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2019/06/08

■湯島サロン「日本書紀と『天下論』」報告

「日本書紀と『天下論』」のサロンは、増山さんが詳細なレジメを用意してくれたので、それに沿った講座型サロンになりました。
レジメの目次は次の通りです。

1.国学とプロテスタント思想
2.日本書紀と神皇正統記にみる内外(内偈)の典
3.新井白石の「読史余論」にみる天下論
4.日本書紀にハツセベワカタケルによる美人妻強奪事件記事
5.旧約聖書にみるダビデ王の臣下の美人妻強奪事件記事との比較
6.「天下の主」はなぜ要請されたか?
7.「天下の主」を統制するルールとしての律法

話の広がりと独自の視点がわかってもらえると思います。
これだけの内容を、レジメに沿ってとはいえ、増山さんは1時間ほどで話してくれました。

案内でも紹介しましたが、増山さんは、「天下を取る者は天下の萬民に役立つべきである」と言う思想が日本にはあった、そしてその源流は「日本書紀」にあるのではないかと考えています。
今回のサロンでの増山さんのメッセージの柱はそれが一つ。
もう一つは、「日本思想」は世界の中で孤立した思想ではなく、中国はもとより、インド、ユダヤ、ギリシア、メソポタミア、キリスト教など、さまざまな外典思想とつながっているという指摘です。
そうしたことを、エピソードも交えながら、とても具体的に話してくれました。

最後は、「天下の主」、つまり権力を統制するルールとして、モーセの十戒と十七条憲法に言及。
上が下に対して「私」を捨てて和解しないと「公」は形成できないというのが結語でした。
昨今の日本はどうでしょうか。

話し合いに入ってからの話題も興味深いものがたくさんありました。

「日本書紀」は「誰」が「何の目的」でつくったのか、そしてそれは「天下」にどういう影響を与えたのか、明示的には語られませんでしたが、増山さんの話から勝手に解釈すると、「日本書紀」は2度、つくられたような気がします。
一度は、日本という国家制度が完成度を高める時期だった8世紀。
そしてもう一度は、国家が揺らぎだした江戸時代に平田篤胤らの国学者たちによって。
さらに言えば、「令和」騒ぎをしている今は、3度目の日本書紀づくりかもしれないなどという妄想も浮かびました。

私たちが学校で学んできた日本古代史は、いま大きく見直されてきています。
古代における東日本の位置づけも大きく変わってきていますし、人々の生活範囲はかつては極めてグローバルだったという痕跡も明らかになってきています。
「弱い王」と「強い王」という概念も生まれてきていますし、国家概念も近代国家とは本質的に違うことが明らかになってきています。
そうしたことを踏まえて日本書紀を読みなおすといろんな謎が解けてきます。
「日本書紀」が作られた経緯、あるいは「日本書紀」が利用された経緯を考えていくと、天下論というか、国家論につながっていきます。

政治人類学者のピエール・クラストルは、「国家に抗する社会」という本で、「「国家」を形成する社会では言葉は権力のもつ権利であるのに対し、「国家」なき社会では逆に、言葉は権力の義務なのだ」と書いています。
国家の正史としての「日本書紀」が天下に与えた影響力は大きいですが、同時にそこにたくさんの異伝、異説も「一書に曰く」として注記されています。
増山さんはキリスト教の「聖典」化運動のこともかなり詳しく紹介してくれましたが、そのことと重ねて考えると、こうしたことも「天下論」に大きな示唆を与えているように思います。

話し合いでは、「言語」を含む「ミーム」と民族のDNAなど、とても大きな話題もでましたが、現在の問題として、天下をどう捉えるかという点に関しては、現在の政治状況への失望感の呪縛からか、議論は深められませんでした。
しかし、「天下を取る者」の使命を考えることで、昨今の政治状況の本性が見えてきて、私たちがいま心がけなければいけないことにも気づかされます。

増山さんの該博な知識と独自のお考えは、1回だけのサロンでは消化できませんでしたが、たくさんの論点や示唆が出されたサロンでした。

参加者のおひとりが、「体制に絡め取られていない何かの代名詞で表現されることを嫌う“I am!な”男たちの談論風発に心地よい刺激を受けました」とコメント寄せてくれました。
サロンのホストとしては、とてもうれしいコメントです。

詳細なレジメがありますが、関心のある人はご連絡ください。
増山さんの了解が得られれば送らせてもらいます。

 

 

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