■節子への挽歌4340:投票率が低すぎてがっかりです
節子
参議院議員選挙です。
選挙は家族そろって投票に行くのが、わが家の文化でした。
ただし、だれがだれに投票したかは、あまり話し合うことはありませんでした。
私はいつも明白に投票者は決まっていましたが、節子も娘たちも、同じ人に投票していたかどうかはわかりません。
これは今も変わっていません。
今日は同居している娘と一緒に投票に行きました。
今回は私はかなり危機感を持っており、娘に私が投票する人に同調してほしかったので、私の投票先を繰り返し話していたら、娘から叱られました。
反省しなければいけません。
午前中に行ったのですが、小さな子供を連れた家族連れなどもいて、良い感じだなと思ったのですが、投票率はやはりあまりにも低いのでがっかりしました。
ホームページには少し思いも書きましたが、やはり風は起こらないようです。
昨夜も新宿の大きな盛り上がりの現場にいた友人が、映像などを送ってきてくれましたが、マスコミによって完全に無視され、マスコミ報道からは山本太郎旋風は微塵も伝わってきません。
まあ、そもそも「れいわ新選組」などいうひどい党名を付けた時点で、勝負は終わっていましたが、少しは期待したのですが、残念です。
山本太郎も橋本徹も結局は社会の人ではなく、我欲の人だったのかもしれません。
しかし、少なくとも山本太郎は、新しい視点を示唆してくれ、実践もしてくれました。
彼が育ってきた世界の狭さが惜しまれます。
小沢さんがもう少し柔軟であれば、山本太郎を活かせたかもしれませんが、彼の世界もまた、狭い世界です。
効果的な組み合わせができるのは難しかったでしょう。
8時には選挙結果は明らかになるでしょう。
公明党はそろそろ瓦解するでしょうし、理念と戦略のない形だけの「野党」は存在意義を失い、溶融していくでしょう。
維新の党などは化けの皮をそろそろはがすでしょう。
幸福実現党から当選者が出たりする珍事が発生するかもしれませんが、共産党は飛躍はしないでしょう。
日本の政治が変わるのは、もう少し先のような気がします。
もしかすると、こういう私の予想はまったく外れてしまうかもしれません。
そうであればうれしいことです。
節子がいないので、政治談議ができないのがさびしいです。
節子と一緒に投票に行っていたころが懐かしいです。
節子の政治感覚は、いまにして思えば、安心できるものでした。
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