■節子への挽歌4334:太陽の恩恵、長雨の恩恵
節子
雨が続きます。
日照が少ないので、畑の野菜は調子が悪いです。
太陽の恩恵に、改めて感謝しなければいけません。
野菜は元気がなく、花も結実しませんが、野草はみんな元気です。
その違いの意味を、考えたくなります。
長雨の恩恵もまた大きいということでしょう。
面白いのは、植物によって、陽光や長雨の影響は違うということです。
トラブルもまた人生を豊かにするという私の姿勢に、それは単に「負け惜しみ」であり、自分に嘘をついているのではないかというメールが来ました。
嘘をつくと思われることはとても悲しいですが、そう思う人が増えているのかもしれません。
自分が嘘をつくことのない人は、誰かの発言を嘘などとは思いません。
他者へのコメントは、常に自らの生き方の表明でもあります。
私の周辺でも「嘘」が増えています。
それもまたとても寂しいです。
もともと生きるということは喜怒哀楽を素直に受け入れるということだったのではないかと思います。
トラブルと喜怒哀楽は違うかもしれませんが、平板な人生よりも波風ある人生が豊かなように思えてなりません。
それに、喜怒哀楽はみんなつながっています。
それらがみんなあって豊かさです。
最近は素直にそう感じられるようになってきています。
もっとも、時にはこの状況から解放されたいと思うようなこともあります。
豊かな人生とはどんなものなのか。
人によってさまざまでしょうが、いまの生き方を否定するようなことだけはしたくないと思っています。
太陽の恩恵も、長雨の恩恵も、いずれも素直に受けられるようになりたいものです。
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