■節子への挽歌4293:すべては「心」の微妙な動きの結果
節子
真夏のような日が続いた後、時間が2か月戻ったような気候です。
冬から迎えたのであれば、きっと「快い朝」なのでしょうが、真夏のような連日からの今朝は、寒い朝に感じられます。
かくのごとく、季節の感じ方は、状況によって大きく変わります。
これは気温だけの話ではないでしょう。
あるいは季節だけでもない。
人生をどう生きてきて、その事件がどういう状況で起こるかで、その意味合いや感じ方は大きく違います。
「幸せ」によろこぶこともあれば、「不幸せ」になげくこともある。
これもまた昨日書いたように、すべては「心」の微妙な動きの結果です。
そこに「不幸」や「幸福」があるわけではない。
だからこそたぶんどう生きるかが大切です。
節子は闘病を通して、そうした平常心に出会ったように思います。
別れは悲しい、しかしそれはもしかしたら「いっとき」のこと。
そして、悲しみもまたよろこびの一面かもしれないと思えないこともありません。
寒さがあって暑さがあり、涼しさがある。
いろんなことがあるのが、人生の豊かさかもしれません。
昨夜もまた夢で目が覚めました。
不思議と目が覚めても忘れませんでした。
少しだけ反芻しました。
夢のなかで教えられることや学ぶことが多くなってきました。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント