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2019/06/27

■百田尚樹現象

家族みんながお世話になっている、いしど歯科クリニックから帰ってきた娘が、私にと石戸さんから雑誌を預かってきました。
雑誌は、64日号のNewsweekでした。
特集が、「百田尚樹という社会現象」。表紙は百田尚樹さんの顔。

百田さんには大変失礼なのですが、この顔を見たとたんに拒否感が生じます。
むかし私は朝日新聞社のアエラを購読していましたが、表紙に麻原彰晃の写真が載ったのを契機にアエラの購読をやめました。
雑誌や書籍の表紙は、そのくらい私には大きな影響を与えます。
ですから、石戸さんからでなければ、私はこの雑誌を読むことはなかったはずです。

なぜ石戸さんは私にこの本を届けたのかは、すぐ察しがつきました。
前回私が治療に行った時に、石戸さんの息子さんがノンフィクションライターとして活躍していることを初めて知ったのです。
たぶんどこかに石戸諭さんの寄稿が載っている。
そう思って雑誌を開くと、その特集記事が石戸諭さんによってまとめられていました。
19ページにわたる大特集です。
最後には石戸さんによる百田さんへのインタビューもありました。

正直に言えば、百田さんの記事を読む気にはすぐにはなれませんでした。
しかし、石戸さんのデビュー作『リスクと生きる、死者と生きる』のまえがきとあとがきを読んだ時に、その誠実な人柄が感じられたので読むことにしました。
読み出せるまで1日かかりましたが。
ただ、なぜ石戸さんが百田さんを取材しようと思ったのかにも関心がありました。

読み応えのある特集記事でした。
石戸さんの取材姿勢は、冒頭の「百田現象から見えるのは、日本の分断の一側面であり、リベラルの「常識」がブレイクダウン(崩壊)しつつある現実である」という文章で理解できました。
そして、「百田尚樹とは「ごく普通の感覚を忘れない人」であり、百田現象とは「ごく普通の人」の心情を熟知したベストセラー作家と、90年代から積み上がってきた「反権威主義」的な右派言説が結び付き、「ごく普通の人」の間で人気を獲得したものだというのが、このレポートの結論である」と石戸さんはまとめています。

「普通の人」という表現には違和感がありますが、その趣旨には共感できます。
ただ、「普通」という言葉は、思考を停止させるマジックワード的効果があるので気をつけなければいけません。

それはともかく、石戸さんの誠実な報告には共感したり気づかされたりすることも多かったのですが、この現象、あるいはリベラルな常識の崩壊(私はむしろ「保守」の崩壊と考えています)が、何をもたらしていくのかの展望がもう少し知りたくなりました。
これからの石戸さんの発言に耳を傾けたいと思います。

石戸さんは記事の最後にこう書いています。
長いですが、引用させてもらいます。
とても大切なメッセージだと思いますので

リベラル派からすれば、このレポートは「差別主義者に発言の場を与えたもの」と批判の対象になるかもしれない。だが、そうした言説の背景にあるもの、異なる価値観を緩やかにでも支える存在を軽視すれば、あちら側に「見えない」世界が広がるだけだ。

リベラルが「百田尚樹」を声高に批判しているその裏で、「ごく普通の人たちの憤り」が水面下で根を張りつつある。

「敵」か「味方」かが第一に闘われるようになるとき、分断は加速する。二極化の先にあるのは、先鋭化した怒りのぶつけ合いだ。問題は残り続ける。不都合な現実から目を背けてはいけないのだ。

いささか目を背けがちにしている自分を反省しました。
と同時に、先日の岡和田さんのサロンで、「チッソは私であって」という考えに関連して、岡和田さんから「佐藤さんは、安倍首相は私であった」という考えも受け入れるのですか?」と鋭く追及され、つい「はい、少なくとも否定はできない」と応じてしまったことを思い出しました。

私は映画「永遠のゼロ」も観ましたが、いささか複雑な気分でした。
百田さん原作と言われなければ、もしかしたら受け入れられたかもしれません。
私自身、思い込みの強い人間ですので、百田さんや小泉さん(親子ともども)や野田さん(元首相)や安倍さんの言動には、生理的に拒否感があるのです。
それぞれに理由は違うのですが、百田さんの場合は、その不誠実さ(ヘイト発言に象徴されています)が私には決して受け入れられないのです。
そうした偏狭さの危険性を、石戸さんはメッセージしてくれているように思いました。
「敵」か「味方」、「嫌い」か「好き」かに呪縛されていると、世界は見えなくなります。
そういう人をたくさん知っているのに、自分もそうなっていることに気づかされました。

百田さんの書籍を読む気にはまだなれませんが、映画「永遠のゼロ」をもう一度、観てみようと思います。
併せて、石戸さんの『リスクと生きる、死者と生きる』もきちんと読んでみようと思います。

若い世代から学ぶことはたくさんあります。

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