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2019/06/25

■湯島サロン「石牟礼道子から水俣を考える」報告

岡和田晃さんの「石牟礼道子という表現運動」(河出書房新社版ムック『石牟礼道子 さよなら不知火海の言霊』収載)を切り口にしたサロンには、11人の参加がありました。

Okawada190622

最初に参加者それぞれのこのテーマへの関心が簡単に表明されました。
みんなそれぞれに「水俣」への思いがあると思いますが、私も含めて、やはり水俣は過去のことになってしまっていることを感じました。

岡和田さんのメッセージは、一言で言えば、石牟礼道子さんは「殿堂入り」したが、水俣病そのものは過去の話として忘れられようとしている。それでいいのか。
そして、水俣病をめぐる「体験」や「闘争」を、「もやい直し」やスピリチュアルなサブカルチャーへと進めるのではなく、いままさに蔓延しだしている差別問題に目を向ける契機にし、改めてその意味を問い直すべきではないか、と。
私にはそう受け取れました。
論文では、石牟礼文学を脱政治化することへの懸念も示されていますが、それは同時に「政治」とは何かという問いかけのようにも感じていました。

サロンは、岡和田さんの問題提起の後、ゼミ形式で進められました。
ところが、最初に問いかけられたのは私でした。
岡和田さんの論文への感想です。
思ってもいなかった問いかけに、私は意表を突かれて、しどろもどろで応じてしまいました。
いつも気楽にみんなの話を聞いていたのですが、今回はどうも成り行きが違いました。

岡和田さんの問いかけに、私は水俣の語り部だったはずの石牟礼さんが主役になってしまい、水俣の生々しい現実がむしろ見えなくなってしまっていることに気づかされた。
しかし、自分が何をすればいいかの答えがなかなか見つからなかったと答えました。
私にとって、理解するということは意識や行動が変わるということですが、どう変わればいいかが見つからなかったのです。
それで、水俣は自分にとっていったいなんなのか、を改めて考えようと思いました。
今回、岡和田さんの話を聞いて、かなり理解できました。

ゼミでは先生への質問は許されるのかどうか知りませんが、窮鼠猫をかむように、「岡和田さんにとっての水俣はなんですか」と逆質問もしてしまいました。
さすがに先生。岡和田さんはその問いを参加者にふりながらゼミを進めましたが、そこでもやはり「水俣」は「過去の話」になっているような気がしました。

もちろんそれぞれのみなさんの今の活動や生き方にもつながっていることは間違いありません。
たとえば、沖縄から参加してくださった方は辺野古の話をし、福島にも関わっている人はスピリチュアルケアの話をしました。

チッソへの反対運動の主役だった被害者の緒方正人さんの「チッソは私であった」という本も話題になりました。
対立ではなく、自らの生き方も含めて、水俣からのメッセージを受け止めることが大切だという緒方さんの生き方に共感していた私は、岡和田さんの論考を読んで、問題を普遍化することの危険性に気づいたのですが、普遍性と個別の問題も話題になりました。

石牟礼さんの「苦海浄土」は、そこでの言葉づかいからして極めて地域に根付いた物語になっていて、日本全体の問題としては書かれていません。
それが生々しさを生み出す一方で、自分の生活とは切り離された「一地方の問題」と位置づけることを容易にしています。
その点が、同時期に話題になった井上光晴の「階級」とは違うと岡和田さんは言います。

万葉集サロンをやってくれている升田さんが、石牟礼さんはコトバの力で「異界」を生み出しており、安易に共感するとその浅さを見透かされてしまうようで怖さがあると話されました。
自分とは隔絶された異界を感ずる。しかし、そこから別の異界も含めて、自分の世界を広げていくことができる、とも言いました。
そして、折口信夫の「うぶすな」と「浄土」の話もしてくれました。

私自身は、異界からのメッセージとして強い問題提起をしていた水俣が、次第にその普遍性が可視化されることによって、問題発信力を弱めてきていることを、岡和田論文から気づかせてもらったのですが、どうもこの問題は一筋縄ではいかないようです。
「苦海」と浄土の話も含めて、もう少し考えたいと思います。
「苦海浄土」という言葉にも議論が行きました。

示唆に富む話はまだいろいろとありますが、どうもうまくまとめられません。
幸いに当日の映像記録がありますので、ご関心のある方はご連絡ください。
参加者は無条件に、参加されなかった方は、岡和田さんの了解が得られたらご本人限定でお見せできるかもしれません。

ところで、水俣とは直接関係ないのですが、岡和田さんの次のような2つの発言がとても印象的でした。
どうして文芸批評を続けているのかというぶしつけな私の問いに、岡和田さんは、もう少しましな社会になってもらわないと自分の居場所もなくなりそうだから、と応えてくれました。

しかし、文芸批評を読んでくれる人は少ないでしょう、とさらにぶしつけな問いをすると、多いか少ないかは考えようで、今日も11人の人が集まってくれたが、私はこれを「多い」と思う、と応えてくれました。
こんなに共感できるコトバを聴けるとは思ってもいませんでした。
指名されてうまく応えられずにしょげていた劣等生としては、すごく元気づけられる言葉でした。

ちなみに、ゼミ形式の魅力を感じました。
湯島のサロンでは、これから時々、ゼミサロンを企画したいと思いました。
岡和田さんにはまたぜひゼミを開いていただきたいと思います。

いつもながら中途半端な報告ですみません。

 

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