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2019/06/26

■節子への挽歌4315:私にとってのドラえもん

節子
ようやくリズムを取り戻せそうです。
TO DO LISTは一向に減らず、相変わらず不義理を重ねていますし、気分的なすっきり感は戻ってきてはいないのですが、動き出せそうです。

最近、娘にいろんなことを頼むようになってきていますが、昨日、ユカから「私はドラえもん」ではありません、と言われました。
そこでハッと気づいたのですが、節子は私にとってのドラえもんだったのかもしれません。

ドラえもんと一緒だと、のび太でも豊かな生活ができます。
私が、わがままに、財布も持たずに生きていられたのは、節子というドラえもんがいたからかもしれません。
何かあればすべて節子に「やっておいてね」と一言言えば、良かったのです。

もっとも、節子はそうしたことをきちんとやってくれていたわけではありません。
ミスもあれば、やってくれていないこともありました。
もちろんやれないことも多かった。

にもかかわらず、私には困ったときには節子に頼めばいいという「意識」があったのです。
頼んだところで、解決しないことはわかっていても、そういう風に考えられていたのです。
ですから私は先のこともお金のことも、ほとんど意識せずに生きてこられたわけです。

3人寄れば文殊の知恵という言葉がありますが、信頼し合える2人が手を取り合えばどんな風にも吹き倒されないのです。

そのドラえもんがいなくなった。
にもかかわらず、この12年、良く行き抜けたものです。
ドラえもんが未来に還った後も、のび太がうまく生き延びたのと同じです。

節子はドラえもんだった。
そう考えるといろんなことが納得できます。
節子は怒るかもしれませんが。

 

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