■節子への挽歌4282:久しぶりの山下さん
節子
昨日、北九州市の中島さんから電話がありました。
中島さんはもう市役所を退職され、いまは児童文化科学館の館長です。
中島さんは、ちょっと待ってくださいと言って、誰かに電話を渡されたようです。
もしかしたら、と思ったのですが、まさにその「もしかしたらの人」でした。
収入役だった山下さんです。
この数年、交流が途絶えていました。
私が北九州市とつながり、仕事をさせてもらったきっかけは、山下さんでした。
会社時代に、人を介して、山下さんは私に会いに来ました。
当時、私は東レでCI(コーポレートアイデンティティ)のプロジェクトに取り組んでいました。
ほかにも東京都のCIプロジェクトの委員もさせてもらっていました。
山下さんは、北九州市でもCIに取り組むことになり、その責任者になったのです。
そして当時はちょっと目立って活動していた私のところに話を聞きに来たのです。
それが縁で、私も何回か北九州市に行きました。
そこから山下さんとの付き合いが始まりました。
節子の親しい友人が北九州市にいたこともあって、一度、節子と北九州市を訪問した時、山下さんはわざわざ自分の車で、私たちを案内してくれました。
とても気さくで、当時は仕事の合間に、アルプスに登ったりするアルピニストでもありました。
節子がいなくなって、一時期、私はほとんどの付き合いをやめてしまいました。
友人知人と付き合うのが、とても億劫になった時期があるのです。
山下さんとの付き合いはその後も続いていましたが、最近は九州に行く機会もなく、しばらく交流が途絶えていました。
ですから数年ぶりに聞く声でした。
山下さんが思ってもいなかったことを言い出しました。
1年前に奥様を亡くされたというのです。
それでしばらく喪に服していたが、1年たったので、仲間の集まりに久しぶりに顔を出したというのです。
そこで中島さんに会ったわけです。
中島さんは、私が山下さんと親しいのを知っているので。電話をかけてくださったのです。
山下さんは、しかし以前のように、お元気そうでした。
現世でもう一度会っておきたいので、東京にもまた行くといってくださいました。
私ももう一度、北九州市にはいきたいと思っています。
会いたい人がたくさんいますので。
久しぶりに山下さんと話す機会をつくってくれた中島さんには感謝です。
そういえば、中島さんは川柳や俳句をやっています。
1週間ほど前に、「佐藤さんも俳句をやりませんか」とメールが来ました。
返事をしていませんでしたので、電話を借りて、俳句はパスしますと伝えました。
節子がいたら、私も俳句に付き合わされていた可能性がありますが、どうも私には苦手です。
中島さんは、文化人なのです。
久しぶりに山下さんとお話しして、いろんなことをどっと思い出しました。
あのころは、毎日、輝くようにわくわくしていました。
いろんな人たちの顔が浮かんできました。
私も老いました。
もう一息です。
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