■節子への挽歌4373:施餓鬼法要
節子
宝蔵院の施餓鬼供養でした。
最近は兄が基本的には行ってくれて、私は途中から行くことが多いのですが、今年は明日から兄が検査入院なので、私が一人で参加することにしました。
宝蔵院の施餓鬼の日は、毎年猛暑という記憶がありますが、今日も暑かったです。
新盆の人は本堂内ですが、それ以外は基本的には本堂前につくられたテントで供養ですが、とても座りきれずに境内の涼しそうなところにみんな陣取っています。
私は始まるだいぶ前に行きましたので、手続きを終えて椅子に座ることにしました。
椅子に座るのは何年ぶりでしょうか。
新盆の時には家族みんなで堂内で供養しましたが、それ以外の記憶はほとんど思い出せません。
だれか顔見知りの人はいないかと探しましたが、誰も見当たりません。
宝蔵院は檀家数も多く、そのほとんどが久寺家在住の昔からの地の人です。
ですからわからないのが当然です。
久寺家は、私たちも住んでいましたので、私自身は交流は皆無でした。
住んでいたのは、新しく開発された住宅地だったので、近隣はみんな、いわゆる新住民です。
私たちは、とても運よく、宝蔵院に墓を建てられました。
というのは、宝蔵院の子どもたちが娘と同級生だったからです。
先代のご住職は昨年亡くなり、息子と娘が継いでいますが、年々、それらしくなってきています。
先代のご住職もいい人でしたが、息子もとてもいい僧侶になるでしょう。
施餓鬼法要は、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される、と本には書かれています。
ちなみに、最近、テレビの「こころの時代」で、正眼僧堂師家の山川宗玄さんが、餓鬼への供養は「食べ物」ではなく、「滋養」だと話されていました。
「食べ物」ではなく「滋養」。
いろいろと考えさせられる言葉です。
施餓鬼法要の場もいろいろと考えたら、とても効果的な場になるなと思いました。
まもなく節子の命日です。
今年は13回忌ですが、節子のお姉さんに参加してほしいので、彼女が出てこられるように涼しくなってからにしました。
本当は命日の前にやるべきなのですが、まあ姉思いの節子も賛成してくれるでしょう。
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