■節子への挽歌4342:娘の誕生日
節子
今日はジュンの誕生日なので、ユカからの提案で、ジュン家族と一緒に食事をしました。
節子がいなくなってから、変わったことの一つに、誕生日を意識しなくなったことです。
まあ私だけのことかもしれませんが、私は誕生日祝いにはまったくといって関心がありません。
とりわけ記念日のプレゼントをもらっても、私はなぜか何も感じません。
プレゼントをもらうのは嫌いではないのですが、誕生日プレゼントとか、何か理由をつけてのプレゼントがうれしくないのです。
この気持ちは、なかなか説明しにくいのですが、要は誕生日という概念が私には実感できないからです。
ですから、誕生日を起点として成立する還暦とか米寿だとかいうお祝も私には意味が感じられないのです。
だれかに何かをプレゼントするときに、理由は不要です。
何となくどこかで見つけたものが、誰かにプレゼントしたいなと思えば、プレゼントすればいい。
プレゼントに理由は不要なのです。
こう書くと私がとてもひねくれ者に感じますが、そしてひねくれ者かもしれませんが、これは私のとても素直な気持ちなのです。
娘たちから嫌われるのも、こうしたことが少なくないからかもしれません。
困ったものです。
もっとも、節子を見送った日である「9月3日」は、私には数少ない意味のある日です。
それは私が実際に体験した日だからです。
その節子の13回忌の命日まで、あと40日になりました。
ジュン家族との会食も、節子がいたらにぎやかなものになるでしょうが、節子がいないとどうも華やかさが出ません。
プレゼントも用意しませんでした。
困ったものです。
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