■節子への挽歌4370:手足を使って生きることの大切さ
節子
山川宗玄さんのお話をもう少し書きたくなりました。
山川宗玄さんは、いまここを生きることと手足を使うことの大切さを話されました。
山川宗玄さんは、今、この瞬間瞬間をしっかりと生きていくことが「看脚下」だといいます。
足元とは、まさに「いまここ」なのです。
私は、「いまここを生きること」は節子から学びました。
さらに山川宗玄さんは言います。
道場の雲水の日常は、世間からは修行といわれるが、手足を使って日常生活をしているだけだ。
掃除もまき割りも托鉢も、すべて自らの手足を使った行為。
それを通じて、「今」というものが実感できる。
そしてそれが「悟り」にもつながっていく。
悟りは頭ではなく手足からたどり着けるというわけです。
しかし、最近の世の中は、手足を使うことが少なくなってきた。
食材はコンビニで買え、スイッチ一つで掃除もできれば涼もとれる。
手足を使わなくても、生活できるような社会になってきた。
しかしそれによって何かが欠けてきてしまい、一生が夢のようになってしまう。
山川宗玄さんはそう言います。
手足を使うことが生きているという実感を与えてくれる。
そしてさらにそこから、自分は一体何者なのだという疑問が生まれてくる。
理屈ではなく、身体を通してわかることの尊さこそ、今一番大切なことではないか。
そして山川宗玄さんは、手足を使って毎日精一杯生きていくことこそが人を変えていくと言います。
山川宗玄さん自身が、迷いを持ってお寺に入った後、手足を使う毎日の中で、迷いが疑問になって、自らが変わってきたというようなお話をされていました。
手足を使った生活。
いま求められているのは、まさにそれではないかと思います。
しかし、手足を使って生きている人は今どれだけいるでしょうか。
夢のような社会には、実感の喜びがありません。
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