■節子への挽歌4327:畑がまた野草に覆われだしています
節子
雨などのため、数日畑に行かなかったのですが、今日、ちょっと寄ってみました。
数日のことなのに、野草が覆い繁るように広がっていました。
その成長力はものすごいです。
雨が長く続いているためか、ブロッコリーは3株ともおかしくなっていました。
トマトもほかの野菜もみんな不調。
ナスとピーマンなどは少し収穫できましたが、野菜づくりはそう簡単ではありません。
雨が降っても放りっぱなしはやはりダメなようです。
その一方で、百日草やひまわりは大きくなっていました。
セイジなども咲き誇っていましたので、花を切ってきて節子に供えました。
花のほうが土壌を選ばないからでしょうか。
ほんのわずかな時間の畑作業ですが、それでも多くの気付きを得られるだけではなく、考える修正を思い出させてくれます。
現在は人為的なルールがきめ細かくできているので、それに従っていれば、悩むことなく生きていけます。
さらに、他者との付き合いも最小限にすれば、心安らかにもできます。しかしその生き方は私の趣味ではありません。
節子が一番熱心に生き、生きることをかみしめていたのは、闘病生活のときだったかもしれません。
日々変わる症状の中で、決まられたルールではなく、自らを判断して生きなければいけなかったのですから。
もちろんそれも、とても狭い範囲でのことなのですが。
不死を望むことは、生きる人生を放棄することかもしれません。
畑仕事からこんなことを考えるのは大げさでしょうが、自然と付き合うとそんなことも気づかせてくれるのです。
今日は畑がびしょびしょで、作業はほとんどできませんでしたが、明日はできるかもしれません。
しかし今度は時間がない。
なかなかうまくいきません。
しかし、1日放置すると野草は10センチほど伸びるのです。
早朝にでも行かなければいけませんが、まだその元気は出てきません。
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