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2019/08/28

■節子への挽歌4378:廊下に転がっているスイカ

節子

もやもやした気分から抜け出せません。
どこで何がどうなっているのやら。
困ったものです。
しかし、周りの状況は少しずつですが、好転はしているのです。
まあ、たぶんではありますが。

昨日、海に行ったジュン家族から大きなイチジクをお土産にもらいました。
佐原の道の駅で買ってきたそうです。
節子にお供えしていますが、今朝、私も食べました。
美味しいイチジクでした。
イチジクには、子ども時代の思い出も重なってきます。

お盆に買った大きなスイカがまだ廊下に転がっています。
お盆に孫のにこが風邪をひいてこられず、その後は今度はユカが気管支をこじらせてしまい、割るタイミングを失しました。
もう2週間もたつのでだめかもしれません。
しかし、これは、孫に丸いスイカを切ることを毎年体験させるためのものなので、食べるに食べられないのです。

廊下にスイカが転がっている風景は、昔はよくありました。
節子の生家に夏訪ねるといつもそうでした。
丸いスイカを切ってみんなで食べる風景は、私はとても好きなのですが、最近は私も含めて、スイカを食べる量が少なくなりました。
私が小さいころは、子どもくせにたくさん食べて、お腹が水でいっぱいになり動けなくなったものです。

そういうことは、もうなくなってしまいました。
あの頃は、みんなとても豊かでした。
もちろん経済的には貧しかったでしょうが、いまよりずっと豊かな時代だったような気がします。

先の日曜日に、地上の楽園をテーマにしたサロンを開きました。
その報告は時評編に書きましたが、そもそも「地上の楽園」を目指そうということが話題になる時代は貧しい時代です。
その報告の最後に。こんなことを書き加えました。

「自分らしくのびやかに」に生きるところがもし地上の楽園であれば、それは、その気になれば誰にでもできることです。
「地上の楽園」は、もしかしたらみんなのすぐそばにもうあるのかもしれません。

地上の楽園は廊下にスイカが転がっている風景こそ、私には地上の楽園のような気がします。
あの頃は、本当に豊かでした。

私もいよいよ過去を懐かしむようになってきたようです。
困ったものです。

 

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