強い思い出があります。
聴いているだけで、あのころが思い出され、いまの生き方を変えたくなるほどです。

読んだ本は、昔のものではありません。
偶然なのですが、昨日、図書館から借りてきた「文明に抗した弥生の人びと」。
偶然にしてはあまりに合いすぎます。
あのころの私の生き方につながっている。
著者の寺前直人さんに合いたい気分まで出てきました。
お会いしても何もお話しできないでしょうが。

音楽には生き方を変えさせる力があります。
「文明に抗した弥生の人びと」のメッセージが、効果的に私の気持ちを刺激します。
あの頃を思い出すと今以上に大変な生き方になりそうです。
注意しなければいけません。

しかし、長らく封じていた音楽が、生活に戻ってくるかもしれません。
少し私の生き方も明るくなるかもしれません。

 

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2019/06/20

■節子への挽歌4309:年寄りの冷や水

節子

今日はいささか無謀なことをしてしまいました。
まあ、私にとっては決して無謀ではなく、むしろ意図したことなのですが。

暑い日でした。
その一番暑い盛りを狙って、昼食後、畑に行きました。
暑さで、自然と額から汗がしたたり落ちる、そんな畑作業でした。
これが実にいいのです。

娘はなんで一番暑いときに出かけるのかと言いますが(節子がいたらきっと同じようにそういうでしょう)、お天道様の小作人を自認する私としては、お天道様が一番真上にあるときにこそ、頑張らないといけないという気がするのです。
その時に、昼寝などする生き方は、私の生き方ではないのです。
困ったものですが。

2時間ほどの作業でへとへとになりました。
鍬で土を耕すのも、7~8回、鍬を土に打ち込むと、もう立っていられないほど疲れます。
なにしろ土が硬いのです。
それから土の上に座り込むようにして、根扱ぎ用のカマで竹の根っこを切っていきます。
地下10センチ以上にまでカマで掘りながら切っていくのですが、これがまた実に力が必要で大変なのです。
前にも書いたように、畑作業と言うよりも開墾作業です。

そこに苗や種を植えていくわけですが、いくら植えてもあまり報われません。
先週、買ってきて植えたスイカとメロンの苗は、すべてダメでした。
土壌が粘土質のためもありますが、開墾作業や水やりに精出したりしているうちに、どうも私がせっかく育ちだした苗の茎を折ってしまったのかもしれません。
あるいは先日の強い風にやられたのか、あるいは何かの虫に食われてしまったの、いずれにしろ、茎の根っこがやられてしまい枯れそうな感じです。

収穫がゼロと言うわけではなく、今日も、立派な長茄子が2本、取れました。
トマトもなっていますが、まだ色づいてはいません。
花は葵が次々と咲いていますが、種を蒔いた花はなかなか芽が出てきません。

長々と書きましたが、まあ充実した2時間を過ごして、ふらふらになって帰宅しました。
いつもそうですが、自宅に着くときには、娘が「過呼吸」になるよというほど、呼吸が荒いのです。
もちろん話などできません。
水を一杯飲んで倒れこむわけです。

これはいつものことなのですが、今日はちょっと度を越していました。
夕方から動けないほどの疲労感に襲われました。

節子がいなくなってから、どこかで自分を危険におとしれたいという意識が私の中にはいつもあります。
平安ではなく不安の世界を志向している自分に、時々、気づくのです。
困ったものです。

今日は入浴する元気もなく、もう寝ようと思います。
年寄りの冷や水も、考え物です。

 

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2019/06/19

■節子への挽歌4308:生き生きと生きている人に出会いました

節子

昨日は、実に刺激的な人に出会いました。
平山さんがお引き合わせしてくれたのですが、会ったとたんに瞬時にして心がつながった気がします。
時々ですが、そういうことが起こります。

私よりもご高齢ですが、昨日も北京から戻ったところでした。
大学の名誉教授ですが、いま話題の免疫細胞の研究者でもあります。
これまでの活動を少しだけお聞きしましたが、枠にとらわれずに自由に生きていることが伝わってきました。

久しぶりに、生き生きと生きている人に出会えた感じで、うれしくなってしまいました。
実に刺激的な2時間でした。

東日本大震災の時には、女川で新しいプロジェクトである設備を完成させて、ご自分だけ所要で仙台に自動車で戻ったそうですが、30分遅れたら、ご自身も波に飲み込まれたそうです。
仲間も借金をして作り上げた機械設備はすべて失いました。
そうしたことを話す語り口に、お人柄を感じました。
すっかり惚れ込んでしまいました。

大学教授で似たような人を一人だけ知っています。
お2人とも、相手がだれであろうと真摯に誠実に対応し、人間であることからぶれることはありません。

ひるがえって自分を考えると、いささかの恥ずかしさを感じます。
まだまだ人間であることにこだわっているということは、未熟な証拠です。

昨日は実にうれしい日でした。
また一人、生きている人に合えたからです。
そういえば、その方はこんなことを言いました。

私は津波から「逃れた」が、震災で生き残った人たちはみんな「生かされた」という。
聞き流してしまいましたが、その人の生きる哲学を感じました。
その方のお名前は徳田さんです。

またお会いすることになるはずです。
私も徳田さんに何かお役立ちできるといいのですが。
それを探さなければいけません。

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2019/06/18

■湯島サロン「自殺未遂者からのメッセージ」報告

刺激的なタイトルのせいか、参加者は6人だったのですが、逆にしっかりと自殺未遂者の吉田さんの話をお聞きできました。
参加者も、このテーマであればこそと参加してくださった方ばかりだったので、とても意識がそろって、重いテーマであるにもかかわらず、気持ちのいい話し合いができたように思います。
参加者のみなさんにとても感謝しています。
話し手の吉田さんも、とてもいい時間を過ごせたと喜んでくれました。

Photo_4 Ginnchan1906
吉田さんは辻説法スタイルでやってきました。
吉田さんが「ウォーキング・パネル」と名づけている特注のバナーを、首を通して前後にぶら下げるスタイルです。
バナーには目立つデザインで、自殺防止・うつ病予防対策に関する呼びかけなどが書かれています。
これで街中を歩いたら、さぞかし目立つことでしょう。
サロン終了後、吉田さんと一緒に少しだけ歩きましたが、それなりの勇気が必要です。

自殺の問題への関心は高まり、いろいろな活動が広がっていますが、自殺未遂者の集まりはあまりなく、その声もなかなか聴いてもらえないというのが、早くから自殺未遂をカミングアウトして活動している吉田さんの不満です。
本気で自殺問題に取り組むのであれば、なぜもっと自分たちの声を聞いてくれないのか。
政治家やマスコミにいろいろ働きかけていますが、吉田さんの思いはなかなか届かない。
それには理由があるはずですが、その理由を明らかにして、もし解決できるのであれば解決していきたい。
そう思っての、今回のサロンでした。

サロンはまず、なぜ自殺を試みたかと言う、吉田さん自身の話から始まりました。
自らの悩みがなかなか分かってもらえず、狂言自殺を試みたこと。
それで入院することになったが、入院した途端に、鬱状況から躁状況になってしまい、ある日、突発的に窓から身を投げてしまったこと。
奇跡的に一命を取り留めたが、そこから「自殺未遂者」としての大変さに出会っていくこと。
カミングアウトし、自殺防止活動に取り組んでいるが、世間の差別意識に直面して、不快な思いをすることも少なくないこと。
口では立派なことを言っている政治家も有識者も、一人の未遂者の声にはなかなか耳を傾けてくれないこと。
などなどをあっけらかんと話してくれました。
そして、今年81歳を迎えるのを機に、取り組もうとしている「辻説法」の話もしてくれました。

自殺を体験した前後で、どういう意識の変化があったかという問いかけから話し合いが始まりました。
自殺前、吉田さんは企業を経営していましたから、どうしたら会社がうまくいくか、ということばかりに頭がいっていたといいます。
しかし、自殺未遂を通して、人との関係や社会のことが見えるようになってきたそうです。
だから、いまは自分にとって一銭の利益にもならない社会活動を、身銭を切ってするようになったといいます。
いま、「魂の語り部」と自称しているところにも、吉田さんの人生観が変化したのを感じられます。
自分の命も、自分だけのものではないという意識も出てきたそうです。

自死遺族の人たちは集まりをつくって、グリーフケアや社会への働きかけをしていますが、自殺未遂者のそうした活動がないのはなぜかという話題も出ました。
自死遺族は「悲しみ」によってつながれるでしょうが、自殺未遂者はお互いをつなぐものがみつからないからではないかという意見も出ました。
たしかに自殺未遂の体験は人によってさまざまです。
それに吉田さんのようにカミングアウトする人も少ない。
しかし、体験者の声を聞くことから見えてくることもあるはずです。
ですから、吉田さんは自殺未遂者の集まる場所もつくりたいと考えています。

もし自殺者を減らしたいのであれば、未遂者からもっとしっかりと取材し、その体験を活かしてほしいと吉田さんは言います。
しかし自殺未遂者の人たちは、周囲の人も含めて、その事実を語りたがらないばかりか隠そうとする。
だからこそ、そうした当事者の声が大切なのではないか。
自殺問題を外から語ることも大切ですが、当事者の声にもっと耳を傾けてほしい。
吉田さんは、そういう思いから、未遂者や企図者が安心して話せる場が欲しいといいます。

しかし、その一方で、吉田さんは未遂者として何を社会に語ればいいのかがまだうまく言語化できていないようにも感じます。
だからこそ、同じ体験をした人たちと話し合ったり、外部の人たちに自分のことを聞いてもらい話し合ったりすることが必要だろうと改めて思いました。

今回のサロンを契機に、そうした吉田さんの思いが実現するように、私もまた考えようと思います。
吉田さんの話を聞きたい方はぜひ吉田さんに声をかけてください。
そして吉田さんの思いが実現するように、力を貸してもらえればうれしいです

 

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■湯島サロン「二宮尊徳に学ぶまちづくりと生き方」のお誘い

2年前に露木さんに「二宮尊徳の実像から見えてくるもの」をテーマにサロンをやってもらいました。
とても刺激的なサロンでしたが、実践の人である露木さんの活動をもう少し詳しく聞きたいと思いながら、2年がたってしまいました。
露木さんは、その時のサロンで、「大切なことはやったかどうかだ」という尊徳の言葉も紹介してくださっていましたが、その言葉もずっと心に残っていました。

そこで、もう一度、露木さんにサロンをお願いすることにしました。
今回は、露木さんご自身の活動を中心にして、尊徳の思想と実践改めて考えていきたいと思います。

露木さんは、神奈川県開成町の町長時代に、尊徳から学んだことを実践に移して、独自のまちづくりに取り組み、子供が増える町を実現してきた実績があります。
町長を辞めた後も、社会とかかわりながら、尊徳思想の実践普及に取り組んでいます。
そうした活動をつづけている露木さんの生き方にも学ぶことがたくさんあります。

残念ながら、二宮尊徳の実践については、私たちはあまり知らないように思います。
尊徳の実践原則は、至誠、勤労、分度、推譲の4つだといわれていますが、それを全体的にきちんと理解している人はそう多くないでしょう。
いやその前に、二宮尊徳という名前さえも知らない人も増えてきています。
知っている人でも、何となく前近代的なイメージで過去の人と思っている人も多いでしょう。

しかし、露木さんはいまこそ、そしてこれからこそ、尊徳から学ぶことは多いというのです。
そして自らそれを実践して、成果を上げてきています。
そのあたりを改めて今回はじっくりとお聞きしたいと思います。
もしかしたら露木さんの、これからの活動の話も聞けるかもしれません。

いまの社会に閉塞感をお持ちの方にはぜひ参加していただきたいサロンです。

なお、前回のそのサロンの報告は下記にあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/04/post-c5cd.html

〇日時:2019年7月14日(日曜日)午後1時半~午後4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「二宮尊徳に学ぶまちづくりと生き方」
〇話題提供者:露木順一さん(大学教授、元開成町長)
〇参加費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■節子への挽歌4307:悲しみは人をつなぐか

節子

一昨日のサロンで、自殺遺族たちは家族会などをつくって繋がれるのに、自殺未遂者たちはなぜそうしたつながりの場を持てないのかと言う話になりました。
そこで私は、遺族は「悲しみ」ということでつながれるが、未遂者たちの思いは多様でつながれないのではないかと発言しました。
しかし、果たして人は、悲しみでつながれるのか。
言葉に出してみると、それが新たな問いかけになって自らに戻ってくることはよくありますが、今回もその問いかけが頭の中から離れません。

悲しみは人をつなぐ、とはよく言われることです。
大震災時直後には、いわゆる「災害ユートピア」なる、人の支え合うつながりが出現することも報告されています。
悲しみの奥にこそ、生きることの真義が潜んでいるという人もいます。
たしかに、悲しみは共有されやすい、と思いがちです。

しかし、自分の問題として考え直してみると、悲しみは決して共有されることはなく、人とのつながりを深めることもない、とも思います。
私の場合は、節子に先立たれた悲しみは、むしろ人とのつながりを妨げたような気もします。
悲しみを心配して、かけてもらえる慰めの言葉は、むしろ悲しさを深めることも多かったような気がします。
そこには、悲しみを共有して心がつながることはきわめて少なかったようにも思えます。

その最たるものは、「時が解決してくれる」と言う種類の言葉でした。
そういう声掛けをする人には、悲しみは決して共有されることはなく、したがってつながりも生み出されることはありません。
時が解決してくれるようなものは、「悲しみ」ではないと言いたくなります。
しかし、それは自らが体験してこその気付きです。

「かなしみ」と言ってもどうもいろいろとありそうです。
かなしみは人をつなぐのか。
もう少し考えてみようと思います。

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2019/06/17

■節子への挽歌4306:「もう1度、最後の人生を頑張ってみよう」

節子
小学校時代の友人から書籍が箱届きました。
彼女が取り組んできていた協同組合関係の書籍です。
出来れば活用してほしいという手紙が入っていました。

彼女は伴侶に先立たれており、いまは独りで暮らしています。
会社を定年で辞めた後、大学院に通ったり、琵琶を習い始めて今は演奏会をやったり、いろいろとやっていますが、急に転居を決断したようです。
それで、いわゆる断捨離に取り組んでいるそうですが、書籍と写真を廃棄するのが一番つらいようで、関心を持っていそうな私にどさっと送ってきたわけです。
関心が重なっているようで、半分くらいは私の蔵書と重なっていました。
私もたぶん読むことはないでしょうが、彼女の気持ちもよくわかるので、引き受けることにしました。
引き取り手を探さねばいけません。

ところで、なぜ彼女は転居することにしたのか。
手紙にはこんなことが書かれていました。
ちょっと長いですが、また彼女の了解は得ていませんが、転載させてもらいます。

熱海の中銀ケアー付のマンションに転居することにしました。
考えてみますと、何時も何かに向かって生きていたように思います。
でも何かが崩れ、世の中の動きにも幻滅し、どうしょうもないという思いを、如何にかしなければと焦った結果の結論でした。

50年間、住んだ古くて1人では広い家、草むしりも大変、暑さ、寒さも厳しい、買い物も坂あり、谷ありの所からの脱出です。
10年間はここでいいと思っていたのですが、思い立って、引越し先を探していました。
遠くてもよいから景色が良く、温泉付で2部屋以上ある所をと思いました。
そして、そんな所に出会ってしまったのです。

人は、それぞれ家族との距離間や、いろいろなしがらみで生きていると思いますので、私の選択が最良とは思いませんが、私は私なりに、やっともう1度、最後の人生を頑張ってみようと思う気持ちになってきました。それに、いまなら大胆な断シヤリも出来ます。
また、62歳から築きあげてきた「琵琶語り」の世界を深め、新しい人達と繋がりながら何が出来るか、挑戦してみたいと思います。

「もう1度、最後の人生を頑張ってみよう」
私は頑張る人生とは縁を切りましたが、何かはっぱをかけられたような気がしないでもありません。

女性たちの元気には勝てません。

 

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■湯島サロン「限定無税財政論」のお誘い

久しぶりにリンカーンクラブ代表の武田文彦さんのサロンを開催します。

今回は、財政赤字を解消する方法として、武田さんが考えた「限定無税財政論」の提案です。
武田さんらしい、いささかアクロバティカルな構想ですが、その提案を議論することからいろんなことが見えてくるはずです。
その構想を簡単に言えば、「全予算を税ではなく国債発行に置き換えることで財政を根本的改善できる」というものです。
ただし、無税にするわけではありません。
税の徴収方法を根本から変える仕組みとセットになった提案です。
具体的にはサロンで話してもらおうと思います。

参加される方には、この問題に関する武田さんの小論を送りますので、読んできてもらえればと思います。
事前に読んでもらえれば、反論や疑問もたくさん出てくるでしょう。
ですから武田さんの提案をただ聞くだけではなく、それを材料に侃侃諤諤の話をしようと言うサロンです。
どんな議論になるか、いささか心配ですが、発想転換のヒントが得られるかもしれません。

みなさんの参加をお待ちします。

〇日時:2019年7月6日(土曜日)午後1時半~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「限定無税財政論」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2019/06/16

■節子への挽歌4305:久しぶりの再会

節子

今日は湯島で「自殺未遂者からのメッセージ」と言うサロンを開きました。
参加者は少なかったですが、主張を持って活動をしている人が集まったので密度の濃いサロンになりました。
うれしかったのは、20年近く前に山形市に関わっていたころ知り合った齋藤さんが山形から参加してくれたことです。
サロンが始まる前に、久しぶりの話しあいができました。

節子がいなくなる前後では、私の人生はかなり大きく切断されています。
記憶が切れているのです。
山形に関わっていたころは、節子がまだ元気だったころです。
山形には一度節子とも同行したかったのですが、残念ながらかないませんでした。
たくさんの知り合いができて、思い出もたくさんあるはずなのですが、どこかでぷつんと記憶が切れてしまっているのです。
しかし、当時の知り合いと会って話していると少しずつですが、記憶が戻ってきます。

話をしてくれた自殺未遂者の吉田さんは、節子がいなくなってから知り合いました。
私よりも高齢ですが、元気で活動をしています。
10年ほど前に、自殺未遂者の人にお願いして、公開フォーラムを開催した時に登壇してもらったのです。
以来、いろいろとありましたが、いまはかなり信頼関係も生まれてきました。

私の周辺には実にさまざまな人がいますが、みんな感情豊かな人間です。
ですから結構付き合うのは大変なのですが、私自身もできるだけ人間でいようと思っていますので、付き合いが切れないのです。
ですから今日のように、久しぶりにふらっと会えることがあるわけです。

「自殺未遂者からのメッセージ」に関しては、もしかしたら新しいプロジェクトが生まれるかもしれません。

 

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2019/06/15

■節子への挽歌4304:追いつきました!

節子

たぶん、なのですが、この挽歌の番号が追いつきました。
今年の命日までに追いつこうと思っていたのですが、予想以上に早く追いつきました。
つまり今日は、節子が逝った日から4304日目なのです。

一時はかなりサボった時期があり、2か月ほど遅れてしまったのですが、頑張って書き続けてきました。
おかげで、このブログ本来の主軸である時評編がほとんど書けずにいました。
もっとも社会への関心が大きく低下してきていて、時評を書く意欲もかなり低下しているのですが。

これまでも何回か書きましたが、どうも最近、私が考える「人間」は日本からどんどんいなくなっていて、マスコミなどは人間たちとは別の世界の報道ばかりしているような気がして、新聞もテレビ報道もほとんど読んだり見なくなったりしてきているのです。
それに私は犯罪を起こそうなどとは思っていないので、犯罪の仕方を詳しく教えてくれ、そそのかしてくれるテレビは見たくはありません。

最近のテレビは犯罪促進メディアになってきているようにしか思えません。
困ったものです。

それはともかく、この2か月ほど、パソコンに向かうと最初に必ず挽歌を書いていた気もします。
これからはもう少しゆったりと挽歌を書こうと思います。

今日はよく雨が降ります。
畑の野菜はまたダメになっているかもしれません。
強い雨は、野菜にはマイナスで野草にはプラスです。

 

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■節子への挽歌4303:真夜中の腹痛

節子
昨夜の真夜中3時半ころ、腹痛で目が覚めました。
昨夜食べた肉のせいでしょう。

これまでも2回ほど経験した痛さです。
武田さんが、めったに肉などは食べられない私に肉をたくさん勧めたので、うっかり肉は苦手なのを忘れてしまったのです。
卑しさが出てしまいました。
実に困ったものです。

私は基本的に菜食中心です。
娘は肉と魚を毎夕、交互に料理してくれますが、肉もたぶん普通の人の半分くらいの量です。
ところが、外食となると何となく食べられるのです。
残すのは失礼だという無意識が働くのかもしれません。

昨日も最後の頃は、もういいよと思いながらも武田さんが私の皿に入れるので、ついつい食べてしまったのです。
久しぶりの焼肉屋だったからかもしれません。
金銭的に質素に暮らしていると時に他者からのご馳走になるとついつい昔のように食べてしまう。
悲しいサガというべきでしょうか。

まあそれはともかく、夜中の腹痛はそれなりにつらいです。
胃薬を飲みに1階までいって、ついでにヤクルトまで飲みましたが、もちろん腹痛は収まらずです。
昔はこういう時には必ず隣で寝ている節子を起こしました。
夫婦は苦しみも喜びのシェアしなければいけないというのがわが家の、あるいは私の勝手なルールでしたから。
不思議なもので、痛みはシェアすると軽減されるものです。

いまは、しかし、それはできません。
いろいろと試みましたが、改善されずに、いろいろと動いているうちに外が明るくなってきました。
お天道様が出てきたら、もう安心です。

しかし、明るくなった外はかなりの雨です。
今日はゆっくり休めそうです。
相馬霊場歩きの靴を買いに行けるかもしれません。

腹痛の時は読書は無理です。
人は頭で本を読んでいるわけではなく、たぶん腹でも読んでいるのでしょうから。

 

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2019/06/14

■節子への挽歌4302:話し続けた1日でした

節子

今日は午前と午後、かなりハードな話し合いをしました。
その合間に、法務局まで会社の定款変更の届け出の補正手続きに生きました。
暑い中を九段下の法務局までたどり着くのがやっとで、体力の低下を実感します。
そのうえ、窓口が混んでいて30分ほど待たされましたが、いつもなら出直すのですが、その元気もなく待たせてもらいました。
補正手続きは思っていたよりも面倒で、また出直すのは大変なので、手書きの修正をさせてもらいましたが、それがまた大変で、やはり私にはこの種のことは向いていないとつくづく感じました。
窓口の人が親切な人だったので、よかったのですが。

夕食は、久しぶりに湯島にやってきた武田さんが焼肉を食べに行こうと誘ってくれました。
彼がどんどん私の皿に焼けた肉を入れるので、その勢いでみんな食べてしまい、動けないほどの満腹感でした。
いつでもお腹がすいたらご馳走するからと武田さんは言うのですが、最近は食事をするのもけっこう疲れるのです。

私はよほど貧しいと思われているようで、いろんな人がご馳走してくれます。
世の中、お金の使い道がなくて困っている人も多いようです。
たしかに、お金を使うのは大変です。
お金がなくても食べることの不自由しない、私のような生き方を目指すと人生は楽になります。
どうしてみんなそうした生き方を目指さないのでしょうか。

満腹の上に今日は連続話し合いで疲れ切っていたのですが、上野で電車に乗ったら、なんとそこに我孫子の友人の宮内さんが座っていました。
それでまた電車の中でもずっと話し込んできました。
宮内さんも不思議な縁で、帰宅する電車でこれまでも何回か会いました。

それにしても昨夜ぐっすり眠れたので今日は元気だったはずですが、なぜか疲れました。
これもまた歳のせいでしょう。
歳をとると、生きていること自体がつかれます。

困ったものです。

 

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■節子への挽歌4301:元上司の訃報

節子

昨日は畑仕事に精出したおかげか、夜はぐっすりと眠れました。
畑は相変わらず開墾作業が続いていますが、野菜もだいぶ植えたり芽が出てきたりしています。
種まきや苗を植える時期が、いずれも遅かったり早すぎたりする関係で、あまりうまくいっていませんが、私の畑作業の主目的は自然との交流なので、まあそういうことにはあまり関心はないのです。
それでは「農作業」にはならないのですが、もともと畑ではないところなので、そもそもが難しいのです。

ちなみに、畑ではだめだった小ぶりの人参を自宅の大きな鉢の片隅に植え直したら、なんと今もまだ生育を続けています。
土壌の大切さを改めて実感します。
野菜作りは土づくりと、かつては言われていましたが、その意味がよくわかります。
そして私の関心事はその「土づくり」なのです。

会社時代に取り組んだプロジェクトは企業文化を変えるという壮大なプロジェクトでした。
それは会社の土壌(企業風土)を変えていくことでしたが、見事に挫折しました。

そのプロジェクトを、私の自由に実行させてくれた中川(当時副社長)が亡くなったという知らせを受けました。
中川さんには会社を辞めた後、偶然にも六本木の交差点で会いました。
私のことを心配してくれていて、一度、訪ねてこいと言われましたが、結局、行くことはありませんでした。

そういってくれていた会社の先輩は何人かいましたが、誰に会いにはいきませんでした。
生き方を変える以上は、すっぱりと縁を切らなければ、と当時は考えていたからです。
それに経済活動としての仕事はしないことにしていましたから。
会社時代、私はたくさんの人たちに支援されていました。
にもかかわらず、会社を辞めてから、そのつながりを切ってしまっていました。
いまから考えれば、まさに狭い了見でした。

中川さんは、家族での葬儀をされて、改めて「お別れ会」をやるようです。
「お別れ会」には、私は多分参加しないでしょう。
いろんな人に会えると思いますので、生きたい気持ちもあるのですが、なんとなくわずらわしい気もします。

中川さんのご冥福を祈ります。

 

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2019/06/13

■節子への挽歌4300:サロンがさらに発展しています

節子

節子に協力してもらって始めたサロンも、もう30年以上続いていますが、最近大きな勢いがついてきています。
サロンで話してくれる人がどんどん増えているのです。

今週も2人の人がサロンをやろうと連絡してきてくれました。
熊本の宮田さんと沖縄の緒方さんです。
東京で時間が取れそうなので、サロンをしてもいいといってきてくれたのです。
お礼など何もできないのですが、湯島で話すことに意義を感じてくれているわけです。
うれしいことです。

それだけではなく、時にこちらから声をかけても、ほとんどの人が気持ちよく引き受けてくれます。
先週は神奈川県の開成町の町長だった露木さんが二宮尊徳の講演をあるところでしたのを知って、湯島でもサロンをお願いできないかと連絡したら、即座に日程まで連絡してきてくれました。

話し手だけではありません。
時々遠方からわざわざサロンに参加してくれる人もいるのですが、今度のサロンには山形市から参加してくれる人がいます。
むかし山形市に関わっていた時に知り合ったのですが、フェイスブックでサロンの案内を見て、参加申込してくれたのです。

話し手もテーマも広がっているので、まあそれなりに大変ではあるのですが、こういう場はめずらしいと思います。
サロンは世界を変えていくと私は思っているのですが、まあそこまではいかなとしても、そこからいろんな物語も生まれてきています。

サロンを続けられてきたのは、節子のおかげでもあります。
そしてサロンのおかげで、私の生き方も大きく変わってきました。
さらにいえば、サロンを通していろんなことを学びました。

実は2か月ほど前に、サロンをやめようかと思ったことがあります。
経済的にも負担ですし、心身もいささかきつくなってきたからです。
しかしなぜかそう思った時から何か不思議な力が及んできて、サロンをやめるどころかサロンに勢いが付きだしたのです。

そこに、お天道様の存在を感じないわけにはいきません。

 

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■節子への挽歌4299:沢蟹は来なくなってしまいました

節子

実に残念なことに、広島の竹原からわが家に沢蟹が来ることは実現しませんでした。
やはり地元で棲んでいたいという意向らしく、親子の蟹を見た後、見つからなくなったそうです。
これもきっとお天道様の決めたことでしょう。
またなんとか方法を探さなければいけません。

しかしそれ以上に大きな問題は、わが家の庭の池は家族みんなが反対していたにもかかわらず私の還暦祝いにみんなで手作りしてくれたのですが、私がいなくなったら維持されなくなりそうな気配です。
まあ、いまも私自身がほとんど管理放棄していますので、ひどい状況です。
お天道様の小作人として収穫にもつながらない畑仕事よりも、まずは自分の家の庭や池を手入れしろとお天道様から叱られそうです。
これから少しずつ手入れを始めようと思います。

池は今は周囲の草に覆われて水面さえも見えません。
まあそれほど小さな池なのですが、本来は上の池から下の池に水が流れる仕組みになっています。
もちろん今は流れていませんが、いろんなうつろを仕込んでいますので、いろんな生き物が棲み着きやすくなっています。

以前何回か、沢蟹を放したことがあります。
その子孫がもしかしたらどこかに潜んでいるかもしれません。

魚がいなくなったので一度池の掃除をしたことがあります。
その時には池に大きなガマガエルが棲んでいて、彼がどうもすべての魚やエビを食べてしまったようで、池の掃除をしましたが、誰もいませんでした。
ガマガエルは近くの手賀沼に放してきました。

まあそんな状況ですので、沢蟹は来なくてよかったのかもしれません。
とても残念ではありますが。

今日はいい天気です。
在宅の予定ですので、畑仕事に精出せます。
池の手入れは、今日はできないでしょう。
梅雨に入るので、ともかく畑をやっておかないとまた野草に覆われかねませんので。

小作人には暇などないのです。
お天道様と同時に働かなければいけません。
しかしなぜか暇で暇で仕方がないのですが。

 

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2019/06/12

■4298:ファシリテーション(2019年6月12日)

 

節子

昨日、新しいプロジェクトの打ち合わせをやっていましたが、そこで最近また企業経営の世界で「ファシリテーション」と言うことが話題になってきているのだそうです。
それで昔インタビューを受けて雑誌に掲載された記事を思い出しました。

日本能率協会の「人材教育」と言う雑誌です。
雑誌はなくていますが、そのコピーが見つかりました。
2004年の6月号ですから、もう15年ほど前の話です。
言い換えれば、まだ節子も元気で、私も活動を続けており、まさかその数年後に節子ががんになり、私たちの人生が大きく変わろうとは思ってもいない頃です。

私が書いたものではなく、インタビューの内容をまとめてもらった記事ですので、ちょっと違和感があるところもありましたが、当時のことを思い出しました。
あのころは、まだ大きな構想を持っていて、無謀なほどに楽観的に前に進んでいました。
ちょっとそんなことも思い出してしまいました。

あまりの懐かしさにフェイスブックにコピーをアップしました。
するとなんとコムケア活動で知り合ったあるグループのSさんがコメントしてくれました。
節子も一度だけ会っています。

節子がやっていたコーラスグループの発表会に、節子はステージではなく会場で聴きに行ったときに、Sさんはわざわざ遠くから聞きに来てくれて、節子にも会ってくれたのです。
その時が、節子の最後の外出になりました。
思い出すのがいささかつらい記憶です。
節子はもうみんなに会うのは最後だと知っていたと思います。

ところで、Sさんのコメントは私にもとてもうれしいものでした。

2004年頃は訳も分からずに、代表の後にくっついてコムケアをお尋ねしていました。
あの頃の自分と今の自分、どう変わったのかと考えてしまいました。
それにしてもお世話になっています!!

いまのSさんはすばらしい活動をされています。
コメントに出てくる「代表」の方も、です。
ちょっと元気が出てくるコメントでした。

そのインタビュー記事はホームページにもアップしました。
http://cws.c.ooco.jp/facilitation200406.pdf

 

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■節子への挽歌4296:「11匹のねこ」を孫にプレゼントしました

節子
久しぶりに畑に行きました。
雨のため行けなかったのです。

雨の前に植えたスイカが枯れそうになっていました。
よく見たら枝が折れていました。
雨か風か、あるいは私の不注意かですが、頑張るように声をかけて、土もかけてきました。
後は祈るのみ。

もともとの畑ではないので、土が粘土質で、スイカには向いていないのかもしれません。
これまですべて失敗。
もっともこれまでのは昨年食べたスイカの種を残しておいたのを蒔いて育てたものなのですが。

畑から帰ったら、孫がやってきました。
孫は家に来ると玄関で大きな声で「こんにちは」と言うのです。
その声で元気が出ます。

先日用意しておいた「11匹のねこ」シリーズ6冊セットをプレゼントしました。
泣かないことがプレゼントの条件ですが、それにも元気に「はい!」と答えました。
まあ、まもられないでしょうが。

孫は図書館から借りてすでに全部をもう読んでいるようです。
ですから内容はみんな知っているのですが、喜んでくれました。
これで3世代にわたる家族みんなに共通の財産ができました。
節子も孫と話せますよ。

11匹のメッセージは人生を楽しくするでしょう。
6冊は重いので、わが家に来るたびに、毎回1冊ずつ持って帰ることになりました。

孫の畑用の長靴も用意しています。
しかし残念ながら、小作人の仕事も孫作人の仕事もどうやら今シーズンで終わりそうです。
空き地利用の畑に家が建ちそうですので。

久しぶりの畑で一汗かいたので、体調も良くなりました。
娘がニンニクオリーブ油もつくってくれたので、まあ大丈夫でしょう。

 

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■節子への挽歌4295:夢と現実

最近、夢をよく見ます。
その関係で、この挽歌でも夢を話題にすることが増えています。

「荘子」に「胡蝶の夢」という有名な話があります。
この場なんかでも以前、2回にわたってそのタイトルで書いたことがあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/09/post-9d6f.html

夢と現実は、別の世界のものです。
そして、どちらが実体なのかはわかりません。
現実世界だと思っていることの方が、実は夢なのかもしれませんし、いずれも夢なのかもしれません。
あるいはいずれも実体なのかもしれません。

夢には、おきている自分にはまったく見覚えのない人が出てきます。
あるいは自分では、少なくとも意識の上では知らないことを教えてもらうこともあります。
昨夜見た夢は比較的記憶に残っていますが、一緒に食事をしていた「水野さん」には、私は現世ではあったことがありません。

書きだすときりがないのですが、最近また、夢にだんだん現実感が出てきているのです。
さらに、現実の私の知らない人の登場が増えています。
一昨日、新幹線で隣り合わせた人は、いまはもう記憶にありませんが、何やら私の知らないことをいろいろと教えてくれました。
新幹線での疲れない座り方まで、です。

その一方で、現世の生活から少しずつ現実感が弱まっているような気もします。
地に足をつけていないからだと言われそうですが、それは、地に足をつけていなくても生きていられるということでもあります。

さてこの2つを合わせて考えると、どうなるか。
予定ではあと2~3年は現世での活動を続けようと最近決めたところなのですが、いささか不安があります。
さてさてどうしたものでしょうか。

そういえば最近お墓に行っていません。
明日にでもお墓見舞いに行ってこようと思います。

 

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■節子への挽歌4294:よく眠れるためにはドキドキする生き方をしないといけない

節子

歳をとると眠れなくなる人が多いことを昨日テレビで知りました。
夜中に目が覚めるとか、朝早く目が覚めるということは知っていましたし、私自身そうなのですが、どうも睡眠時間が少ないのだそうです。

なぜそうなるか。
番組をきちんと見ていなかったので不正確な受け売りですが、ドキドキすることが減ってくることと関係があるそうです。
つまり心の刺激あるいは心が活性化することと不眠はつながっているようです。
番組を最後まで観なかったので、間違っているかもしれませんが。

私なりの解釈では、心の活発度と睡眠(心の休養)はバランスしているということです。
よく眠れるためにはドキドキする生き方をしないといけないのです。

問題は、「ドキドキ」の内容です。
昨日のテレビでは、何かに感激するとか好奇心を高めるとか、ともかく周囲への好意的な関心を高めるということのようでした。
思い切り言い換えれば、それは「生きている」ということでしょう。

ということは、加齢とともに、人はやはり「生きること」から離れだすということです。
生きていないのであれば、睡眠も必要ではなくなっていくでしょう。

さらにまた、思い切り言い換えれば、そういう状況はまさに「死んでいる」状況に近いということです。
牽強付会に続ければ、人は「生」と「死」を交互に生きているということになる。
太陽と一緒に生き、太陽がいなくなると死の世界で安らぐ。
あんまり論理的ではないのですが、そんな気もします。
それにしても眠れないことを悩むことはありません。

眠れないのであれば、それは「生きて何かをせよ」というお天道様の意向なのです。
しっかりと生きればいい話です。
問題は、多くの人には「するべき何か」が見えていないのかもしれません。
時々、私も見えなくなりますが。

昨夜はよく眠れました。

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2019/06/11

■節子への挽歌4293:すべては「心」の微妙な動きの結果

節子

真夏のような日が続いた後、時間が2か月戻ったような気候です。
冬から迎えたのであれば、きっと「快い朝」なのでしょうが、真夏のような連日からの今朝は、寒い朝に感じられます。
かくのごとく、季節の感じ方は、状況によって大きく変わります。

これは気温だけの話ではないでしょう。
あるいは季節だけでもない。

人生をどう生きてきて、その事件がどういう状況で起こるかで、その意味合いや感じ方は大きく違います。
「幸せ」によろこぶこともあれば、「不幸せ」になげくこともある。

これもまた昨日書いたように、すべては「心」の微妙な動きの結果です。
そこに「不幸」や「幸福」があるわけではない。

だからこそたぶんどう生きるかが大切です。
節子は闘病を通して、そうした平常心に出会ったように思います。

別れは悲しい、しかしそれはもしかしたら「いっとき」のこと。
そして、悲しみもまたよろこびの一面かもしれないと思えないこともありません。

寒さがあって暑さがあり、涼しさがある。
いろんなことがあるのが、人生の豊かさかもしれません。

昨夜もまた夢で目が覚めました。
不思議と目が覚めても忘れませんでした。
少しだけ反芻しました。
夢のなかで教えられることや学ぶことが多くなってきました。

 

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2019/06/10

■節子への挽歌4292:生死に自在な生き方

節子

前回につづいて少し「生き方」の話です。
なんとなく書いておきたくなりました。

天台本覚論では、生死に自在な生き方こそ、真実の生き方だといいます。
私がこのところ、そうありたいと思っている生き方です。

生死に住んではいけない。しかし、生死を離れようとしてもいけない、ということです。
あるいは、死に臨んでもうろたえることなく、生死を怖れない心を養え、ともいいます。
そのためには、仏を念じて心静かに死を待つ状態を実現するというのが天台の教えです。

しかし、これは私の生き方ではありません。
仏を念じて心静かに死を待つことは、やはり死に呪縛されているとしか思えないからです。
死は、未来のことですから、結局は今を素直に生きていることにはなりません。
それに、死は待つものではありません。
節子から教えられたことは、生死から自由な、いま、ここを生きる生き方です。

仏教は二元論の思考ですが、本覚論ではすべては同じひとつの「一心」の顕れだと考えます。
二元論は、人間にもともと備わった覚知性(本覚)の属性そのものの表れでしかなく、あるのは、一つの「心」だけだというわけです。
そして、その心は、時間も空間も超えている。
だから、生きるも死ぬもなく、死ぬからといってどこかへいくわけでもない。

まあ論理的には理解できていませんが、感覚的にはとてもよくわかります。
そして共感できます。

私が好きなのは、「生死に自在な生き方」ということです。
「死生観」と言うことがよく問われますが、私にはあまり興味はありません。
「生死に自在な生き方」こそが、私の好む生き方です。

もっと正確に言えば、私には「死」はたぶん訪れないでしょう。
死後もまた、私は生きているような気がします。
節子がそうであるように、です。

 

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■節子への挽歌4291:人はひとりで生きてはいません

節子

寒さを感ずるような、さびしい1日になりました。
空が死んでいる日は、どうしても元気が出ません。

友人がフェイスブックにこんな書き込みをしていました。

今日は神さまに祈りを捧げてきました
かなしくてかなしくて
ずっとひとりで生きてきた
ずっとひとりで生きていく
神さまありがとう

コメントしました。

人はひとりで生きてはいません。

一時期、「無縁社会」という言葉がはやりました。
呪いたくなるような言葉ですが、人は決して、無縁には生きられません。
生命はすべてつながっているからです。
それに気づけば、人はさびしくなどはなりません。

しかし、今日のようなどんよりとした雨の日は、なぜかひとりでいるとさびしくなります。
どこかに出たいと思っていましたが、私は運転免許を返却しているので運転はできません。

夕方、娘のジュンからユカに連絡がありました。
雨のせいか、スーパーが安いよというのです。
いま親子でその安いスーパーで買い物をしているそうです。
ユカが行くというので、同行させてもらいました。
買い物があるわけではなく、孫に会うためです。
孫の笑顔は元気をくれるでしょう。

スーパーはすぐ近くなのです。
間に合いました。
母娘で待っていてくれました。

子どもの笑顔を見ると、別に自分の子や孫でなくても、人はひとりではないと実感できます。
孫の書いた絵がスーパーも貼り出してあるのですが、孫が案内してくれました。
娘は、半額になっていたスイカと肉を買ってきました。
今日はこれから焼肉だそうです。

元気が少し出るかもしれません。

それにしても、寒い1日でした。
心が冷えているからかもしれません。

 

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■ゾブリスト・プロジェクト

暇で暇で仕方がなかったので(やることがないのではなくやる気が出ないので)DVDで、ダン・ブラウンの「インフェルノ」を見ました。
「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続く、ロバート・ラングドンものですが、なぜか急にまた観たくなりました。

 生物学者ゾブリストが人類増加問題の解決策として恐ろしい伝染病を世界に広めようとし、それをラングドンが止めるという話です。
ゾブリストは、その活動を始める前に、WHOに、飲料品に不妊薬を入れることによって、人口増を抑制しようと提案しています。
WHOはその提案を受け入れませんが、その場面を見て、もしかしたら実際には、すでにゾブリスト・プロジェクトは始まっているのではないかと思ってしまいました。

 最近は、日本でも除草剤グリホサートが問題になりだしていますが、これはほんの氷山の一角でしょう。
湯島のサロンでも一度発言したことがありますが、日本では少子化対策ではなく少子化促進策が進められていると私は感じています。
そういう日頃の思いとゾブリストの発言がつながってしまいました。
なんだかとても暗い1日になってしまいました。

 5人に1人が認知症とか老後の生活に2000万円必要だとか、130/90を超えたら高血圧だとか、私にとってはまったくばかげたとしか思えない話が飛び交っていますが、それも含めて、ゾブリスト・プロジェクトは着々と日本を標的に進められているのではないかという妄想に襲われています。

暗い時代にならなければいいのですが。

 雨の日は元気が出ません。

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■節子への挽歌4290:ゆるやかな組織

節子

朝からまたトラブルです。
と言っても、あるNPOグループの内部トラブルで私は当事者ではないのですが、トラブルは嫌なものです。
NPOがますます嫌いになります。

人間はどうして「組織」を制度化してしまったのでしょうか。
私は会社を辞めて以来、ずっと「ゆるやかな組織」の構造の中で活動してきました。
法人化したものもありますが、そうした法人から生ずる面倒なトラブルには、いまも辟易しています。
それに、「ゆるやかな組織」の考えは、なかなか理解されません。
困ったものです。

中沢新一さんの本から、権力のない組織がかつては基本だったということを学び(間違った理解かもしれませんが)、とてもうれしいのですが、最近、関裕二さんの日本古代の新書を数冊一気に読んだら、そこでも「弱い王」と言う概念が出てきました。
なんだか元気づけられます。

私の問題意識の根底には、「組織 vs 個人」という構図があります。
組織のための個人ではなく、個人のための組織でなければいけないと思っていますが、どうも時代はますます組織が主役になってしまってきています。
ボランティアマインドに基づいて生まれた組織でさえ、次第に組織主軸に考えるようになっていきます。
主客が転倒されてしまうわけですが、実にさびしい話です。
ちなみに、お金も組織のひとつです。

トラブルの渦中にいる友人がいささか心配ですが、何やら私まで怒りが強まってきてしまい、そのNPOを糾弾したいくらいですが、そう考えることは私の「ゆるやかな組織」観からすれば矛盾しています。
しかし、私でさえそう思いそうになるのですから、「組織」と言う概念は恐ろしいです。

今日は雨です。
予定のない日なので、退屈で仕方がありません。
朝から気を吸い取られてしまい、何もやる気が起きません。
困ったものです。

ダン・ブラウンの映画でも見ることにしましょう。

 

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2019/06/09

■節子への挽歌4289:相馬霊場全八十八札所めぐり

節子

相馬霊場全八十八札所めぐりと言うのがあることを教えてもらいました。
その出発点は、取手駅近くの長禅寺です。
我孫子に転居した翌年、なぜか家族みんなで初詣にいったところです。
たしか同居を始めた両親も一緒でした。
残念ながら以来一度も行っていませんが、心に残ったお寺です。

そして不思議なことに、相馬霊場全八十八札所めぐりの話を耳にしたときに、すぐ思い出したのが、その長禅寺でした。
これは単なる偶然なのか。
歩いてみろ、と言うことではないのかとちょっと気になっています。

全長80kmだそうですので、鈴木さんの巡礼の話を聞いていたので3日で歩けると思ったのですが、鈴木さんからは1日30kmは無理でしょうといわれました。
たしかに3日ではむずかしい。
でもなんだか歩いてみたい気持ちが日に日に強まっています。

八十八寺を調べてみると、わが家のお墓のある宝蔵院も入っています。
近くのお寺もいくつか含まれています。
お札をお願いするのではなく、まずはいくつかを訪ねてみるところから始めようかと思います。

一人ではいささか心もとないのですが、まあ1日、どのくらい歩けるかも確認してみるのもいいでしょう。
コースの一部には、私が住んでいる我孫子地区もありますので、まずは菩提寺の宝蔵院から一度歩いてみようと思います。
節子がいたら付き合ってくれるでしょうが、意思の弱い私は途中でやめてしまいそうですが、せめて3つくらいは歩けるでしょう。

暑くなく、ほどほどの晴れで、私がその気になる日に結構です。

 

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2019/06/08

■節子への挽歌4288:彼岸を散歩した夢?

節子

最近、またよく夢を見ます。
ただ、目が覚めるとすぐにどんな夢だった思い出せなくなります。
しかし、1日経っても忘れない夢もあります。
昨日の朝見た夢は今でも映像が生き生きと浮かんできます。

それはこんな夢でした。
誰か小さな子供と一緒に散歩に出かけたのですが、元いたところに戻ろうとするのに戻れないのです。
道端で何か仕事をしていた2人の人に会います。
そこで2人にもとの場所に戻りたいというと、この世界では道は常に変化しているからというのです。
「この世界」は、何となく「彼岸」のようです。
たしかにいま来た道を見返ると、先ほどとは全く違った風景になっています。
道が生きていて、常に変化している。
それがとても印象的で、今朝になっても忘れられないのです。

振り返った道は、林の中の一本道で、道沿いに小さな水場も見えました。
以前どこかで見た風景のようでもあり、書物を読んでいて感じた風景でもあり、どこかに見たこともないような緑を感じさせる情景でした。
その情景がいまもまだ残っています。

ちなみに、その夢は、2人の人が元の場所に案内してやると言ったところで、記憶が途絶えています。
たぶん夢の続きでは(私は見ていませんが)、その2人のおかげで、子どもは無事、元の場所に戻れたのでしょう。
しかし、あの子供は誰だったのか。
私が知っている人ではありません。

フロイトの夢判断は、私にはあまり興味はないのですが、夢そのものも一つの実体験と位置付けると世界は豊かになります。
節子がいなくなった後、何回かみた夢があります。
彼岸への電車駅の夢です。

今も記憶に残っているのは、2つの駅ですが、いずれモチベーション地下駅でした。
そして私は記憶では一度もその電車に乗ってはいません。
駅の名前も一時期覚えていましたが、いまは記憶から抹消されています。
不思議な夢で、1か月ほどの間、頻繁に見ましたが、最近は見たことがありません。

節子はよく知っていますが、私は夢と現実をそう分けては考えておらず、夢もまた現実の一部と思っています。
ですから、朝起きて、節子に夢の続きで話しかけたりしたこともあります。
娘には冗談かと思われていますが、節子は必ずしもそうは思っていませんでした。
時にはきちんと受け止めてくれました。
まあ私たちの出会いからして、冗談に近いような不思議な関係でしたから。

昨日の夢は、もしかしたら私がすでに時々、彼岸を訪ねていることを示唆しているのかもしれません。
どこかの時点で、夢と現実が入れ替わる。
そんな体験ができるといいのですが。

 

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■湯島サロン「日本書紀と『天下論』」報告

「日本書紀と『天下論』」のサロンは、増山さんが詳細なレジメを用意してくれたので、それに沿った講座型サロンになりました。
レジメの目次は次の通りです。

1.国学とプロテスタント思想
2.日本書紀と神皇正統記にみる内外(内偈)の典
3.新井白石の「読史余論」にみる天下論
4.日本書紀にハツセベワカタケルによる美人妻強奪事件記事
5.旧約聖書にみるダビデ王の臣下の美人妻強奪事件記事との比較
6.「天下の主」はなぜ要請されたか?
7.「天下の主」を統制するルールとしての律法

話の広がりと独自の視点がわかってもらえると思います。
これだけの内容を、レジメに沿ってとはいえ、増山さんは1時間ほどで話してくれました。

案内でも紹介しましたが、増山さんは、「天下を取る者は天下の萬民に役立つべきである」と言う思想が日本にはあった、そしてその源流は「日本書紀」にあるのではないかと考えています。
今回のサロンでの増山さんのメッセージの柱はそれが一つ。
もう一つは、「日本思想」は世界の中で孤立した思想ではなく、中国はもとより、インド、ユダヤ、ギリシア、メソポタミア、キリスト教など、さまざまな外典思想とつながっているという指摘です。
そうしたことを、エピソードも交えながら、とても具体的に話してくれました。

最後は、「天下の主」、つまり権力を統制するルールとして、モーセの十戒と十七条憲法に言及。
上が下に対して「私」を捨てて和解しないと「公」は形成できないというのが結語でした。
昨今の日本はどうでしょうか。

話し合いに入ってからの話題も興味深いものがたくさんありました。

「日本書紀」は「誰」が「何の目的」でつくったのか、そしてそれは「天下」にどういう影響を与えたのか、明示的には語られませんでしたが、増山さんの話から勝手に解釈すると、「日本書紀」は2度、つくられたような気がします。
一度は、日本という国家制度が完成度を高める時期だった8世紀。
そしてもう一度は、国家が揺らぎだした江戸時代に平田篤胤らの国学者たちによって。
さらに言えば、「令和」騒ぎをしている今は、3度目の日本書紀づくりかもしれないなどという妄想も浮かびました。

私たちが学校で学んできた日本古代史は、いま大きく見直されてきています。
古代における東日本の位置づけも大きく変わってきていますし、人々の生活範囲はかつては極めてグローバルだったという痕跡も明らかになってきています。
「弱い王」と「強い王」という概念も生まれてきていますし、国家概念も近代国家とは本質的に違うことが明らかになってきています。
そうしたことを踏まえて日本書紀を読みなおすといろんな謎が解けてきます。
「日本書紀」が作られた経緯、あるいは「日本書紀」が利用された経緯を考えていくと、天下論というか、国家論につながっていきます。

政治人類学者のピエール・クラストルは、「国家に抗する社会」という本で、「「国家」を形成する社会では言葉は権力のもつ権利であるのに対し、「国家」なき社会では逆に、言葉は権力の義務なのだ」と書いています。
国家の正史としての「日本書紀」が天下に与えた影響力は大きいですが、同時にそこにたくさんの異伝、異説も「一書に曰く」として注記されています。
増山さんはキリスト教の「聖典」化運動のこともかなり詳しく紹介してくれましたが、そのことと重ねて考えると、こうしたことも「天下論」に大きな示唆を与えているように思います。

話し合いでは、「言語」を含む「ミーム」と民族のDNAなど、とても大きな話題もでましたが、現在の問題として、天下をどう捉えるかという点に関しては、現在の政治状況への失望感の呪縛からか、議論は深められませんでした。
しかし、「天下を取る者」の使命を考えることで、昨今の政治状況の本性が見えてきて、私たちがいま心がけなければいけないことにも気づかされます。

増山さんの該博な知識と独自のお考えは、1回だけのサロンでは消化できませんでしたが、たくさんの論点や示唆が出されたサロンでした。

参加者のおひとりが、「体制に絡め取られていない何かの代名詞で表現されることを嫌う“I am!な”男たちの談論風発に心地よい刺激を受けました」とコメント寄せてくれました。
サロンのホストとしては、とてもうれしいコメントです。

詳細なレジメがありますが、関心のある人はご連絡ください。
増山さんの了解が得られれば送らせてもらいます。

 

 

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2019/06/07

■節子への挽歌4287:沢蟹との同居への期待

節子

今日は午後から少し肌寒さを感ずるようになりました。
本を読もうと思っていましたが、読んでいるうちにねむくなってしまいました。
最近、夜中に目が覚めてしまい、寝不足なのです。
30分ほど昼寝をしようと思ったら、なんと2時間近く寝てしまいました。
まあ今日は、お天道様も雲の向こうなので許されるでしょう。

さらに目が覚めてからも、だらだらとテレビを見てしまいました。
私はどうも暑い方が活動的になれるようです。
うっとうしい雲空を見ると何もやる気が起きてきません。
困ったものですが、どうしようもありません。

広島に帰郷している友人が、いまは空き家になっている生家の庭にいる沢蟹の写真を送ってきました。
実にうらやましい。

節子もよく知っているように、私はなぜか沢蟹が大好きで、できれば同居したいと思っています。
狭い庭に、そのために家族の反対にもかかわらず池をつくりましたし、これまで何回か沢蟹を飼う試みもしました。
しかしうまくいきません。
しかし、今日、友人が送ってきた沢蟹は元気そうで、うまくいけば定着に成功しそうです。
もっとも、放し飼いを目指していますので、そう簡単ではないでしょう。
しかし、何とかして友人に10匹くらい連行してもらえないかと頼みました。
適えてもらえるといいのですが。

いま、わが家のリビングには、家の中で孵化したカマキリの子どもが同居しています。
今朝も食事をしていたら、腕に這いあがってきました。
小さくて存在感がないので、注意しないと踏み潰しかねません。
同居するなら、カマキリよりも、やはり沢蟹のほうがいいです。

ちょっと希望が出てきました。

 

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■節子への挽歌4286:人生は振り返るものではありません

節子

「11匹のネコ」を覚えていますか?
ばばのぼるの絵本です。
娘たちに買ってやった絵本ですが、1冊だけ残っていました。
それを孫のにこが気に入ってくれたので、6冊セットを孫にプレゼントすることにしました。
それが今日、届きました。

節子が子どもたちに読んでいた絵本の何冊かは今も残っています。
娘が持っているものもあります。
私は、孫に本を読み聞かすことはしませんが、節子ならきっとするでしょう。

娘たちと「11匹のネコ」を読んでいたころが、もしかしたら私の人生が一番平安だったころかもしれませんが、節子は、子育てなどで、むしろ大変だったかもしれません。
人生は、振り返るときに、その時期の意味が分かってきますが、だからと言ってどうしようもありません。
だから振り返るべきではないでしょう。

しかし、人生を思い出してしまうこともあるものです。
この本が届いたおかげで、ちょっと昔をいろいろと思いだしてしまいました。
雨の日に人生を振り返るとなんだか感傷的になってしまいます。

 

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■湯島サロン「お墓の活かし方をみんなで話しあいませんか」のお誘い

今回の「死の視点から生き方を考えよう」サロンは、お墓と供養をテーマにします。

お墓に関しては、一度、Q&A方サロンでもとりあげ、篠田石材工業代表の篠田さんにお話ししていただきましたが、今回はさらに一歩進んで、お墓を活用して供養を深め、自らの生き方にもつなげていくことはできないかを、みんなで考えてみたいと思います。

現在では、多くの人はお彼岸やお盆などの機会にお墓参りに行くことが中心でしょうが、せっかくのお墓であれば、もっといろんな機能が果たせるのではないか。
つまり、お墓の活かし方について自由に話し合えればと思います。
そこからもしかしたら、新しいお墓のあり方のヒントが見えてくるかもしれません。

お墓は人をつなげる機能も持っています。
かつては、墓地は共同体の要でもありました。
先祖とのつながりはもちろんですが、それだけではなく、仲間や知り合い、思いを同じくする人たちをつなげる機能を持っています。

お墓ではありませんが、最近起こった不幸な交通事故で亡くなった人のところには、たくさんの人が献花に行っています。
テレビで報道されるたくさんの花束を見て、お墓を改めて見直せないかと思います。
人とのつながりが弱まってきている、いまのような時代だからこそ、「お墓」あるいは「お墓システム」を活かしてできることは、たくさんあるように思います。
そんなことを、みんなで話し合えればと思っています。

今回も篠田さんと中下さんには参加していただき、話し合いに参加していただきます。
篠田さんは、100年を超える老舗の石材店の経営者で、お墓を通して、社会の変化や死生観の変化も見てきている人です。

前回参加できなかった人は、お墓にまつわるいろんな疑問も気楽に質問してもらえる時間も作ります。
前回同様、お墓を考えることを通して、生き方を考えるような場にもしたいと思っています。

ぜひ多くの人に参加したいと思っています。

〇日時:2019年6月29日(土曜日)午前10時~12時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf

〇ゲスト:篠田雅央さん(篠田石材工業代表取締役)
〇テーマ:「お墓の活かし方をみんなで話しあいませんか」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌4285:雨の中の畑仕事

節子

久しぶりの雨です。
昨日、畑に野菜を植えましたが、今朝もまた畑に行って、自宅の苗床で育っていたレタスやメロン?も植えてきました。
しかしやはり開墾作業がしたくなり、端っこのやぶ状況のところにまで開墾を進めました。
そこには、ユカが以前植えた、アーティチョークが大きく育っているのですが、その界隈はまだ放置されていたのです。
そこまで開墾が進んだということはほぼ全域が開墾されたということです。

ところが、ここに来年、もしかしたらいえがたつことになりそうです。
そうであれば、これまで開墾して畑もすべて宅地になってしまい、畑作業は続けられなくなるわけです。
ですから、せめて今年は総仕上げとして、畑の成果を上げておきたくなりました。
畑の小作人作業が卒業できるかもしれません。
いろんな挿し木も根付いてきたので、それはちょっと残念ではあります。
しかし、人生とはそんなものでしょう。

そんなわけで今日は、雨が降ってきたのですが、作業を続けました。
畑からもし何かを収穫しようと思えば、急がないといけません。
雨の中の畑作業。
はじめての経験ですが、これもまたいいものです。
と言っても、ひ弱な小作人としては、雨が本格的に降ってきたので退散してしまいました。

雨が降ると、畑の小作人には読書が許されます。
さて、何を読みましょうか。
ちょうど楽天で頼んでおいた本が届きました。
「人類の起源、宗教の誕生」、対話をまとめた新書なのですぐ読めるでしょう。
読み終わったら、一昨日のサロンの報告を書こうと思います。

まあ、こうした予定は、まもれたためしはないのですが。

 

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2019/06/06

■節子への挽歌4284:畑の葵が咲きました

節子

真夏のような暑さでしたが、夕方から畑に行きました。
畑でもない空き地の開墾作業をしていましたが、だいぶ畑らしくなってきました。
ところが開墾作業が面白くて、肝心の野菜を植えるのには関心が向いていませんでした。

昨日、サロンに来た瓜生さんから畑で育ったじゃがいもをもらいました。
それに刺激されて、今日は何種類かの野菜を購入してきて、植え付けました。
第一陣はトマトとなす以外はだめだったのですが、今度はきちんと水やりにも行こうと思います。
道路沿いにあった自生の葵を移植したのですが、うまく咲き出しました。
花壇はいろんな種を蒔きましたが、なかなか芽が出てきません。

開墾作業は時間がたつのを忘れるほど面白いです。
土や植物との話は、人間との話よりも楽しいからです。
節子と話すのよりは楽しくないですが。

今日は異様に元気なトカゲにも会いました。
鍬で土を耕していたら、出てきたのです。
トカゲも土中にいるので、気を付けないといけません。
最近は蛇がいなくなってしまい、もしかしたら今日のトカゲが新しい畑の守り神かもしれません。
私の趣味には合わない派手なトカゲでしたが。

気が付いたら7時を過ぎて、薄暗くなっていました。
ユカから食事だよと連絡を受けて、急いで帰りました。

かろうじて葵の写真だけは撮れました。

Aoi

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■節子への挽歌4283:幸せに出会うたびに、同時に悲しみにも出会う

節子

近くのスーパーの売り場に、孫のにこが、「父の日」に書いて応募した絵が掲示されているというので、娘の買い物に付き合ってみてきました。
節子がいたら間違いなく見に行ったでしょうから。
それでご丁寧にも写真を撮ってきました。
思ったよりも上手に書かれているように思いましたが、これもたぶんかなりの贔屓目なのでしょう。

Nikonoe

こうした、ささやかな幸せを節子は楽しめないと思うと、ちょっと申し訳ない気もします。
遺された者は、幸せに出会うたびに、同時に悲しみにも出会う。
そこからはもう抜け出せないでしょう。

孫の絵を見ることであれば、まああまり大きな話ではないのですが、大きな幸せに出会うとたぶん悲しみも大きいでしょう。
そう思うと、幸せ願望や喜び願望は薄れてしまいがちです。
そのため、次第に生き方がどうしても控え目になっていくわけです。

孫はちょこちょこわが家にやってきます。
節子への挨拶も欠かしませんが、節子は孫の様子を楽しんでいるでしょうか。

 

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■節子への挽歌4282:久しぶりの山下さん

節子

昨日、北九州市の中島さんから電話がありました。
中島さんはもう市役所を退職され、いまは児童文化科学館の館長です。
中島さんは、ちょっと待ってくださいと言って、誰かに電話を渡されたようです。
もしかしたら、と思ったのですが、まさにその「もしかしたらの人」でした。
収入役だった山下さんです。
この数年、交流が途絶えていました。

私が北九州市とつながり、仕事をさせてもらったきっかけは、山下さんでした。
会社時代に、人を介して、山下さんは私に会いに来ました。
当時、私は東レでCI(コーポレートアイデンティティ)のプロジェクトに取り組んでいました。
ほかにも東京都のCIプロジェクトの委員もさせてもらっていました。

山下さんは、北九州市でもCIに取り組むことになり、その責任者になったのです。
そして当時はちょっと目立って活動していた私のところに話を聞きに来たのです。
それが縁で、私も何回か北九州市に行きました。
そこから山下さんとの付き合いが始まりました。

節子の親しい友人が北九州市にいたこともあって、一度、節子と北九州市を訪問した時、山下さんはわざわざ自分の車で、私たちを案内してくれました。
とても気さくで、当時は仕事の合間に、アルプスに登ったりするアルピニストでもありました。

節子がいなくなって、一時期、私はほとんどの付き合いをやめてしまいました。
友人知人と付き合うのが、とても億劫になった時期があるのです。
山下さんとの付き合いはその後も続いていましたが、最近は九州に行く機会もなく、しばらく交流が途絶えていました。
ですから数年ぶりに聞く声でした。

山下さんが思ってもいなかったことを言い出しました。
1年前に奥様を亡くされたというのです。
それでしばらく喪に服していたが、1年たったので、仲間の集まりに久しぶりに顔を出したというのです。
そこで中島さんに会ったわけです。
中島さんは、私が山下さんと親しいのを知っているので。電話をかけてくださったのです。

山下さんは、しかし以前のように、お元気そうでした。
現世でもう一度会っておきたいので、東京にもまた行くといってくださいました。
私ももう一度、北九州市にはいきたいと思っています。
会いたい人がたくさんいますので。

久しぶりに山下さんと話す機会をつくってくれた中島さんには感謝です。
そういえば、中島さんは川柳や俳句をやっています。
1週間ほど前に、「佐藤さんも俳句をやりませんか」とメールが来ました。
返事をしていませんでしたので、電話を借りて、俳句はパスしますと伝えました。
節子がいたら、私も俳句に付き合わされていた可能性がありますが、どうも私には苦手です。
中島さんは、文化人なのです。

久しぶりに山下さんとお話しして、いろんなことをどっと思い出しました。
あのころは、毎日、輝くようにわくわくしていました。
いろんな人たちの顔が浮かんできました。

私も老いました。
もう一息です。

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2019/06/05

■節子への挽歌4281:徳之島コーヒーを飲みたいのであと5年現世に言います

節子

またまた今日も不快なメールが朝から届いています。
ますますNPO嫌いになりそうです。
困ったものです。
でもまあ、そんなことに振り回されてはいけません。

メールが来るとすぐに即応してしまい、後で反省するのですが、今朝もまた、即反応してしまいました。
相手はきっと驚いているでしょう。
それにしても、いまの社会の常識と私の常識はあまりにも違いすぎるのかもしれません。
毎朝、メールチェックをするのがよくないのかもしれません。

節子がいたころは、まずは節子に話して、気分を客観視することができましたが、いまはそれができません。
それで時々、失敗をしてしまいます。
それがなかなかなおらない。

しかし、うれしいメールも届きます。
今朝届いたメールで、あと5年、彼岸に行くのをやめようと思います。
まあ、節子とは別に彼岸に行かなくても一緒ですので、良いでしょう。

そのメールは、徳之島に帰郷している平山さんからのものです。

徳之島コーヒーを物色して居りますが、コーヒー農園を造って苗を相当数植栽したらしいですが、台風で全滅したとのことです。
現在は、自然山林の中に植栽して、増やしている最中です。
後、5年はかかりますね。

私は、こういうコーヒーこそ飲みたいです。
あと5年生きないといけません。
彼岸に行ったら、自然と共生している徳之島コーヒーが飲めませんので。

 

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2019/06/04

■節子への挽歌4280:サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメン

節子

今日、午後に相談に来た人は、昼食を持ってきてくれました。
どうせお昼は食べていないでしょう、と言って、サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンと言うメニューです。
長生きしてもらいたいので、カップラーメンの汁は飲んではだめだといわれましたが、久しぶりに食べたせいか、全部飲み干してしまいました。

それにしても、サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンは多すぎるのですが、好意にはしっかりと応じないといけないので、しっかりとみんな食べてしまいました。

なんだか私が昼食も食べられないほど貧窮していると思われているのかもしれません。
たしかに現金はないのですが、私は決して貧窮はしていません。
お腹を空かすことは多分ないですので、ご心配なく。
それに間もなく私が耕している畑の野菜が成りだすと思いますので、決して貧窮などしないでしょう。

ただこの時期、納税などで何かとお金がかかるため、まあそれなりに苦労はないわけではないのですが、お金に困ったこともないのです。
不思議となんとかなるのです。
もっとも今年はちょっと厳しい状況ですが。
それで先月は宝くじを買いましたが、まだ順番が来ていないようではずれでした。

サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンを持ってきてくれた人の相談には、全面的に協力することにしました。
一飯の恩義にはやはりきちんと応じなければいけません。

その人は、実は昔、私に「佐藤さんは仕事に値段をつけないからお金が入らないのです」と忠告してくれたことのある人です。
1時間5万円の根付けの弁護士のように、有料にしていたらきっと今頃は不幸になっていたでしょう。
自分の行為に値段をつけるようなみじめな生き方はしたくありません。

やはり何の役にも立たないお金よりも。空腹を回避できるサンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンのほうがうれしいような生き方をこれからもしたいと思います。

 

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■節子への挽歌4279:人との付き合いは疲れるものです

節子

いささか深刻になっているあるグループの人を元気づけるために、湯島で会いました。
元気づけるつもりが、もしかしたら傷つけたかもしれません。
人との付き合いは難しいです。

その人も、周りにいる問題に直面している人に誠実に対応してきている人です。
ところがなぜかいま、批判の矛先が彼女に向かっています。
もう疲れ切っている感じなのですが、頑張りすぎているように見えてしまいます。

話をしていて、彼女がもう人との付き合いに疲れたというのです。
たしかに人との付き合いは、誠実であればあるほど、疲れるものです。
しかし、そもそも人との付き合いとは疲れるものだと思えば、割り切れるものです。
疲れは慣れれば慣れるものです。

その人の立場になってとか、寄り添ってなどときやすく言う人もいますが、そんなことができるはずはありません。
私は、ただ人間として真剣に対応することしかできません。
それが逆に時々、相手を傷つけてしまうわけです。
困ったものです。
でもまあわかってもらえるでしょう。

今日は、めずらしくちょっとうれしいメールが届きました。
節子もよく知っているTさんがまた新しい仕事を引き受けたという報告です。
彼女の世界もどんどん広がっています。
にもかかわらず、こうして報告してきてくれる。

多くの人は、困ったときには湯島に来ますが、うまくいき出すと来なくなるのです。
それに比べ、Tさんのような人がいるのは私には大きな救いです。

今日もまた3つのことでかなり疲れた1日でしたが、Tさんのおかげで少し報われた気がします。

 

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■節子への挽歌4278:今日も暑いです

節子

とてもいい気候になったのですが、どうも気が晴れません。
私は、人を信ずるところから、人との付き合いを始めます。
時に、その信頼が裏切られることがありますが、それでも信じ続けます。
そのため底なし沼のように、悪夢に引き込まれたこともありますが、それでも信頼できると思い続けて、付き合いを続けるように努力します。
そうやって長いこと生きてきました。

人はみんな、誰かの役に立ちたいと思っていると、私はずっと思っています。
役に立てたときのうれしさをみんな求めている。
しかし、人の役に立つることは難しいと思っている人も多い。
さらに、他者の役に立つことは、自らにとっては損失だと思い込んでいる人が多い。
他者のことなど思いやる余裕はない、などと思い込んでいる人もいます。

他者に役立つことは、実は一番自分にとって役立っているのです。
他者のことなど思いやる余裕がないといっている人は、実は他者のことで余裕をなくしています。
なぜなら人は一人では生きておらず、他者と共にあるからです。
そういう意識や生き方を壊してきたのが、近代科学であり近代国家制度です。
そこから抜け出ないと、人は本来の自分に戻れない。

ですから、私は制度に呪縛されないように、自分を素直に生きようとしていますが、戸惑い不快に思い、怒りや失望を感ずることが多いのです。
石器時代、あるいはせめても縄文時代に戻れればと思います。

とまあこんなことを今朝は思いながら置きました。
いい気候と言うよりも、真夏の朝のようです。」

 

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2019/06/03

■節子への挽歌4277:善悪が分かりにくい社会になりました

節子

どうも気が晴れないことが多くて困っています。
最近はみんな少しおかしくなってきているのではないと思いたいほど、いろんなことが起こります。
しかもそれがどうもすっきりと解決しない。
そんなことが、いろんな事件となってしまうような気もします。

無抵抗な子どもたちに向けての殺傷事件や、息子がそうならないようにと自分の息子を殺害してしまう事件。
悲しい事件が頻発しています。
私が子どもの頃とは社会の質が全く変わってしまったような気がします。
そうした社会の変質は、私とも無縁ではありません。
私の周りでもおかしなことがあまりに多い。

昨日もある人からある相談を受けました。
こんなことがあるのだけれどどうしたものかという話です。
市民活動に関することなのですが、とんでもない話が数十年にわたって続いていて、いろんな人がおかしいと思いながらも何もできていないというような話です。

いまの安倍首相もまあ似たようなものだと思いますが、いまやそれが日本国中に広がっているような気もします。
国家の首相が憲法を無視し、自分の私欲で好き勝手をやっている状況では、小さな市民活動もそうなってくるのでしょう。
公的なものがどんどん私物化されているような気がしてなりません。

相談してくれた人は、その問題を告発するそうですが、どうせ告発するならはっきりとやってほしいですが、どうもそう簡単でもなく、やんわりとした問題提起に終わりそうです。
もしかしたら、その問題になっている人は、私も胃炎一度会ったことがある人かもしれません。
もしそうなら地域でも活動してきていた人です。

だいたいにおいて正義を標榜したり社会のためなどと言ったりしている人ほど、社会を私物化するものですが、市民活動を長年している人が陥りやすい落とし穴です。
節子がいたらどうしたでしょうか。

まあこれはほんの一例。
腹立たしいことが山のようにあって、心の平安を維持するのはむずかしいです。
そんな社会に生きることに、強い嫌悪感を時々持ちます。

今日はすっきりしない1日でした。
節子がいたらきちんと具体的に話せるのですが、中途半端なことしか書けずに、ますますストレスが高まりそうです。

 

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2019/06/02

■節子への挽歌4276:我孫子まちづくり編集会議がゆっくりテイクオフできそうです

節子

我孫子まちづくり編集会議の定例会でした。
今回、新たに3人のメンバーが参加されました。
手賀沼の見える水の館でミーティングを開きました。
意識も少しずつそろいだしてきたので、そろそろ組織化に向けて動き出そうと思います。

Img_20190602_145428

今日は飛び入りに近い人が参加されました。
会社の経営者でありながら、俳優業もやっているという、実に魅力的な人です。
初対面でしたが、すっかり親しくなったような気がする人でした。
手賀沼でねぶた祭りをやりたいという思いをお持ちのようです。
実にいい。
2年以内に実現してほしいと頼みました。
私が逝く前に、です。

取手の長禅寺を起点とした新四国相馬霊場八十八ヶ所を歩いてみようというプロジェクトも始まるかもしれません。
ゆっくりと進めてきた甲斐がありました。

 

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2019/06/01

■節子への挽歌4275:室内でカマキリが孵化したようです

節子
問題が発生しました。

わが家のリビングの天井に小さな点がたくさんできてしまいました。
よく見ると、なんと孵化したばかりのカマキリの子どもたちです。
それに気づいたユカから、そういえば以前、カマキリの巣をもってきたけれどどうしたのか、と詰問されました。
そういえば、それをリビングに隣接する土間のどこかに置いていたような気がします。
それが孵化して、いまリビング全域に広がっているのです。

なんとかしないと餓死してしまいます。
さてどうするか。
一匹ずつ捕まえて外に出そうと思い、少しチャレンジしましたが、なにしろ天井にいる小さな、しかも実にか弱い生物なので、簡単ではありません。
むしろ自然と外に出てくれるのを祈るばかりです。

フェイスブックに書いたら、節子もよく知っている平井さんが、カマキリの育て方を教えてくれました。
魅力的ですが、生命を飼育するのはそう簡単ではありません。
メダカでさえ死んでしまいますので。
いやはや困ったものです。

家の中に小さな自然をつくるのは私の夢でした。
節子は反対でしたが、私のそういう思いを一番受け入れ、反対しながらも時々協力してくれました。
しかし、考えてみると、それは反自然的なことでした。
家の中で沢蟹やホタルやキリギリスが死んだこともありました。
いまから考えれば、反省することがたくさんなります。

とはいうものの、いまもまだ、できることなら、そうした自然的な空間で暮らしたいと思っています。
そこでいつもながらの短絡思考ですが、宝くじを買おうと思います。
当たったら、いろんな生き物と共棲する家を実現したいです。
いまはゴキブリや蚊や蟻くらいしか、一緒に暮らしてはいませんので。

 

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■節子への挽歌4274:初夏を感じさせる青い空の朝

節子

もう6月です。
あの年の6月を思い出すとまた気が落ち込みそうなのですが、今朝は気持ちのいい朝です。

昨日から読み出した「国家に抗する社会」はほぼ読み終わりました。
朝起きて、畑に行こうと思ったのですが、もう少しで読み終わるので、ついつい読んでしまい、畑に行きそこなってしまいました。
「国家のない社会」が存在する、そのことを今はみんな忘れています。
民族自決などという、ばかげたスローガンにみんな洗脳されてしまっているわけです。
一人の人間として、仲間と一緒に暮らすことの幸せはもう取り戻せないのかもしれません。
いささかのさびしさを感じますが、そう考えると、生きていることもそう魅力的なことではない気がします。

いささか唐突ですが、今朝、起きた時に感じたのは、節子の人生は幸せだっただろうかと言うことです。
そして、その幸せに、私は少しは荷担できただろうかと思いました。
なぜそんなことを思ったかはわかりませんが、突然に心に浮かんできました。
それほど今日は、気持ちのいい朝です。

節子の人生は、少なくとも私の人生よりも幸せだったと思います。
最後まで、愛されていたからです。
愛される人たちに囲まれて人生を全うした。
そういう生き方ができる人は、そう多くはないでしょう。

なんだか自己正当化のような気もしますが、そんなことを考えながら目が覚めて、本を読みました。
この初夏を感じさせる青い空の朝が、私にはちょっと苦手なのです。
あの年のことを、どうしても思い出させられるからです。

昔は大好きだった夏が始まります。

 

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