■節子への挽歌4374:1週間の生活禅
節子
暑さは残っていますが、だいぶ秋らしくなってきました。
今日は午前中は在宅なので、久しぶりに畑に行こうかとも思ったのですが、どうも行く気が出てきません。
1か月前まではあれほど行きたかった畑ですが、気分が一変してしまいました。
自分の気分ではなく、お天道様の気持ちで生きようと思いながらも、なかなかそうなりません。
しかし、そういう自分の気分も含めて、これがお天道様の思いなのだと考えてしまうのです。
まことにもって、困ったものです。
今週はいろいろとあって、湯島に行きませんでした。
最近は湯島の開放もやめていますので、誰も湯島に行っていないということです。
どうなっているでしょうか。
今日はサロンなので午後は湯島に出かける予定です。
1週間、あまり外部とは接点を持たずに過ごしてきたのですが、こういう生活に慣れてしまうと元に戻れなくなりそうです。
人は一人では生きてはいないとしても、一人で生きることの快適さは何とも言えません。
一人でボーっとしていると、世界も他者もよく見えてくる。
もちろん自分も少し見えるようになる。
とりわけ自分の間違いに気づくことはうれしいことです。
前を向いて進んでばかりいると、どうしても唯我独尊に向かってしまう。
禅を通して己事究明すると正眼僧堂師家の山川宗玄さんは語っていましたが、この1週間は私にとっては「生活禅」だったのかもしれません。
いろいろとありすぎで、いささか披露気味ではありますが。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント