■節子への挽歌4369:仏の対語は「不仏」
節子
録画していたEテレの「こころの時代」の禅シリーズを見始めました。
岐阜正眼寺の山川宗玄さん(正眼僧堂師家)が禅について語ってくれるシリーズです。
まだ5回目までですが、まとめてみようと思っていたのですが、先日放映された5回目をライブで少し見てしまい、山川宗玄さんが「餓鬼が食べるのは何か」という話をしていたのが耳に残ってしまっていたのです。
間もなく施餓鬼の日が来ますので、それまでに見ておきたくなったのです。
とても共感できる話でした。
山川宗玄さんは大学で物理学を学んだそうですが、それもあってか、宇宙を構成しているダークマターの話も出ました。
今回、私が教えられたのは、「不仏とは私」だというメッセージです。
まだ消化はできていないのですが、山川宗玄さんは「仏とは何か」を背理法で明らかにしようと話し出します。
そして、仏の反対語としての「不仏」を、「私」と読み替えるのです。
不物の「不」と「仏」の人偏(亻)を重ねると「禾」になります。
つまり「不仏」の2文字を重ねると「仏」という文字になる。
というわけで、仏と私は対語になる。
私を捨てれば、仏になれるというわけです。
山川宗玄さんは、ひとつのわかりやすい話としてこれをあげているのですが、納得してしまいました。
仏教は、私の中にも仏性がある、つまり仏がいると言っています。
しかし、その一方で、仏が不在なのが私だという。
ややこしい話ですが、たぶん同じことを言っているのでしょう。
私と仏をどう重ねていくか。
これはもう少し考えてみないといけません。
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