■節子への挽歌4365:敗戦記念日
節子
敗戦記念日です。
毎年、この時期になると、テレビでは戦争関係の番組が増えますが、私にはそうした「敗戦記念日」感がまったくありません。
困ったものですが、そもそも「記念日」という呼び方も違和感があります。
原爆が投下された日の広島や長崎の式典は理解できて、私なりの追悼の意も表せるのですが、敗戦記念日というのはまったく理解できません。しかし、広島や長崎の式典に、政府関係者が参加して、心のこもらない形式的なスピーチをするのには違和感があります。
どうして被爆者はブーイングしないのか。
いつもそう思って、苦々しく聞いています。
先日、湯島で辺野古をテーマにしたサロンを開きました。
そこで「平和」とか「反戦」という言葉がでました。
その言葉に感情的に反応してしまい、「平和」とか「反戦」とかいう言葉は嫌いですと言ってしまいました。
言った途端に、言わなければよかったと思ったのですが、今回は参加者のおひとりが、私も嫌いですと、フォローしてくれたので、少し救われました。
しかし、平和活動に取り組んでいる必要たちもいる中で、発言には気を付けなければいけません。
以前は、節子によく注意されていましたが、最近は同じ注意を娘のユカからされています。
やはり母娘です。
それでもやはり今日は平和とか戦争のことを考える気になりました。
節子がいた頃は、夫婦でよくそういう議論もしたものです。
しかし、娘たちとはなかなかできません。
それに娘たちは、節子と違って、私の言葉など理解しようとはしてくれません。
あまりにも違っているからです。
こう書いてきて、気づいたことがあります。
最近のモヤモヤ感は、もしかしたら私を分かってくれる人がいないからではないかと気づいたのです。
四六時中、一緒に生きていると、言葉ではない思いの交流があります。
それがあればこそ、思いはシェアできますが、言葉だけだとなかなかわかりあえないものです。
わかるということには、どうも2種類の「わかる」がありそうです。
節子は私のことをあんまりわかっていなかったにもかかわらず、たぶん完全にわかっていた。
同じように、私も節子のことをあんまりわかっていなかったにもかかわらず、完全にわかっていた。
そんな気がしてきました。
だからそこでは「けんかと信頼」が共存していた。
論理を飛躍させれば、平和と戦争を超越した観念がある。
そこに向かわないといけません。
「敗戦」などを記念日してはいけないのです。
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