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2019/07/13

■節子への挽歌4332:節子の旧友からの七夕メール

節子

節子の小学校時代の男友だちのAさんから、毎年一回の七夕メールが来ました。
今年はこんな内容です。

今年も7月10日を迎え、高月町唐川の赤後寺コロリ観音の千日会がつとまりました。
年々確実にお参りの方は減少しております。
そんな中、遠くから房子さんが今年もお参りくださいました。
わざわざ僕を探して敦賀のおぼろ昆布を頂きました。
有り難いことです。

房子さんというのは、福井に住んでいる節子の姉です。

節子が病気になった後、盛んに滋賀時代の友人たちに会いに行き出しました。
私も同行したのですが、そのおかげで、私も節子の友だちと知り合えました。
といっても、節子がいなくなってからは、交流も次第に途絶えてきているのですが、Aさんは几帳面に毎年メールをくださいます。
この挽歌も読んでくださっており、うれしいことです。

赤後寺コロリ観音は、私も以前、2回ほど節子と一緒にお会いしました。
この観音には3回、会えば極楽往生が保証されると聞きましたが、残念ながら私の記憶では2回です。
節子は前にもおまいりしているでしょうから、極楽往生しているはずです。

赤後寺は節子の母親の生家のある高月町唐川の湧出山の中腹にありますが、節子に連れられて最初に行ったときに、形状からしてここは古墳ではないかと感じました。
節子の生家は、高月町の「物部」という集落でした。
私自身は「物部王朝論」に共感していた時期があり、「物部」という名称にも深く魅かれるものがありました。

赤後寺も歴史的に由緒あるお寺ですが、いまは無住寺で、集落の人たちが守っています。
観音の里といわれている高月界隈にはこういう集落の人たちが守っている無住寺が多いようです。
節子が元気だったころは、年に何回かの節子の帰省に合わせて、私も付いていき、周辺の観音様に会いに行っていました。
観光寺院とは全く違って、まだ素朴な信仰が生きていたように思います。
そこにいるだけで、幸せになるような空間がまだ残っていました。
思えば、ぜいたくな日々でした。

節子がいなくなってから、まったくではありませんが、そういう観音との出会いはほとんどなくなりました。
私があこがれていた渡岸寺の十一面観音もいまはさびしい空間の中で「陳列」されていて、会いに行こうとは思いません。
当時は、近くの世話人のところに行って、カギを開けてもらい参拝させてもらいました。

高月の観音たちは、毎年10月に秘仏を含めて御開帳で、観光客もどっと押し寄せるはずです。
行きたいようでもあり、行きたくないようでもあり、いささか複雑なのですが、久しく訪れていな高月の観音の里にも、もう一度は訪れたいと思っています。

Aさん、思い出させてくれて、ありがとうございました。

 

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