■節子への挽歌4331:「非常識な幸福論」
節子
友人から教えてもらった「世界でいちばん非常識な幸福論」という本を読みました。
フィジーの人たちの話です。
フィジーに移り住んでいる日本人の永崎裕麻さんという方が書いた本です。
永崎さんは、フィジー人の生き方の中から4つの「幸せの習慣」を見つけたと書いています。
その4つとは、「共有」「テキトー」「現在にフォーカス」そして「つながりづくり」です。
その本には、たくさんの具体的な話が書かれていますが、どれもこれも私にはとても共感できます。
書名は「世界でいちばん非常識な幸福論」となっていますが、私には極めて常識的に感じられます。
そもそも今という時代は私にはあまりに非常識なことが多いからです。
「共有」「テキトー」「現在にフォーカス」そして「つながりづくり」の4つは、私の生活信条にも重なっています。
私の生活信条は「take it easy」で、つまり「気楽にやろうよ」ですから「テキトー」に近いです。
またこれはまだ修行中ですが、できるだけ金銭や所有概念から自由になって、みんなと「シェア」する生き方をしたいと思っています。
お布施を基軸にした生き方で、お金もシェアできればと思っています。
「現在フォーカス」は、まさに節子に学んだことですが、「いまここ」を大事にする生き方を目指しています。
そして、「つながりづくり」はこの30年、まさに私の生き方の基軸になっています。
そんなわけで、私の生き方はフィジー的ライフにとても親和性を感じました。
この種の本は前にも読んだことがあります。
挽歌でも取り上げたかもしれませんが「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」というボルネオの狩猟民プナンの記録の紹介の本です。
この本も私には実になじみやすい本でした。
そもそもこの本の書名にある「ありがとうもごめんなさいもいらない」というのは昨日書いた、私の価値観の原則とも重なる話でもあります。
こういう社会では「争い」や「勝ち負け」などないのでしょう。
もしかしたら、節子が今いる「彼岸」はそんな世界かもしれません。
しかし、残念ながら私がいま生きる此岸の世界は、これとは真反対な状況にあるようで、相変わらず心休まらないトラブルの中から抜け出られずにいます。
神経が擦り切れます。
昨日の「現場」に言わせた人は、「昨日は驚きましたが、むしろ佐藤さんの冷静さに感心致しました」とメールをくれましたが、「冷静さとは感度の低さの証左」かもしれません。
本当は心の中では倒れそうなほど疲弊しているのです。
少し注意しないといけません。
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