■節子への挽歌4371:92歳の加野さん
節子
なかなか連絡が取れないでいた、大宰府の加野さんから電話をもらいました。
加野さんには、節子が好きだった梨を毎年食べてもらいたいと思い、送らせてもらったのですが、なかなか連絡がつきませんでした。
加野さんとの縁は不思議な縁です。
節子が元気なころに、残念ながら大宰府に行けませんでしたが、加野さんが節子に会ったことがあるかどうかは思い出せません。
私たちと加野さんのつながりは、加野さんの娘さんです。
娘さんが東京に出てきていた時、時々、湯島に来てくれていました。
夢を持っていた女性でした。
しかし、大宰府に戻った後、数年して急逝してしまいました。
あまりにも突然のことだったのですが、当時は私も節子の闘病の時期で、余裕がありませんでした。
私が大宰府に弔問したのは、節子がいなくなってからです。
加野さんは、若くして亡くなった娘さんの37回忌までは死ねないと決意しています。
今年で92歳ですから、あと15年です。
私にもそれまでは元気でいてほしいと今日の電話でも話していました。
加野さんは、不思議な人で、前にも書きましたが、福岡の大日寺に私を連れて行って、彼岸の節子の様子を教えてくれた人です。
ほかにも不思議なことがいくつかあるのですが、そういうことを考えれば、107歳まではきっと元気でしょう。
加野さんは節子のことを知って、最後にいろいろと尽力してくれました。
奇跡は起きませんでしたが、その一歩手前までは行った気がします。
だから加野さんには、節子の好きだった梨を毎年食べてもらおうと決めたのです。
加野さんは最近は年寄り仲間と毎日歌を歌っているそうです。
最近、万葉集ブームで話題の大宰府ですが、和歌を詠っているわけではありません。
みんなで一緒に歌を歌っているそうです。
実は加野さんの娘さんは、大宰府で世界中の人たちが集って平和を歌うイベントを夢見ていたのです。
その夢を加野さんが知っているかどうか、確認したことはありません。
でもたぶん親子の霊はつながってるでしょう。
そんな親子なのです。
107歳になる前に、大宰府に行こうと決めました。
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