■節子への挽歌4376:「怒り」を形にする方法
節子
今日は、晴れてはいませんが、さわやかな朝でした。
疲労感が抜けきれずに、ボーっとしていたのですが、電話がかかってきました。
あることに怒りが収まらずに、私のところに電話をかけてきたのです。
私への怒りではありません。
ある意味では、「私のためにも」怒ってくれているのです。
遠距離の、そして長い電話でした。
あんまり怒ると身体に良くないですよと、言いましたが、その怒りはよくわかります。
ちょうど、前に挽歌「見えない世界」のことを書いた直後だったのですが、怒りの本体もまた見えない世界の話です。
ついついその怒りを見える形にしたらどうかと言ってしまいました。
もちろん「暴力行為」ではありません。
怒りのもとをただすための活動です。
私は、多くの人たちが、「怒り」を形にする方法を間違っているとずっと思っています。
方法を変えたら、きっといい社会に役立つはずなのに。
ちょっと遠いところの話なので、私にできることは少ないのですが、やれることはあるかもしれません。
それにしても、本当に問題の多い時代です。
暇なのに心やすまることが少なく、本当に疲れます。
見えないことはそっとしておいた方がいいのかもしれませんし。私もそうして「見て見ぬふり」をしていることも多いのでしょう。
自分ではそうは考えてはいないのですが。
やりたいことが多すぎて、そのくせ、やる気が起きなくて、私は多分疲れているのです。
困ったものです。
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