■節子への挽歌4283:幸せに出会うたびに、同時に悲しみにも出会う
節子
近くのスーパーの売り場に、孫のにこが、「父の日」に書いて応募した絵が掲示されているというので、娘の買い物に付き合ってみてきました。
節子がいたら間違いなく見に行ったでしょうから。
それでご丁寧にも写真を撮ってきました。
思ったよりも上手に書かれているように思いましたが、これもたぶんかなりの贔屓目なのでしょう。
こうした、ささやかな幸せを節子は楽しめないと思うと、ちょっと申し訳ない気もします。
遺された者は、幸せに出会うたびに、同時に悲しみにも出会う。
そこからはもう抜け出せないでしょう。
孫の絵を見ることであれば、まああまり大きな話ではないのですが、大きな幸せに出会うとたぶん悲しみも大きいでしょう。
そう思うと、幸せ願望や喜び願望は薄れてしまいがちです。
そのため、次第に生き方がどうしても控え目になっていくわけです。
孫はちょこちょこわが家にやってきます。
節子への挨拶も欠かしませんが、節子は孫の様子を楽しんでいるでしょうか。
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