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2019年9月

2019/09/30

■節子への挽歌4411:那須の旅2019

節子

今年もまた、上田さんが那須に呼んでくれました。
同行者も昨年と同じ、高等遊民会議のメンバーたちです。

行きは上田さんの車で高速を使わずに4時間かけてのんびりと行きました。
上田さんとの2人の4時間は、いつもながらとてもいい時間でした。

那須でほかのメンバーたちと出合い、そこから食材を買いこんで、上田さんの別荘へ行きました。
上田さんの別荘はかなり高いところになり、寒さを気にしていましたが、下は季節外れの暑さで、別荘のあるところは快適でした。
住所不定の井口さんのグーダドラムの演奏が心を開いてくれました。
グーダドラムは私でも楽しめそうなのですが、ちょっと高そうなので、いまの私には買えないでしょう。

Nasu1

少し休んでから、温泉に行くことになり、今回は前回行かなかった板室温泉に向かいました。
途中、乙女の滝を経由、ここも霊感豊かなところでした。
それから壊れたようなつり橋を渡ったりして、温泉に行きました。
これで、那須・塩原、板室と一応すべてを体験しました。

夕食は遊民の一人の井口さんがほとんど一人で野菜を中心とした調理を次々と出してくれます。
私を含めて、ほかの4人は暖炉の前で話していると、どんどんと料理が出てきます。
それがまた美しくておいしいのです。

食べながら話しながら食べながら、時がついたら0時を過ぎていました。
しかもその話の内容がそれなりに衝撃的な自己告白的内容で、とりわけある話題は衝撃的でした。結婚や家族も話題になり、ついつい節子との出会いの話もしてしまいました。

節子は聞いていたかもしれませんね。
久しぶりに熟睡しました。

 

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2019/09/29

■4410:鈴木さんがまた巡礼に旅立ちます

節子
鈴木さんが明日からまたサンティアゴ巡礼に旅立ちます。
それで、私に祝福を受けたいとやってきました。

鈴木さんの場合は、旅の安全などを祈る必要はありません。
ましてや祝福は、私が受けるとしても与えることなどできません。
彼はもはや「聖人」ですから。
そして、巡礼の旅で大きな「いのち」をたくさん集めて帰ってくる。
帰国後は、あまりにその「いのち」重さにどっと疲れが出てしまい、歩けなくなることが多いようですが。

「餞別」にいつも持ってきてくれる鈴木さんの大好きな大福を持ってきてくれました。
節子に供えさせてもらいました。
この大福は売り切れて買えないこともある人気の大福です。

鈴木さんのサンティアゴ巡礼は、今回はポルトガルを歩くそうです。
ポルトガルもスペインも、私は行きたかったのに行けなかったところです。
たぶん土地の記憶が素晴らしいところでしょう。
戻ってきたときに話を聴くのが楽しみです。

鈴木さんがポルトガルを歩いている間に、私も前回、挫折した相馬巡礼の後半40キロを歩こうと思います。
今度はきちんと地図を持って。
もちろんサンダルで歩きます。

 

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■ネット時代の人とのつながりの脆さを補完する場としてのサロン

湯島で開催しているサロンの参加者のメーリングリストをつくっています。
2015
5月に立ち上げたので、それ以前の参加者は含まれていませんし、最初は全員ではなく、数回来た人だけを対象にしていました。

現在、登録者は400人強で、投稿数も1300件を超えています。
ところがこのメーリングリスト・サービスが年内で終了というので、別のメーリングリストに移行しなければいけなくなり、1週間かけて移転作業をしていました。

移転途中に、無効になったアドレスを見つけたり、なぜか移行できないアドレスが見つかったり、システム上の理由で配信が止められていたりしているのが見つかりました。
ネット時代の人のつながりの脆さを感じました。

昨年末、自宅と湯島のパソコンが同時にクラッシュしてしまいました。
友人に修理してもらい、いまは2つとも復元していますが、メールアドレス帳がうまく修復できませんでした。
そのため今もとても不便をしていて、アドレスがすぐには見つからないことがあります。

2台のパソコンがいつまたクラッシュするかの不安があるので、今月安全のためにもう1台、新しいパソコンを購入しました。
ところがまたシステムが変わっていて、メールソフトを変えなければいけないようです。
いまはwindows liveを使用していますが、パソコンがoutlookを薦めているのです。

ネット通信はワープロ通信以来始めてから35年ほど経過します。
次第にネットつながりの交流が主軸になり、メールをやらない人との付き合いは疎遠になりました。
つまり付き合う人が変わってきてしまいました。

ネットでの交流は気軽に維持できますが、パソコンを変えたり、相手がアドレスを変えたりして、気づかないままに付き合いが切れていることも少なくありません。
フェイスブックができたとき、ようやく、人とのつながりを永続できると思いました。
ところがフェイスブックをやる人が意外と増えませんでした。
それにフェイスブックでも、縁が切れることを知りました。
いまも毎月1人くらいがいつの間にか友だちつながりから消えています。
誰がいなくなったのか、わからないのがちょっと気になります。

ネットのつながりは極めて便利で負担もなく、私の好きな「ゆるやかなつながり」を維持できます。
しかし、その一方で、とても脆いものだとも思い知らされています。
その脆さを補完するために、リアルなみんなの空間もつくりたいと思い始めたのが湯島のサロンです。

私はメールアドレスも30年以上変えていませんが、湯島のオフィスの場も30年以上動いていません。
そのおかげで、20数年ぶりに訪ねてくる人もいます。
コミュニティには、変わらない存在が不可欠です。

湯島を維持する資金繰りのめどはまだ立ちませんが、ネットコミュニティのためのリアルな空間を目指したいと思っています。
ネットでのつながりの脆さを補完するリアルな場は、やはり大切です。

10月から湯島のサロンの名称を「CWSサロン」に改称し、そこから生まれるコミュニティを「CWSコモンズ村」と呼ぶことにしようと思います。
CWSコモンズ村は一度、立ち上げたことがありますが、妻の病気もあって頓挫してしまいました。
立ち上げ時に徴収した入村税も、村長の私がお金に困って勝手に使ってしまったので(一応、村の維持のための使途ですが)、またゼロからの再出発です。

CWSコモンズ村をどう展開していくか、いまはまだ模索中です。
一度、これをテーマにサロンをしてみようかと思っていますが、まだ私自身の覚悟ができていません。
困ったものですが。

 

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2019/09/28

■節子への挽歌4409:仏壇がまた花でにぎわっています

節子

今年もまた、ユカの友人が節子への献花に来てくれました。
節子が逝ってしまってから、毎年欠かさずに命日前後に来てくれます。
こういうこともたぶんめずらしいでしょう。
なぜか節子は花を引き付ける。

節子の滋賀の旧友も毎年、命日に花を送ってきてくれました。
ただこれはいかにも「仏花」という感じだったので、いつも重いものを感じてしまい、昨年、失礼とは思いましたが思い切って辞退させてもらいました。

近くの人が、これも毎年お盆に花を届けてくれます。
節子がたぶん一度だけ行ったささやかなことに感謝してくれているのです。
その花は、毎年、節子好みのあったかなブーケなので位牌の前に飾らせてもらっていますが、13回忌も終わったので、今年を最後にして辞退させてもらおうと思っています。

お花をもらうのはとてもうれしいことです。
しかし、それが仏花や供花になると、いささか複雑な思いも生じます。

それに、13年もたっているのに、花を毎年いただくのも贈る方も頂く方も、当然とは言えない要素もあります。
だと言って、やめることもできない。
微妙な問題です。
13回忌を迎えた今年がお互いにやめる好機かもしれません。
供養も、たとえば33回忌で切をつける(弔い上げ)と言われているように、未来永劫のものではありません。

もっとも、愛する者を喪った当事者にとっては、弔い上げというような気持ちは起こりませんし、そもそも弔うという意識もありません。
そもそも「供養」というような発想さえないのが自然です。
なぜなら、いつも一緒にいるという感覚があるからです。
私も一応、命日などを意識してはいますが、正直に言えば、あんまりそういう感覚はないのです。

今日の仏壇は花でにぎわっています。
私が、畑からとってきた百日草も庭の彼岸花も参加しています。

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2019/09/27

■節子への挽歌4408:遅れましたが、今年も彼岸花が咲きました

節子

お彼岸には間に合いませんでしたが、今年も庭のお彼岸花が咲いています。
だんだん咲く場所が増えていて、今年は4か所で咲いています。

花が咲くのが遅れたのはわが家だけではないようです。
夏の猛暑のせいでどこも開花が1週間くらい遅れているようです。

お彼岸花は、節子がいる時のわが家には咲くことがなかった花です。
彼岸花がわが家の庭に咲いているのは、前も書きましたが、節子の抗癌治療とつながっています。
ですから、この花が咲くのは当初あまりうれしくはなかったのですが、いまはむしろ節子を思い出す契機を与えてくれるものの一つになりました。
それで最近は仏壇にもお供えするようになりました。

しかし、お彼岸花は見れば見るほど不思議な花です。

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■CWSサロン「コミュニティについて考えてみませんか?-アジアをめぐる旅から感じたこと」のご案内

湯島のサロンの大きなテーマは「コミュニティ」です。
「コミュニティ」を正面から取り上げたことはありませんが、サロンではしばしば、話題になります。
今回、ようやく「コミュニティ」を正面から取り上げられることになりました。
それも、自らの生き方に重ねながら、コミュニティについて実践的に考えつづけてきている上田さんが話のきっかけをつくってくださることになりましたので、湯島のサロンらしいコミュニティ議論ができると思います。

ちなみに、上田さんはコミュニティを「帰ってゆきたい場所」と捉えています。

上田さんからのメッセージを下記します。

主にこの8年間のアジアの伝統社会をめぐる旅から、現場で感じたことをもとにコミュニティという切り口で私たちの暮らし方について考えてみたいと思いました。コミュニティへの問いかけの中には、私たちの根源的な思いや価値観、生き方、社会の有り様など宗教、哲学、社会科学などの広範な思考が含まれ、どんな問いかけをしたらいいのか、その問いかけをすること自体が無謀で身の程知らずとの自覚がありますが、それでもなお日々の生活に直接かかわることであり、誰もが問うていきたいテーマなのではないでしょうか? そしてその問いにはたぶん答えというものはないのでしょうが、誰かが話し出すことで共に考え続けてみたいという仲間が現れたらうれしく思います。この永遠のテーマはそれを考え続けることが私たちの生き方そのものを問い続けることになることでもあると思います。

上田さんのさまざまな体験からの「上田コミュニティ」論を前半で話していただき、後半ではそれをもとにみんなで話し合えればと思います。
参加者それぞれにとってのコミュニティを話し合えればと思います。
もしかしたら、そこから新しいコミュニティの芽が生まれるかもしれません。

これまで行ってきた「分け合う経済」「贈与と共生」「農福連携」「地上の楽園」などのテーマにもつながるサロンです。
ぜひさまざまな立場の人に参加していただきたいと思っています。

〇日時:2019年11月16日(土曜日)午後1時半~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:上田英二さん(「那須の会」世話人」)
〇テーマ:「コミュニティについて考えてみませんか?-アジアをめぐる旅から感じたこと」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■新しい政治を考える会

また突然思いついたのですが、日本の政治状況を変えていくための理念と方策を議論し、本にして出版するとともに、それを実践する運動を起こす取り組みをしたくなりました。
かなりエネルギーを必要とすることですので、できれば10~30代の人を中心にチームができないかと思っています。

その世代が3人、集まったら立ち上げようと思います。
立ち上がったら、40~70代の人にも門戸を開こうと思います。
私の交流範囲には、10~30代の人は少ないので、実現可能性は限りなくゼロに近いのですが、もしかしたらと思い、フェイスブックで呼びかけることにしました。

どなたかいかがですか?
やりたいという方がいたらご連絡ください。

私の考える新しい政治は、統治のための政治ではなく、生活のための政治です。
そして生活のための経済です。

以前、湯島で話した簡単な概念図を添付します。

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2019/09/26

■節子への挽歌4407:生と死は生命の両面

節子

今日はがんばって庭の整理を始めました。
ところが、何かに腕を刺されてしまい、いたくて仕方がありません。
自然と立ち向かうということは、たぶん誰かを害しているのでしょう。
その生命が、自衛のために私を攻撃したのでしょう。
いや、攻撃というよりも、その生命にとっては、それが自然の行動だったに違いありません。

まさに、生と死は同時に存在する生命の両面です。
畑作業をやっていると、そのことがよくわかります。

人はみな、だれか(人間とは限りません)の死に支えられて生きている。
そのことが実感できれば、生の捉え方が違ってくるでしょう。
「生きる意味」などという問いもでてはこないはずです。
自らの「いのち」を勝手に終わらせることなど考えもしなくなるでしょう。
そんな気がします。

ところで、いまわが家には生命が集まっているようなので、イチジクと歯医者さんからもらった観葉植物を植え替えました。
まあ今のままでもいいのですが、いずれも鉢が小さいので、大きな鉢に植え替えました。
節子と違い、植え替えがうまくないので、それでだめにしたこともありますので、今回は慎重にやりました。
さてうまくいくといいのですが。
うまくいったらイチジクは来春には地植えします。

池の掃除までには行けませんでした。
午前中出かけていたので、始める時間が遅れたのとちょっと疲れました。
最近は疲れやすいのが問題です。

今日は娘の誕生日だったので、ケーキをご馳走になりました。
すっかり忘れていました。
困ったものです。

 

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■大切なのは感動することではなく、生き方を変えること

国連の温暖化対策サミットで、16歳のグレタさんが、空っぽの言葉で語り合っているあなた方を信じないとスピーチをしたことが、世界中で話題になっています。

私もテレビで見て、ネットでスピーチを読みました。
以前からグレタさんの発言には共感していましたが、実際にグレタさんの表情を見て、これまでとは全く違ったものを感じました。
そう感じた人は少なくないようで、フェイスブックでもグレタさんがたくさん取り上げられています。

しかし、この光景はこれまでも何回も見てきたような気がします。
にもかかわらず何も変わっていない。
どこかに問題がある、と私はつい思ってしまうのです。

グレタさんは、感動を与えたくてスピーチしたわけではないでしょう。
彼女は自らの生きる世界を変えたいと思っている。
感動してもらっても彼女はよろこばない。

彼女が望んでいるのは、空っぽの言葉だけで生きている私たちが、生き方を変えることでしょう。
「空っぽの言葉」で生きている人たちやジャーナリストが、グレタさんの言葉までも「空っぽの言葉」にしてしまうことは避けたいです。
これまで繰り返し私たちがそうしてきたように。

彼女が呼びかけているのは、「誰か」にではなく「私」になのです。
そうであれば、彼女のスピーチに「感動」するのではなく、「反省」し、生き方を変えるべきでしょう。
彼女が信じていないのは、トランプさんや安倍さんだけではなく、空っぽの言葉で語り合っている私たちなのです。

同情するよりも金をくれという言葉がはやったことがありますが、グレタさんもまた、感動するよりも生き方を変えてくれと言っている。
彼女の鋭い呼びかけは自分に向けられている、ということに気づかない人たちがいくら感動しても世界は変わらない。
ましてや、感動を他者に伝えても何も生まれない。
感動をする前に、私たちは、自らの生き方を顧みることが大切です。

まずは自らでしっかりと受け止めなければならない、と私は思います。
そして、できることから始めようと思います。
できることは山のようにありますから。

 

 

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2019/09/25

■節子への挽歌4406:いのちの素

節子

メダカが元気で育っています。
昨年までは、メダカがいつも突然に死んでしまっていたのですが。

現在のメダカは、すべて坂谷さんからもらったメダカです。
魚屋さんから買ってきたメダカは次々と死んでしまうので、一時はあきらめていたのですが、坂谷さんからのメダカは元気に育ち、そのうえ、子供も産んでくれたのです。
一番小さなメダカは水槽を別にしていますが、順調に育っています。

植物では、これも繰り返し挿し木してダメになっていたイチジクが元気です。
もともとわが家から群馬にまで行っていたイチジクの木を育ててくれたのをもらって、植えたのですが、それが今年の春に枯れてしまいました。
これもほぼ諦めていたのですが、ジュンが持ってきてくれたのと姪がくれたイチジクが、今度はいずれも元気です。

この2か月くらい、わが家に「いのちの素」が戻って来たのではないかと思えるほどです。
そういえば、遅れていた曼珠沙華が咲き出しました。
残念ながら庭の花は手入れ不足であまりにぎやかではないですが、みんな元気です。
ただし、華やかさはあまりありません。
昨年はあんなに咲き誇っていた琉球朝顔も、枝や葉っぱは広がっていますが、何故か花はあまり咲きません。

華やかさがないのは少しさびしいですが、庭もまた生気で満ち満ちている感じです。
戻ってきてくれた「いのちの素」を大事にしなければいけません。

さて明日は思い切って、庭の池の掃除をしようかと思います。
大きなガマガエルが出てくる恐れもあって、いささか気は重いのですが、また「いのちの素」に見放されないようにしないといけません。

 

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2019/09/24

■節子への挽歌4405:不思議な出会い

節子

夕方、テレビを観ていたら、東尋坊で見回り活動をしている茂さんが登場していました。
茂さんの姿を見るとなぜか元気が出ます。
節子との最後の遠出の旅が東尋坊でした。
茂さんとの出会いも、私の人生を変えたものの一つでした。

人生はちょっとしたことで大きく変わることがあります。
私と節子の出会いは、京都に向かう電車の中でした。
あの出会いがなければ、たぶん、私と節子が一緒に暮らすことはなかったでしょう。
その日を私は正確には覚えていませんが、節子はきっと日記に書いていることでしょう。

節子の日記は私の手元にありますから、探せば出てくるかもしれません。
あの日、節子はどういう気持ちだったのか。
ちょっと興味はあります。

いま思い出せば、あの日は夢のような、ドラマのような日でした。
もしかしたら、私たちにとっての「最良の日」だったかもしれません。
2人で夕方まで奈良を歩きました。
それまでは付き合ったこともなかったのに、どうしてあんなに心を開け合えたのでしょうか。
考えてみたら不思議です。

そういう不思議な出会いは時々あります。
東尋坊での茂さんとの出会いもそうでした。

最近、不思議な出会いはあったでしょうか。
あったような気もしますが、そこから物語を育てるところにはなかなかいきません。
私の生命力が弱くなってきているからでしょうか。

実は最近、ちょっとそうした流れに変化が起きてきているような気がしています。
また、生命力が寄り集まりだした。
そんな気がしてきています。

 

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■日本に共和党が誕生したのをご存知ですか

元民主党議員だった首藤信彦さんと鳩山友紀夫さんが書いた「次の日本へ 共和主義宣言」(詩想社新書)を首藤さんからもらいました。
新たな政治システムを実現するための実践宣言の書です。
こうした動きが出てきたことに大きな期待を感じます。
しかも、その理念が「共和主義」というのはうれしい話です。

私は、以前から書いているように、共和主義者です。
そのきっかけは大学4年の時に見た映画「アラモ」です。
テキサス独立運動の中で行われたアラモの砦の攻防戦を描いた映画です。
そこで、ジョン・ウェイン演ずるデビー・クロケットが、「リパブリックと聞いただけで心が躍る」というセリフに感動したのです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/05/post_b721.html

以来、そういう生き方を大事にしています。
トクヴィルの「アメリカの民主主義」にも、リパブッリクの精神を感じます。
残念ながら、いまは大きく変質していますが。

2016年に民主党が解体した時の新しい名前に、「民主共和党」を提案したことがありますが、残念ながら「共和」は誰も使いませんでした。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/03/post-f9c1.html

そんなこともあったので、大きな期待を持って、早速読ませてもらいました。
首藤さんは、前書きでこう書いています。

民主党政権の蹉跌と崩壊を身をもって経験し、その後に襲来した時代錯誤のような保守復古路線と、無策な経済運営を続ける自民党安倍政権そして、それをただ傍観しながらひたすら自己の保身に終始する野党勢力のつくり出す、劣化した政治カオスのなかで7年間考え続けた成果である。

そして本編は、次の文章から始まります。

令和元年9月吉日 我々は停滞、腐敗、無力の既存政党、旧態政治を離れて、新しい政治活動集団を組織する。其の名称は「共和党」とする。

つづいて、共和党の国家目標やそれを実現するための新たな政治システムが紹介されています。
共和党は、国家の目標として、国民の幸福の実現を掲げます。
そしてその実現のために、正義・美徳・卓越・友愛の4つの公準を提案しています。
国家目標や国家体制につづいて、具体的な政策が体系的に紹介されています。
さまざまな問題や議論への目配りがされていて、しかも実践的でわかりやすく、共和党の目指すことがよくわかります。
いまの政治状況の問題を踏まえて考えられているので、新しい政治を考えるテキストとしてもお薦めできます。
気軽に読める本(新書)ですので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。

と、こう書いたうえで、勝手な私見を書きます。
期待が大きかった反動かもしれませんが、私にはいささかの物足りなさが残りました。

私が共感したのは、次の文章です。

日本を窮状に追い込んでいるのは「富国」にある。
その富国を可能にするものこそが、「成長」である。

これまでの日本は、明治維新以来の「富国強兵」を国是にしてきましたが、それこそが問題だと指摘しているわけです。
とても共感できますし、ここから政治の議論を始める姿勢にも共感します。
明治維新時にも、「富国強兵」に対峙して「富国安民」が議論されていましたが、この共和党は「富国有徳」を標榜しているようです。
それを読んで、ちょっと腰が引けてしまいました。

政治のパラダイム転回の時期に来ていると考えている私には、やはり従来型の「近代国家」スキームでの議論にいささかの物足りなさを感じてしまったのです。

せっかく、「富国」や「成長」が問題だと指摘しながら、「富国有徳」と「富国」を第一に語っています。
せめて「安民富国」と発想を変えてほしかった気がします。
成長に関しては定常経済を「健全」としていますが、そこでもやはり基準は金銭経済のようであり、新しい「成長」概念への発想の転回はあまり語られていません。

私は、そろそろ「国家」から発想する政治や経済ではなく、生活者個人を起点として発想する政治や経済へと視点とベクトルを180度転回すべきだと思っていますが、本書で言う共和政治はどうもそこまでは想定していないようです。

さらに、「政治の目標を人間第一主義(ピープル・ファースト原理)に定める」とあるように、時代錯誤的なものも混在していて、現在の政治との違いがあまり見えてきません。
正義・美徳・卓越・友愛の4つの公準も、「友愛」をのぞけば、いずれも私には危険な「プラスチックワード」です。

こう書くと私は本書の提案に反対しているように感ずるかもしれませんが、そうではありません。
現実の政治状況を変えるには、改善型の活動もあってしかるべきですし、革命的な活動があってもいいと思っています。
これまで湯島で、新しい政治や経済をテーマにしたサロンもやっていますが、パラダイム転回のような話はほとんど伝わらないことも体験しています。

本書にはさまざまな論点や具体的な提案が含まれています。
現在の政治状況を概観し、問題意識を高めるには、いい材料が山積みです。
こういう、新たな提案の書がどんどん出版され、そうした本に基づいて議論が広がることで、政治は変わっていくはずです。

ネットには、「共和党の広場」ができていて、広く参加者をもとめています。
http://kyowa-to.jp
本書を読んで、もし共感したら、参加してみてください。

首藤さんには叱られるような紹介になってしまったかもしれませんが、まあ私の性分としては仕方がありません。
これを読んで、毎年1回だけやっている私のサロンは、今年はまた政治を取り上げようと思いました。

 

 

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2019/09/23

■節子への挽歌4404:お墓まいりに来る人はいい人ばかり

節子
追いつきました。

今日は秋分の日。
先日、お墓をつくっている篠田さんに教えてもらったのですが、秋分の日は、ご先祖様を供養する日だと法律に明記されているそうです。
いつもは、彼岸の入りにお墓に行くようにしていましたが、今年は秋分の日、つまりお彼岸の中日にお墓に行くことにしました。
台風のせいで風が強い日でしたが、お墓にはお墓参りの人でにぎわっていました。

すれちがうたびに、出合う人とあいさつを交わすのですが、みんないい人ばかりです。
お墓参りに来る人は、みんないい人ばかりですが、それはきっとお墓参りが人の邪気を禊いでくれるのでしょう。
私ももっとお墓に来なくてはいけません。
最近、身に邪気がたまっているような気もしますので。

今月は2回目のお墓まいりですが、台風のせいもあって、かなりお墓はざつぜんとしていました。
掃除の後、お線香を供えて、般若心経をあげさせてもらいました。

最近は、お墓参りをする人も少なくなってきているとも聞きますが、わが家は幸いに、娘も孫もお墓によく来てくれます。
自宅でも毎日、仏壇に手を合わせていますし、孫もわが家に来るとまずは仏壇に手を合わせます。
ですからきっと「いい人」に育つでしょう。
節子も、見守ってくれているでしょうし。

 

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■節子への挽歌4403:孫とショッピングモールへ(2019年9月23日)

節子
ついでに昨日の分も書いてしまいます。

昨日は孫と娘たち(長女と次女)とで、近くのショッピングモールに行きました。
節子が元気だったころにはまだありませんでしたが、近くにアリオというショッピングモールができたのです。
店内を子供たちが乗れる電車が走っていたり、この周辺では一番賑やかなショッピングモールです。

にこの母親、つまり私の娘は、買い物癖をつけさせないために、そう簡単にはものをかいません。
それに孫は卵アレルギーなので、食べるものも制約されます。
経済的にも、わが夫婦の文化の中で育ったので、質素なので、衣服も中古のお店で購入することも多いです。
私も、むやみに孫に物を買うことはありません。

昨日は、モールの中にある駄菓子屋さんで、私の長女が何か買ってやろうかといって、お店に入りました。
私は少し離れた椅子で待っていたのですが、狭いお店なのですぐ出てくるかと思ったら、一向に出てきません。
20分ほどして、3人で出てきましたが、何故かまたはいっていきました。
それからさらにまた15分ほどお店にいたような気がします。
30分以上たってから出てきましたが、買ったのは何やらおかし付の笛でした。

長女に訊いたら、「何か買いたい」と言いながら、その何かが一向に決まらずに、ほかのお店だ探そうかということになったんだそうですが、お店を出たら、やはりこのお店で買うと言い出したのだそうです。
それで決まったのが、おかし付の笛。
でもそれが気にったようで、ふきながら店内を歩いていました。

孫に付き合うのは大変です。
疲れたので、何かおいしいものでも食べようかということになったのですが、どこもかしこも混んでいるのと孫が食べられるものが少ないこともあって、ショップ内のイトーヨーカ堂の食品売り場で、卵を使っていないソフトクリームを探して、店内の休憩用のテーブルで食べることにしました。
4人で300円。

まあそれからまたひと波乱あったのですが、それはともかく、孫にはみんな勝てません。
節子も、娘たちを育てる時に、こんな感じだったのでしょうか。

しかし、孫といると心が心底洗われます。
感謝しなければいけません。

 

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■節子への挽歌4402:伴侶を喪った男性と女性の違い

節子

ちょっと気を抜くと挽歌があいてしまいます。
なかなか昔のように挽歌を書くことがルーティンになりません。

思い出しながら書けば、21日は万葉集を読むサロンでした。
今回で4回目、講師は節子も知っている小学校時代の同級生の升田さんです。
彼女は昭和女子大学で古代日本文学を中心に教鞭をとっていました。

万葉集関連の本は私もそれなりに読んできましたが、なかなかぴんと来なかったのですが、升田さんの万葉集の話を聴いているうちに、そこに日本の社会が形成される起点が凝縮されるような気がしてきました。
これまであまり気にしなかったのですが、万葉仮名にそれが凝縮されているのかもしれません。
それで、図書館から岩波講座の日本語の「文字」の1巻を借りてきて、読みました。
これがまたとても面白い。
まだまだ知らないことや気づいていないことだらけです。

万葉集のサロンには、小学校時代の同級生の女性が3人、毎回ほぼ出席します。
終わった後、彼女たちはそろってうなぎやあんみつを食べに行きます。
3人とも伴侶がいないのです。
伴侶を喪った男性と女性の違いをまざまざと感じます。

彼女たちはしかも先週、山梨まで保管女性陣も誘って、小学校時代の恩師を訪問しています。
男性陣にも誘いがあり、私がみんなに声をかけたのですが、誰一人行こうといわないので、私も参加しませんでした。
ほぼ全員、病院通いです。
男性と女性の生き方の違いも、いろいろと感じます。

万葉集サロンで取り上げたのは柿本人麻呂の「近江荒都歌」です。
この歌は、壬申の乱で亡くなった人たちの魂に、人麻呂が触れて、鎮魂する内容ですが、見えない死者が話題の一つになりました。
その読み方では、升田さんと私とでは全く違っていたように思います。

 

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■第4回万葉集サロン「柿本人麿「近江の荒れたる都を過ぎし時の歌」を読む」報告

万葉集サロンも4回目になりました。
今回は、柿本人麿「近江の荒れたる都を過ぎし時の歌」を題材に、〈亡びにし者たちの「われ」の喪失〉がテーマでした。

最初に、今回は「万葉仮名」について説明してもらい、続いて今回の歌の背景にある壬申の乱に関しても概説してもらいました。
これまでのサロンで、この2つをきちんと踏まえておかないと万葉集は読めないような気がして、升田さんにお願いしたのですが、議論を少し深入りさせてしまい、肝心の近江荒都歌を読み解く時間が少なくなってしまったのを反省しています。
改めてこの2つを、別個に取り上げた万葉集番外編を企画できればと思います。

私自身は、この2つが万葉集を読むための2つのポイントではないかと改めて確信しましたが、これに関しても、升田さんの解説を踏まえて簡単に紹介しておきます。

万葉仮名は約650の文字が確認されています。
万葉仮名というために、万葉集だけが想定されがちですが、そうではなく、万葉時代に使われていた言葉を表記するために漢字(真字)を借りた仮の表記文字と考えた方がいいと思います。
また1文字一音とは限らず、複数文字で1音、1文字で複数音、複数文字で複数音などいろいろあります。

私は多分、当時は50音どころか無数の発声が行われていて、それを違った記号で表記していたと思いますが、日本文字の誕生につながるだけではなく、日本という国の誕生にもつながる話です。

当時は、たぶん朝鮮半島と日本列島の人の交流は多く、「渡来人」は少数民族というよりも、むしろマジョリティだったかもしれません。
さまざまな故地(出身地)を持つ人たちがまとまろうとしていた状況の中で、壬申の乱が起こったわけですが、そのことと万葉集成立とは無縁ではないように思いますし、天智-天武-持統という王朝のめまぐるしい変化を踏まえることで、万葉集の世界に漂うものが見えてくるような気がします。
いずれにしろ、壬申の乱に関しては、東アジアとの関係で考える必要があると思いますが、現在の日本という国の出発点だったともいえる大きな事件でした。

そういう前置きを踏まえて、升田さんはまず近江荒都歌を詠んでくれ(万葉集は声に出さないといけないと升田さんは言います)、解説してくれましたが、案内に書かれていた升田さんの解説が簡潔に要約されていますので、それを再掲します。

壬申乱によって廃墟と化した天智天皇の近江大津宮の跡を詠んだ、人麿の若いとき(万葉初出)の長歌である。
安禄山の戦によって滅んだ唐の都を詩に歌った、杜甫の「春望」(国破れて山河あり 城春にして草木深し)は、漢文の教科書を通して多くの若者たちに感動を与えた。人麿の近江荒都歌は、780年それに先んじている。日本で「荒都」を主題とした歌は、これが最初である。
前半は皇統譜を、後半は一転して廃墟の中をさ迷う人麿の姿を歌う。人麿の目に映ったものは何であったか。
動乱調、乱調と言われる人麿の歌には分かり難い部分もあるが、言葉の意味と調子で力強くそこを突き抜けて行く。古代の歌の魅力である。
近江荒都で人麿の詩性を突き動かしたものは、人麿の「われ」と対峙することの決してない、滅んだ人々の〈「われ」の喪失〉だったのではないか。
若き人麿の、心の迷いを歌う古代言語に触れたい。

サロンでは、これを踏まえて、「ここ」「霧」「夢」について、万葉集の歌を題材にくわしく解説してくれました。
そしてそうしたことを通して、「われ」が主体的・能動的になっていく古代人の心情を示唆してくれました。

この歌には、人麿の悲しみがあるわけですが、その悲しみとは何かということが話題になりました。
廃墟になってしまった近江宮で、人麿は「われを喪失した死者」に出会っているわけですが、そうした事実に悲しみを受動的に感じた〈われ〉の詠嘆なのか、そこから能動的な生まれた〈われ〉の主張なのか、もしそうなら人麿の「われ」を目覚めさせたのはなにか、に私は強い関心がありますが、どうも私の考えすぎのようで、残念ながらそこまでの話し合いにはいきませんでした。
国破れて山河あり、と淡々と歌う杜甫に比べて、人麿の感情が込められている近江荒都歌に。私はどろどろした「われ」の誕生、そして歴史の誕生を感じます。
たぶん升田さんはそれを感じさせたくて、2つの詩を並べてくれた気がします。

ついでにやや余計な私見を加えれば、杜甫とは違い、人麿は、〈われ〉と対峙することのできなくなった死者に代わって、強いメッセージを発しているような気がしてなりません。
そうだとして、人麿は誰に向けて呼びかけているのか。

これまでの4回の万葉集サロンは、ある意味では、言葉を通しての〈われ〉の誕生だと受け止めてきた私としては、とても刺激的で示唆に富むサロンでした。
そのためいつも以上に勝手な私見も入れた報告になってしまいました。

升田さんの講義内容は、ていねいな資料を含めて、ぜひきちんとした記録に残すべきでした。
記録を取っておかなかったことを反省しています。

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2019/09/22

■CWSサロン「破傷風菌に「われ」はあるか」のご案内

昨日の万葉集サロンで、「われ」が話題になりました。
参加していた細菌学者の益田さんから、『破傷風菌に「われ」はあるか』という問いかけがありました。

益田さんには、以前、湯島で細菌学視点からのお話をしてもらったことがありますが、今回はその後の益田さんの死生観や人間観も絡ませながら、改めて、『破傷風菌に「われ」はあるか』をテーマにサロンをしてもらうことにしました。
タイトルが少し専門的なイメージが強いですが、以下のような話題が展開されるそうです。
視点を変えると、環境問題や人間の生き方も違った見え方がし、新たな気付きをもらえると思います。

1)なぜ破傷風菌は人を殺すか。
2)人間は地球に対する病原体のようである。
3)人間が抱えている環境問題。
4)糖尿病とエイズ。
5)自殺をどう考えるか。

今回は、講義+ゼミ型スタイルもサロンにしたいと思いますが、最後の30分はいつものように談論風発のサロンにしていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2019年10月6日(日曜日)午後1時半~3時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇テーマ:「破傷風菌に「われ」はあるか」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2019/09/20

■節子への挽歌4401:人は感謝されると幸せになりますね

節子

コムケア活動の終了宣言をメーリングリストで流しました。
何人かの方から、うれしいメールが届きだしました。
コムケアのおかげでいろんなことを学んだとか、コムケアから企業の応援をもらったことへの感謝とか、いろいろです。
役に立ったかどうかはともかく、そう思ってくださっている方がいるのはとてもうれしいです。

特にこの15年ほど、連絡が全くなかったから、メーリングリストはいつも読んでいるというメールが来ました。
山口の方ですが、山口で集まりをやった時にお会いして相談に乗り、ささやかに応援させてもらっただけのつながりの方です。
いまは活動も順調に発展しているようで、とてもうれしいです。

なかには、お陰様で、ここまで来させて頂きました。百万言を要しても御礼は言い尽くせません。三拝九拝しております、と書いてくれた人もいます。
こういう言葉は、人を幸せにします。

私は、人をほめるのがとても下手です。
言葉に限って言えば、むしろ否定的な言葉が多いようです。
それは私の信条にも関わっているのですが、しかしもっと「褒める」ことを身につけないといけないと改めて思いました。

いま思えば、私は節子をあまりほめたことがありません。
心底いつも感謝していましたが、感謝を言葉にしたことはあまりありません。
もちろん「ありがとう」という言葉は、日常生活ではいつも言っていましたが、特別のことばで感謝の気持ちを表わしたことはあまりありませんでした。
それに私は贈り物が苦手でしたので、誕生日のプレゼントに何かを贈った記憶がありません。

この頃、そんなことを思い出して、反省しています。
今度会ったら、謝らなければいけません。

感謝の気持ちを言葉で表す。
これからは、できるだけそう心がけようと思います。
いなくなってからもなお、節子から教えられているような気がします。

 

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2019/09/19

■節子への挽歌4400:終わりのはじまり

節子

コムケアセンターを店じまいしようと思います。
といっても店じまいするお店もないのですが、意識の中でのコムケアセンター事務局長を終わらせようと思います。

そう思い立った直接の理由は、コムケアの活動の柱になっているメーリングリストのサービス提供会社がサービスをやめることになったからです。
新たなメーリングリストに移行することは可能ですが、自分で始めたものはやはり自分でしめたくなったのです。
現在、全国に750人の仲間のいるコミュニティなので寂しさはありますが、それに代わるネットコミュニティとして、CWSコモンズ村がありますので、そこに集中しようと思います。
ほかにもいくつかのネットコミュニティはありますが、徐々にすべてを整理していこうと思います。

コムケア活動は、立ち上げの当初から、この活動はみんなで育てていきたいという思いから、事務局をなくすことを目指してやってきました。
事務局がなくなってからすでに10年以上経過しますが、メーリングリストやサロンを維持し、そこからいろいろなプロジェクトや活動が生まれてきました。
現在のCWSコモンズ村のコミュニティも、そこから生まれてきました。
ですから、その母体ともいうべきコムケアセンターをなくすのはちょっと迷いがないわけではありませんが、そろそろ「終わり」をはじめなくてはいけません。

同時に、終わりに向けて新しいことも始めようと思います。
だいぶ遅くなりましたが、いよいよ第4期の始まりです。
考えていたのとはかなり違うものになってしまいそうですが。

 

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2019/09/18

■節子編挽歌4399:「けなしたい意地悪さ」と「ほめたい優しさ」

節子
今日は節子が羨むだろう話です。

数日前の敬老の日に、ジュン母娘がやってきました。
孫のにこが書いた私の似顔絵を届けに来たのです。
それが、この絵です。

2019_20190918201401

私はフェイスブックには、孫のことは時々アップしてはいますが、このことは書かずにいました。
しかし、今朝、いつもあまりにも長い記事ばかりをフェイスブックにアップしているので、たまにはと思い、この似顔絵をアップしました。「敬老の日の孫からの贈り物。いつも長い投稿なので、普通に生きていることのあかしとして、たまにはこんなのも」、と説明をつけてです。

私のFB記事はいつも長いのです。
長い記事は多分ほとんど読まれないでしょう。
それにいささかでも「政治色」や「思想」が絡んでいると、「いいね」を押す人は激減します。
ところが、この似顔絵はアップした途端に「いいね」が押されだしました。
そのうえ、こんなコメントも付きました。

「似てる(^ ^)
「佐藤さんのジェントルな雰囲気がとっても良く表現されています!」
「絵画の腕前アッパレ然り」
「天才顕る」

おやおや!?

フェイスブックを見ていて、いつも思うのですが、人は「誰かをけなしたい意地悪さ」と「誰かをほめたい優しさ」を持っているようです。
そのバランスの中で、人は生きているのでしょう。
誰かをけなすのは気分がすっきりするかもしれませんが、しばらくしてたぶん嫌な気持ちに襲われるでしょう。
一方、誰かをほめるとずっと気分はいいでしょう。
にもかかわらず、人はhめるだけではなく、他者をけなしてしまうことがある。
不思議です。

私をほめる理由をつくってくれた孫に感謝しなければいけません。
孫に似顔絵を描いてもらえる幸せを節子にも体験させたかったです。

もらった似顔絵は節子の位牌に供えました。
まあ、節子に似顔絵だと言っても、まあそう大きくは違わないでしょうから。

 

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2019/09/17

■節子へ挽歌4398:またやってしまいました

節子

また大きなミスをしてしまいました。
ユカからも叱られました。

ちょっと怪しいネットショップにカード情報を書き込んでしまったのです。
ネットショップは簡単に注文できるので便利なのですが、とんでもなく安いパソコンの広告がフェイスブックに出ていたので、ためしに注文したのです。
そうしたらおかしな返信メールが来ました。
それで気が付いたのです。
悪用されなければいいのですが。

ユカからは、私が物事を信じすぎると言われました。
しかも繰り返し繰り返し。
困ったものです。

世の中には悪い人はいないとしても悪いことをする人はいるのはわかっているのですが、どうも疑うことが苦手なのです。
しかも疑っていても、ついうっかりミスを犯してしまうのが私のダメなところです。
この性分も治らないでしょう。

幸いと言うべきか不幸と言うべきかわかりませんが、私はほとんど預金がないので、まあ被害が起きてもさほどのことはありませんが、また引き下ろしができませんと言う連絡が来ないといいのですが。

 

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■湯島サロン「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」報告

「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」サロンはいろいろな気付きをもらえるサロンでした。

案内でも書きましたが、篠田さんは、自分の存在があるのは、父母がいて、先祖がいるおかげ。脈々と頂いた奇跡の「命」を次に繋げるために生まれて来た自分も将来先祖になる、ということを考える契機にするためにも、先祖を「見える化」することが効果的だと考えています。

最初に、篠田さんは、今ではあまり注目されずに、ひっそりと建っている慰霊碑の写真を見せてくれました。
慰霊碑の裏には、いまの社会の実現に貢献した人たちの名前が刻まれています。
時代の変化の中で、その活動の意味合いは変わったこともあるかもしれませんが、当時は社会が評価していた人たちのはずです。
それが、今では忘れられてように放置されているものも少なくない。
いまの社会を創ってきてくれた昔の人たちへの感謝を忘れていいのか。
感謝の気持ちがなければ、慰霊碑はただの石。

そして篠田さんは、感謝の気持ちを育てれば、「生きる力」が生まれてくるといいます。
そうした「感謝の気持ち」が失われてきていることを篠田さんは残念に思っているのです。

そこで篠田さんは参加者に、「ありがとう」の反対語はなんでしょうと問いかけます。
みなさんはなんだとお思いでしょうか。

篠田さんは、「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」だと言います。
「有難う」と漢字で書けば、その理由がわかるでしょう。
私たちが、いまここに生きて暮らせているのは、「あたりまえ」のことではなく、「有難い」ことであり、そうした「有難い」ことを成り立たせているのは、私たちのご先祖のおかげです。

ご先祖もただ思い出せばいいわけではありません。
そこに感謝の気持ちがなければ、ただの知識になってしまう。
そして、篠田さんは「いのちの積み木」を組み立てて、そのどこか一つ、つまりご先祖さまの誰か一人が欠けただけで、自分の存在は崩れてしまうことを実際に示してくれました。

「いのちの積み木」については、次のサイトをご覧ください。
https://gosennzosama.11ohaka.com/

そして、各人、ご先祖さまシートに自分の両親、そのまた両親、さらにそのまた両親と、名前を書き込んでみました。
なかにはかなり前までさかのぼれる人もいましたが、だいたいが祖父母まででした。

その後、話し合いが始まりました。

名前だけではなく、その人にまつわる物語や時代とのつながりがあると記憶に残りやすい。
実際の接点があると思いだしやすく記憶にも残るが、そうしたものがなくなってきている。
お墓は、そうしたことを思い出す一つの装置。
お墓に刻まれる戒名や過去帳を残したりする話も出ました。

両親がいない子供が増えてきている状況の中では、子どもたちを対象にする場合は慎重にやる必要があるという意見も出ました。
血縁に限らず、お世話になった人も含めて、考えることも大切だという意見もありました。

参加者の中村さんからは、「いのちのまつり ヌチヌグスージ」という絵本が紹介されました。
「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね~?」と言う問いかけから始まるこの絵本の圧巻は、見開き拡大ページで10代にさかのぼっての1000人を超えるすべてのご先祖様の顔が描かれているところです。
学校教育でも採用されている本だそうです。

家族が大きく変質しつつある現在であればこそ、ご先祖さまのことを思い出すことが大切になってきているのではないかという気がします。
「いのちの積み木」はいろんな形で使える道具だと思いました。
今回もまた、お墓の意味も語られました。

ちなみに来週の秋分の日は、法律では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ために休日に指定されているそうです。
ご先祖さまの名前を一度書き出してみたらどうでしょうか。
いろんな思いが生まれ、生き方もちょっと変わるかもしれません。

「いのちの積み木」ワークショップに関してもっと知りたい方は篠田さんをご紹介しますので、ご連絡ください。

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2019/09/16

■節子への挽歌4397:先祖の名前

節子

今日の「お先祖様の見える化のサロンは、無事、パソコンも動き、うまくいきました。
いろいろと大変でしたが。
サロンの報告は時評編で書きますが、「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの話はいつもいろんな示唆を与えてくれます。

今回は、お先祖シートに沿って、自分の両親の名前を書き入れ、皿の祖の両親の両親の名前を書き込み、そうやってどれほど昔にさかのぼれるかを確認しました。
私の場合は、両親の両親で止まってしまいました。
しかも父方の祖父の名前が記憶にないことに気づきました。

私が実際に会ったことがある祖父母は、母方の母だけです。
後はいずれも私が生まれた時には亡くなっていました。
実際に会ってないと名前は記憶に残りません。

小学校の時に先祖探しの宿題が出ました。
その時は父方の先祖に関して調べましたが、その頃のレポートがどこかに残っているので、それを見れば、名前もわかるかもしれません。
母方に関しては、以前、母の旧姓(牧岡)と同じ人に会ったのですが、話しているうちに縁戚であることがわかり、しかもその人の親戚の人が「牧岡家の研究」と言うのをネットでアップしているのを教えてもらいました。
ですからそれを読めばかなり先まではわかるでしょう。

しかし、私にはそうしたことにはまったくと言っていいほど興味がないのです。
にもかかわらず、今回、篠田さんにお話ししてもらい、私自身、先祖の見える化に関心を持ったのは、あまりにここで情報を断絶することへの疑問からです。
私の興味とは別に、情報だけは残しておこうと思ったのです。

と同時に、現在の親戚関係でさえ、私の性癖もあって娘たちにはあまり伝えていません。
節子がいたころに、節子の親せき関係と私の親せき関係を図にしてシェアしようと話し合ったことがありますが、その頃は2人ともあんまり関心がなかったのです。
いまから思えば残念なことです。

もし死者もまだ現世でも生き続けるのであれば、どこかの現在とのつながりを残しておくのがいいでしょう。
今からでもできることを少しやっておこうと思います。

 

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■節子への挽歌4396:心配事や悩み事こそが生きる証

節子

熟睡できない夜が続いています。
暑さのせいではありません。
理由はよくわからないのですが、最近、精神的なすっきり感がないのです。

心配事もありますし、迷い事もある。
つまり煩悩に埋もれているということです。
そこから抜けるのは簡単ではありません。

もし自分のことだけを考える生き方であれば、簡単かもしれませんが、そういう生き方になれないのは、私が生きているからです。
人は一人で生きてはいないですし、心配事や悩み事こそが生きる証ともいえます。

熟睡できない夜は、夢をよく見ます。
不思議なのは、夢で新しい人に出会うことです。
昨日も、夢の中で名刺交換しに来た人がいました。
教育に関わる仕事をしている人でした。
もちろん現世では会ったことがありません。

現世の話に戻せば、大きな心配事もありますが、小さな心配事もあります。
昨日は、今日の湯島でのサロンのための道具が使えないことが判明して、その道具探しに汗をかいていました。
湯島のパソコンが壊れているのですが、明日のサロンではパソコンを使うことになったのです。
娘からノートパソコンを借りてきたり、電気屋さんにコネクターを買いに行ったり、参加者にお願いしてパソコンを持ってきたり、いろいろとやってみました。
コネクターはお店になく、娘のパソコンには必要なソフトプログラムが入っていなかったり、まだ解決していません。

他者にあまりの迷惑をかけたくないので、仕事に行く前に朝早く届けるという解決策の提案をしてきてくれた人の方策は辞退しました。
その人が朝苦手なのを知っているからです。

その結果が、今朝もまだ完全には解決していません。
まあ割り切れば、これもまた、解決は簡単なのです。
映像なしのサロンにすればいいだけのことです。

悩み事をなくすのは、簡単なことです。
悩みをもたらす根幹を断てばいい。
しかし、それでは生きる豊かさも失われてしまう。

昨日のもう一つの夢は、水害の被災地で、復興に取り組む人たちを、なぜかそこに隣接する高層ホテルから見下ろしている夢でした。
ホテルは何かの講演会で、しかも私も講演者の一人でした。
主催者は、資産家で、資産家の父娘が私を接待していましたが、なぜか閉まっていた窓が開いて、ベランダに出てみたら、眼下にその光景が見えたのです。
そこで思ったことは、外部から遮断された高層ホテルの講演会会場で談笑している人たちと被災にめげずに復興に取り組んでいる人たちと、どちらが幸せなのだろうかと言うことです。

ほかにもまだ暗示はいろいろとあったのですが、そこで目が覚めました。
眠れぬ夜から気づかされることはすくなくありません。
救いは、資産家の若い娘の純粋なまなざしでした。

 

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2019/09/15

■節子への挽歌4395:バカに悪い人はいない

節子

武田さんと久しぶりに、といっても、2か月ぶりくらいですが、2人でゆっくりと食事をしました。
武田さんと会う時には、彼がいまのところ経済的な富者ですので、私は彼のお布施を受けてやる役割で、偉そうな態度で、いつもご馳走になっています。

お互いに、この現世にはそう長くはいないでしょう。
武田さんは間違いなく自分が先に逝くと思っていますが、そうとは限りません。
その残り少ない人生で、武田さんは少し生き方を変えようと思いだしています。
ライフワークだった直接民主主義研究とその普及のリンカーンクラブを、いよいよ実践活動に向かわせようと考えています。

私は、これまで彼の趣味活動のリンカーンクラブの事務局長を2回勤めましたが、実践の取り組みに関して意見の食い違いがあり、2回とも「罷免」されています。
困ったものです。

でもまあ、武田さんが実践に少しでも向かうのであれば、荷担しなければいけません。
それで、改めてリンカーンクラブ研究会をはじめ、そこから緩やかな実践の芽を育てることにささやかに関わることにしました。
そこで、武田さんの意向を再確認しようと思ったのですが、まあそんな話は数分で終わり、あとは人生論のような話になってしまいました。

節子も、武田さんのことはよく知っていますが、武田さんも節子のことをよく知っています。
だから会話にも節子がよく出てくるのです。
しかも、呼び捨てで。

武田さんも仕事をやめて年金暮らしになると、年金額は私よりも少なくなるかもしれません。
布施関係は逆転するかもしれません。
しかし、武田さんの場合は、奥さんがしっかりしていますので、年金は道楽消費にすべて向かいかねません。
まあ私が武田さんにご馳走することはないでしょう。
来世はわかりませんが。

やはり経済観念は女性の方がしっかりしています。
節子でさえ、私よりもしっかりしていましたから。

武田さんとは生き方や価値観は大きく違いますが、絶対に嘘をつかないので話していても気がやすまります。
それに私と同じ程度のバカなのです。
武田さんはいつも私のことを、頭はいいけれどバカだと言っていますが、自分のかなりのバカなのです。
ここだけの話ですが。

そういえば、節子もかなりのバカでした。
そして、バカに悪い人はいないのです。

 

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■リンカーンクラブ研究会「敗戦後の日本から抜け出るために」報告

「敗戦後の日本から抜け出るために」を大きなテーマにしたリンカーンクラブ研究会が始まりました。
リンカーンクラブ代表の武田さんを中心にした気楽なゼミ形式で、毎月第2土曜日の午後、開催していく予定ですが、メンバーは固定せずに、公開スタイルで進めていきます。
毎回、テーマを設定しますので、関心のあるテーマだけの参加も可能です。

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今回は、敗戦後の日本の政治状況をどう見ているか、そうした現状をどう変えていこうと考えているかを意識しながら、課題を確認するような内容になりました。

最初に参加者各人から、「戦後の自民党政治の問題点」を自由に話してもらいました。
次のような、さまざまな意見がでました。

日本人古来の忖度文化を悪用した政治が続いて、いまや国家としてもアメリカに忖度する政治になってきている。
ほんとに民主主義になったのか、戦前の没個性のお上意識が戻ってきているのではないか。
日本人は結局、連帯して動くことができなかった
こんな日本しか作れなかったことで、自分に腹が立つ

ある時から、日本の未来をしっかりと考える本物の政治家がいなくなってきた。
脱政治化された国民国家になってしまったが、今回の山本太郎現象に一筋の光を感ずる。
敗戦後の革命で得たものは失われてしまった、また新たに積み重ねていかねばいけない。

今回の千葉の台風被害のように、予見されていたにもかかわらず、政府はそれよりも内閣改造を優先。災害後の実状も、実際にヘリを飛ばせばわかったはずだが、政府はアクションしなかった。そこに今の政治の本性が象徴されている。
マスコミは政府に利用される存在になってしまったが、今回の台風被害も、ツイッターで現場の人が声をあげてようやく実状が顕在化した。そこに新しい可能性を感ずる

アメリカが倒れそうで中国が力を増している国際情勢の中で、外圧によって、日本は変化を余儀なくされる状況が強まっている。その一方で、国内的にはITによる国民監視が強まっている。いずれにしろ、大きな分岐点にある。

参加者からはこんな意見が出ました。
それを受けて、武田さんからは、概略次のような話がありました。

敗戦後70余年、自民党の政治と言えば、やれることを最大限やってきた政治と言える。
国民に嘘をつき隠ぺいし、憲法に反してまで強引にやってきた政治であり、今やまるで独裁国家のように、自民党は日本国憲法さえも自己の政治の道具にしてしまった。
そして、こうなった責任の大半は、政治に無関心であった国民にもある。
しかし、その自民党政治の限界が見えてきた。

つづいて、安全保障、財政、外交などの具体的な領域において、そうした政治状況が引き起こしている具体的な問題に言及し、有力な自民党議員の血縁者によって占められ「政治ムラ」ともいうべき利権グループ(これは武田さんの表現ではないのですが)に政治を任せておいていいのかと呼びかけました。
いまここで立たねば、未来は開けていかないのではないのか、という武田さんの思いを感じました。

そこから話し合いです。
研究会ですので、あまり逸脱することのないように注意しながら進めましたが、語られた話題を少しリストしておきます。。

政治を決めるのは「制度」か「人」か、どちらがより重要なのか。
象徴としての人間天皇の存在意義。
議会制度や選挙の問題。
マスコミメディアの持つ政治力。
そもそも憲法とは何か、また日本国憲法の成立過程をどう理解すべきか。
政治に根幹としての、どういう国を目指すのかと言う「国家ビジョン」。
政治に目を向ける余裕のない若者世代。
こういう政治を語る場を増やしていくことの大切さ。
こういう議論をどう行動につなげていくか。

ほかにもいろいろとありましたが、個別問題への意見はともかく、現在の危機状況を変えていかなくてはという思いは、参加者全員が共有していたと思います。

となると、ただ話し合っていただけでは、武田さんが言うように、主権を持つ国民としての責任を果たせません。
そのためには、これも武田さんが最初の話で強調しましたが、実態を知らないが故に反応できないでいるという状況から変えていく必要があります。
こうした学びの場がもっと必要です。
同時に、学んだことをできる範囲で実践していくことも大切ですし、それ以上に、社会への働きかけもしなければいけません。

話は大きくなってしまいましたが、しかしまずは、研究会で学び気づき、政治への関心を高めていきながら、時に個別課題の勉強会、さらには公開フォーラムを開催していこうということになりました。
そうしたさまざまな活動が、この研究会から生まれていくようになればと思います。

当面は、毎月第2土曜日の午後に研究会を開催します。
固定メンバーとして参加したい方はご連絡ください。

次回(1012日)は、まずは「目指すべき国家像」をテーマにします。
政治を語るに際して、大切なのはどういう国を目指すのかと言うビジョンですから。
参加者は、あらかじめ自分が考える「こんな国にしたい」と言う国家像を考えてきてほしいと、武田ゼミ先生は言っています。
よろしくお願いいたします。

 

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2019/09/13

■節子への挽歌4394:昔の仲間との会食

節子

東レでの最後の仕事、と言うか、その仕事で私の人生を変えることになるCIプロジェクトを始めた最初のメンバーの渕野さんと坂上さんと3人で食事をしました。
渕野さんの呼びかけです。
渕野さんとはよく会っていますが、坂上さんと会うのは本当に久しぶりです。
2人もわが家にも来たことがありますので、節子も知っています。

東レのCIプロジェクトは、私がボスに提案して、取り組ませてもらったプロジェクトです。
ボスから車内からメンバーを選んでいいというので、最初に選んだのが渕野さんです。
当時、社長提案が行われていて、それを読んだうえで、彼に声をかけました。
それまで彼とは面識がありませんでした。
会社を辞めてもいいくらいの気持ちで取り組みたいが、それでもいいかと伝えて参加してもらいました。
このプロジェクトは、私だけではなく、彼の人生も変えたかもしれません。

プロジェクト立ち上げに際して、2人で、東レの全工場をまわりましたが、その体験はかなり強烈でした。
坂上さんは、事務スタッフが必要だと言って採用してもらいました。
まだ在学中からアルバイトで来てもらいましたが、大活躍してもらいました。
その後、メンバーは増えましたが、立ち上げ時期の2人には特別の親近感があります。

渕野さんは大病を患ったこともあって、現世でできるだけ会っておこうという意識が強く、湯島によく来るのも、私を気遣ってのことなのです。
たしかに、この歳になるといつ突然に旅立つかもしれません。
しかし、私の場合は、死ぬ日の1週間前に友人たちには連絡する予定なので、そんな心配はないと伝えました。
それに、来世もあるから、現世にこだわることはないとも言いました。

そこから、もうすでに私は彼岸に行っているのかもしれないというような話になり、その直後に写真を撮ってもらったら、何やら私だけが天上から降りてきたような神々しい写真になってしまいました。

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やはり私は、もう彼岸に行っているのかもしれません。
実に困ったものです。

しかし、あの坂上さんがもう50代の半ば過ぎ。
時の流れを感じます。
しかし、2人も本性は全く変わっていない。
久しぶりなのに、それを感じない2時間半でした。

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■茶色の朝サロン「最近、ちょっと気になることから政治を考える」のお誘い

茶色の朝シリーズのサロンを、参加者は多かろうと少なかろうと毎月、定期的に開催することにしました。
平日日中開催と平日夜開催を交互に行うことを考えていますが、10月は昼間の開催です
10月は7日の午後です。

生活感覚から政治を話し合い、そこから私たちの生き方や社会のありようを考えていければと思いますが、これが結構難しいのですが、根気よく継続していくことでなんとか定着できればと思っています。
今回も、前回に引き続き、「最近、ちょっと気になることから政治を考える」を自由に話し合うことにしました。
参加者から、こんなテーマの話をしたいという声が出れば、それに重点を移すこともありです。

ふだん、政治のことなど考えたことがない人が、気楽に政治への関心をもてるようになる場になればと思っています。

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

〇日時:2019年10月7日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「最近、ちょっと気になることから政治を考える」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■社会保障への懸念

こんな記事が目につきました。

安倍首相は第4次内閣発足の記者会見で、社会保障改革について「社会保障全般にわたる改革を進める。令和の時代の社会保障の制度を大胆に構想していく」と述べ、全世代型社会保障検討会議検討会議の初会合を来週にも開催する考えを示した。

社会保障制度の構想変革を安倍政権の手に任せることに、大きな不安を感じます。

それはともかく、最近、社会保障政策にもいささかの懸念を感じています。
湯島では、「贈与」をテーマにしたサロンを継続的にやっていますが、「贈与」の概念が大きく変わりだしているのが気になっているのです。

フランスの人類学者のモーリス・ゴドリエが20年以上前に書いた「贈与の謎」と言う本があります。
難解で、私にはあまり消化できないのですが、その本を最近また読み直しました。
その本にこんな文章が出てきます。

日本では、贈与交換の慣行が千年紀にもわたって伝統的に社会のあらゆる階層で尊重され、各人の人生で重要な役割を演じてきた。人生の大事件(誕生、結婚、家の新築、死亡等)や新年、中元、歳暮には、贈り物が欠かせなかった。

つまり、贈与は「人のつながり」と一体なのです。
私がイメージする贈与の基本はこういうことなのですが、最近はこの慣行もなくなりつつあります。
代わって盛んになっているのが、社会保障です。

社会保障は、国家による国民への贈与です。
それは国民によって形成されている国家の重要な役割です。
しかし、注意しなければいけないのは、それは個人の事情とは無縁に脱人格的に行われがちなことです。

モースの「贈与論」以来、贈与は返礼を義務化するとされています。
ゴドリエは、「受贈者は、贈与者の債務者となり、ある程度まで、少なくとも与えられた物に《お返し》をしない間は従属していることになる」と書いています。
つまり、贈与は「負債」を創出するのです。

いいかえれば、社会保障は国民を負債者にしていくというわけです。
とても考えさせられる話です。
負債者は、なかなか主体的・自立的に言動できなくなりがちです。

NPO活動をしている友人からこんな主旨のメールをもらったことがあります。

昨今の社会では、統治者から評価されることを自らの地位の向上や実利と考えて、統治側に寄ることをいとわないことが多い。NPOでも同じことが起こります。行政の末端(委託事業、委員会メンバー等)になったほうが有名になり経済的に安定します。

その方は、そうした誘惑に抗いながら、真摯に活動されていますが、個人としてはともかく、組織としては難しい問題でしょう。

「贈与の謎」にはこんな文章もあります。

社会を再構成し、溝を埋め、亀裂を修復するのが国家の役目のはずだが、国家はその仕事を十分に果していない。まさにこの矛盾と無能の結節点から、今日新たにあちこちで、だんだんと贈与に訴える状況が生じてきている。
この状況から、広く贈与と分配の的となる《住所不定の》個人が増えている。贈与の需要が供給を呼びおこし、ついで組織化されはじめる。思いやり食堂からスーパーマーケットの募金まで、寛大で連帯愛に満ちた潜在的贈与者に、直接現金ではないまでも、そのお金で買ったものや自分の消費に予定していたものの分配を要請する無数の《慈善》組織が現われてきた。

そういう状況は、いまの日本でも広がっています。
そして、それは政府による「社会保障制度」とも深くつながっています。

社会保障といわれると、その内容も吟味せずに、多くの人は歓迎します。
しかし、それによって失うものも忘れてはいけません。

ちなみに、私が大切にしている「布施」は、「純粋の贈与」とも言われています。
私の理解では、贈与と布施は主体が違います。
「贈与」は贈与者が主役ですが、「布施」は受贈者が主役です。
行為の意味は真逆なのではないかと思いますが、なかなか見えてこないことが多いのです。



 

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2019/09/12

■節子への挽歌4393:便利な社会の脆弱さ

節子

先日の台風は、我孫子はさほどひどくはなく、わが家はほとんど被害はありませんでした。
しかし、房総方面は強風がすごかったようで、電柱倒壊などで今もまだかなり広域で停電が続いています。
昨日あたりからその実状がテレビで報道され出しています。
そのため、昨日から心配して電話してくれる人が増えてきています。

そのことに感謝します。
いろんな人たちのあたたかな気遣いの中で、私は生きているわけです。

今日も、なんと福井の東尋坊の茂さんからも電話がありました。
千葉と言っても、北西部に位置するわが家のあたりは、停電もなく、雨風の被害もさほどではなかったのですが、遠方の人には、「千葉」といえば、このあたりも含めて、千葉なのでしょう。
いろんな人が心配してくれるので、このあたりは大丈夫でしたとフェイスブックに書き込みました。

しかし、房総方面の被害は甚大です。
いまもまだ停電が続き、倒壊した電柱で道路が遮断され、水も出なくなってしまっている地域がまだかなりあるようです。
停電でエアコンが使えなくなったための熱中症の死者も出ています。
便利な社会は、一転して、生きるのさえ困難な状況へと急転することがあることを改めて思い知らされました。
便利さに慣れることの恐ろしさを忘れてはいけません。

私と節子がシェアしていたことの一つは、便利さへの依存への懸念でした。
頭で考えたことではなく、私たちには生理的に、便利さへの不信感がありました。
節子ときちんと話し合ったことはありませんが、そんな気がします。
しかし、いまの私がそうであるように、加齢とともに、機械に依存する傾向は強まりますので、節子がもし今も元気だったら、どうなっていたかはわかりません。
それに、わが家に自動車を持ち込んだのは節子ですし、食器洗浄機を導入したのも節子でした。
節子にも私にも、そうした矛盾する性癖がありました。
もっとも、節子は食器洗浄機をほとんど使用せず、娘たちもその文化を継承しています。

私は、普段は生活力がほとんどありませんが、いざとなったらたぶん生き延びられるタイプです。
いささかそれを過信しているところがありますが、生きる工夫をすることに関しては、まあそれなりに考えられる素地はあります。
ただ、節子がいない状況では、果たして私のそうした本分が発揮できるかどうかは、いささかの不安はあります。

節子がいたら、どんな状況になっても、生きつづけられたでしょう。
おそらく、節子も同じように、思っていた。
その片割れが不在となった時、どうなるか。

話がおかしな方向に来てしまいました。
いずれにしろ、台風の被害も少なく、便利さに裏切られることもなく、ほどほどの便利さを享受しながら、基本的にはたくさんの人に支えながら、今日もまたいい1日でした。

未だ停電しているところが一刻も早く復旧するように、祈りたいです。

 

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■節子への挽歌4392:だまされる役割

節子

実は、2日前に久しぶりに節子が夢に登場しました。
久しぶりの節子だったので、とてもうれしかったのですが、何故かとても疲れている感じでした。
いつもとどこか違っていた。

目覚めたあとも、ずっと気になっていて、挽歌が書けなかったのです。
9月10日の挽歌が抜けているのはそのためです。

節子は、もう少し夢に出てきてもいいと思うのですが、なかなか出てきません。
しかし、夢で節子に会った時には、しばらくはとても幸せな気分に浸れます。
まさに、得も言われぬ幸せ感なのです。
しかし、夢に出てくることはめったにありません。
困ったものです。

その節子がせっかく夢に登場し、しかもいつものような「気配」ではなく、節子そのものの登場でしたが、その節子が疲れてしまっていて、あまり話もしないのです。
最近、いささか疲れ気味の私のような感じです。
だから目覚めてからも、あれはなんだったのだろうかと悩んでしまったわけです。

節子は、何を伝えたかったのか。
私を呼び寄せたかったのか。
節子の夢を見た後の、至福感はありますが、同時に不安感も残ってしまった。

ふと今日思ったのですが、節子はもしかしたら、あまりにも同じ間違いを重ねている私に注意しに来たのかもしれません。
一昨日も集まりの前の雑談で、私はみんなに騙されやすいからといわれました。
騙すよりも騙されるのがいいというのは私の昔からの信条です。
そのせいか、繰り返し繰り返し、だまされる。

騙されるのは、私にとっては何でもないのですが、しかし今度こそはと思って、信頼したのに、やはりその信頼が裏切られてしまう。
それは、けっこうさびしいことです。
でも他者にはそれが見えていて、心配してくれているようです。

昨日もまた、全面的に信頼した人から信じがたいメールが届きました。
人を信じすぎるから、と節子からも言われていましたが、ついふらふらと信じてしまう。
そういう自分に、最近は少し愛想をつかしたくなっています。
しかしそれを直すのは難しい。

だとしたら、やはり世間から縁を切るのがいい。
それができたらどんなに心やすまるでしょうか。
しかし、だますにはだまさなければいけない事情もあるのでしょう。
だとしたら、だまされる存在も必要でしょう。

問題は精神的に、経済的に、持ちこたえられるかどうかです。
胃が痛いです。
いや心が痛い。

節子が、もういいからこちらに来たらと、救いに来たのかもしれません。
困ったものです。
節子こそ、こちらに来たらいいのに、と心底思います。

 

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2019/09/11

■節子への挽歌4391:みんないい人

節子

昨日は湯島で、友人が取り組んでいる「絆の会」の話を聴く集まりがありました。
私も前半参加しましたが、それが始まる前に、ある人のことが話題になりました。
私が、あの人はとてもいい人だといったら、ある人が「佐藤さんは誰のことも「いい人」だというんですよ」と言うのです。

いささか心外で反論しようとしたら、そこに言わせたみんなが「そうだ」と同意したのです。
しかも、ある人は、「そのいい人に時々佐藤さんは被害を受けている」というのです。

要するに、私の言う「いい人」はあんまり意味がないというわけです。
それで、結局、佐藤さんがいい人なんだよと言うことになったのです。
いささかバカにされた感じもしましたが、私が「いい人」であれば、私は満足です。
正確に言えば、私でさえ「いい人」なのだから、みんな「いい人」と言えるでしょう。

それに、その人は、だから湯島にはみんなが集まるのだと言ってくれました。
それでついついうれしくなって、反論はやめました。
要するに、私は「いい人に」に囲まれているというわけです。
でも例外は、私にもあるのですが。

そういえば、こういう会話は娘ともよくしますし、節子ともよくしていました。
娘からは、最近は、その「いい人」になんでお金を取られたのかと詰問されます。
「悪い人」もいるよね、と迷惑をかけた娘から言われると返す言葉もありません。
しかし、黙っているわけにはいかずに、「悪いことをする人はいるが悪い人はいない」と付け加えますが、娘からはいつもスルーされてしまいます。

トラブルや被害は、いまも起こっています。
しかし、こうした私の生き方は多分変わらないでしょう。
困ったものです。

宝くじが当たるといいのですが。

 

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■節子への挽歌4390:知識は人を幸せにするとは限りません

節子

昨日は胃がん手術をした友人のお見舞いに行ってきました。
といっても、お見舞いと言うよりも、彼の顔を見に行っただけですが。
昨日が定期検査日だったの電話をしたら、話題のオブジェ-ボ治療に入ることも検討され出したというので、気になって出かけました。
彼は相談相手がいないので、雑談相手になるだけでもいいだろうと思ったのです。

節子のことを体験しているので、少しだけ様子が理解できるのですが、様子が少しわかっているだけに放っては置けない気がするのです。

ところが、彼と話している時に、メールが飛び込んできて、やはり最近、がんが発見された人のことでちょっと気になる連絡がありました。
そんなこんなで、昨日はいささか気の重い1日でした。

いろんなことがわかることは良いことばかりではありません。
知識は、人を幸せにするとは限りません。
それに、知ってしまうと放っておくことはできません。

昨日は異常な暑さでしたが、今日は涼しくなりました。
静かな1日になるといいのですが。

 

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2019/09/09

■節子への挽歌4389:自然の声

節子

昨夜は台風による強風で、あまり安眠できませんでした。
幸いに被害はありませんでしたが、そもそもわが家は風が強く吹き付ける場所なので、風の音が怖いほどでした。
それに時に家自体が揺れますし。
数年前には、強風で藤棚が倒壊しましたが、今回は大丈夫でした。

昨夜は風の音を聴きながら、いろんなことを思いました。
風の音は怒りも悲鳴にも感じます。
もっと自然の声を聞いてほしいという祈りも聞こえます。

自然の中で暮らしていた昔の人は、たぶん風とも会話できていたのでしょう。
反省しなければいけません。

数日前に、万葉集サロンをやってもらっている友人から

上弦の月と木星が大接近しています
気がついたら見てください。

と言うメールが届きました。
なんと間に合って見ることができましたが、静かで美しい月でした。

そういえば、最近ゆっくりと空を見上げることもない。
生活に余裕がないのでしょう。
気をつけなくてはいけません。

今まで静かだった風が、短く大きな声をあげました。
私の反省に応えてくれたのかもしれません。
一声だけで、また静かになりました。

 

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2019/09/08

■節子への挽歌4388:新潟の行きたくなりました

節子

新潟の金田さんから「旅地蔵 阿賀をゆく」という記録集が送られてきました。
阿賀野川といえば、新潟水俣病ですが、最近は新潟水俣病のことを知っている人も少なくなりました。
先日のサロンで参加者にも訊いてみましたが、ほとんどの人の記憶にはありませんでした。

この記録集は、新潟水俣病の安田患者の会の旗野さんたちがまとめたものです。

数年間に新潟に行ったときに、新潟水俣病の資料館に行って、塚田さんにお話を聴きました。
塚田さんのことは前にも書いた気がしますが、水俣病のことはもちろんですが、私的なことでも心を通い合わせることができました。
以来、ずっと頭の片隅に、塚田さんはいつづけているのです。

最近、特に思い出すことが多くて、先日金田さんと電話で話したときに、塚田さんのことを話題にしました。
それを覚えていた金田さんが、この本を送ってきてくれたのです。

もっとも、この本は塚田さんとは関係なく、つくられたようです。
ますます塚田さんのことが気になりだしました。
そして、この地蔵さんにも会いたくなりました。

遠出しなくなってから1年以上経過します。
畑にさえいけない状況ではありますが、新潟にも行きたくなりました。

いやそれどころではありません。
最近、行きそこなっていたシシリーにも無性に行きたくなっています。

旅行資金を確保しなければいけません。
困ったものです。

 

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2019/09/07

■節子への挽歌4387:畑に行ってきましたが、作業はできませんでした

節子

畑に行けません。
想像するだに恐ろしい、のです。
ですから、ここしばらく畑に行っていません。
そのため、先日ちょっと寄ってみたら、2年前のようなひどい状況に戻ってしまっていました。

昨日は行こうと思えば行けたのですが、孫が来たりして、安きに逃げて行きませんでした。
今日も幸いに時間がなくて行けなかったのですが、夕方、不幸にも時間が少しあいてしまいました。
だいぶ迷いましたが(最近、決断力が萎えています)、思い切って出かけました。

予想以上にすごいことになっていましたが、ひまわりと百日草は野草に抗ってがんばっていました。
それで、また来るからと野菜たちに声をかけて、水をやるだけで戻ってきました。

野菜もキュウリやナスががんばっていましたが、キュウリはがんばりすぎて、巨大になっていて、普通の食用には向きそうもありません。
さてどうするか。
ナスは食べられそうです。
ミニトマトはみんな熟して落ちていました。
こらえ性がなくて、困ったものです。

問題は、メロンだと思ってタネを蒔いたものが畑中に広がっていました。
記憶では、滋賀の高月のメロンがおいしかったので、そのタネを取っておいて蒔いたはずなのですが、成っていたのはメロンではありませんでした。
遺伝子操作した記憶はないのですが、いろんなタネを一緒に瓶に入れておいたので、タネ同士の情報交換が行われたのかもしれません。

よくわからないので、青いのと茶色になったのをいろいろと収穫してきました。
ユカが調べたら、ピーナツなんとかと言う野菜のようです。
茶色が正解でした。
しかし、どうしてメロンがピーナツなんとかになってしまったのか。
困ったものです。

さて少し涼しくなったら、しっかりと畑作業を再開しなければいけません。
野草の陰にいろんな野菜もあるはずなのですが。

節子がいたら、こんなことにはなっていなかったでしょうに。

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2019/09/06

■茶色の朝サロン「最近、ちょっと気になることから政治を考える」報告

BMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を再開しましたが、女性3人、男性7人の参加でした。

男性の人数が多かったこともあって、なかなか生活視点での議論には向かいませんでした。
しかし、家族問題や夫婦関係の話が出て、世代間や男女間の生活感覚の違いが話題になったのは、これからの政治を考える上でも大きな示唆があったように思います。

サロンを始める前に、ニーメラーの後悔の言葉を読み上げさせてもらいました。
ご存知の方も多いと思いますが、引用させてもらいます

ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。
そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。

最初の口火は、「不安」を感じているという男性の発言から始まりました。
その「不安」は、さまざまなことから起こり、またさまざまなものにつながっているようです。
その人は、息子との会話で、世代によって情報環境が大きく違っていて、そこから生ずる生き様の違いや政治感覚の違いに「不安」を感じているようです。
むかしと違って、どうしてみんなの考えがこんなに違ってきてしまっているのか。

対称的だったのが、女性から出された「まわりの奥様たちの不満」でした。
たとえば、経済的に夫に依存している(稼ぎが少ない)が故の夫への対抗力の弱さ。
それが、夫への「不満」、生活への「不満」につながっているようです。
経済的には男性優位の社会は、相変わらず続いているようですし、女性の考え方も意外に変わっていないのかもしれないと私は感じました。

「不安」と「不満」。
これが今回のキーワードだったように思います。

不安と不満は、似ているようで、発想の起点が真反対です。
不安は外部からやってきますが、不満は自分の中から生まれます。
不安は感ずるものですが、不満は抱くものです。
そして、不満は自らでも解決できますが、不安の解決は自らだけでは難しい。
いや自らではなかなか解決できないからこそ「不安」なのです。

最近の香港のデモは「不満」が原動力でしょう。
個人の不満が社会をかえるほどの動きを生み出し、政治を変えつつあるわけです。
日本の女性たちが抱いている「不満」とはだいぶ違います。

「不安」から考える政治と「不満」から考える政治。
もしかしたら、そこに男女の政治感覚の違いがあるのかもしれません。

「家政」という言葉があるように、家族(社会の基盤となる集団)の関係を豊かなものにしていくことも「政治」です。
古代ギリシアは、女性が家政を、男性が国政を守っていました。
両者は、深くつながっています。

国政の基本ともいうべき家政が乱れると国政も一挙に変わりかねません。
「不安」を表現した人は、舞台劇「朝のライラック」の話をしてくれました。
「イスラム国」に支配されたシリアの架空の村を舞台にした、政治によって家族が壊され、個人の人格が踏みにじられるような衝撃的な話です。

ところが、その人は20年ほど前にシリアに行ったことがあるそうですが、その頃のシリアはとても平和で、シリアの人たちは、とんでもなく善い人ばかりだったと言います。
それが、政治によって、あっという間ほどの短時間で今のように荒廃してしまう。
ある朝、起きたら世界が茶色になってしまっていたというのは、日本でも十分にありうる話だと言うのです。

不安を与える社会と不満が高まっている家族は、実は相似関係にあるようにも思います。
社会の荒廃は家庭を壊し、家庭の荒廃は社会を壊していく。
逆に、豊かな社会が家庭を豊かにし、豊かな家庭が社会を豊かにする。

私は、食の不安とか児童虐待とか消費税とか年金とか、そういう話が出てくるかと思っていましたが、そういう話はほとんど出てきませんでした。
出てきたのは、「大きな不安」と「目先の不満」でした。
しかし、ここにこそ、いまの日本の政治の本質が示唆されているのかもしれません。
私たち一人ひとりの生き方を正すことから政治を正していきたいと思っている私には、とても考えさせられるサロンでした。

ちなみに、話し合いでは、不満を持っている女性たちのエネルギーを、社会を変えていく力につなげていけないかという話もありました。
もしかしたら、そういう動きが始まるかもしれません。

次回もまた、気になることを出し合うサロンにしたいと思います。
今度はもう少し具体的な話を出し合えるような工夫をしてみたいと思います。
ともかく継続していければと思っています。

1909

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2019/09/05

■節子への挽歌4386:心つながる友人の死

節子

地中海の十字路といわれるシシリーは、行きたくて行けなかったところの一つです。
節子が元気だったら、次はシシリーが候補の一つでした。
結局、行けずに終わってしまいました。

最近、講談社選書メチエの一冊として「シチリアの歴史」が出版されました。
地中海関係の本は、この1年ほど、読んでいないので、つい手に取ってしまいました。
私の関心事は最初の30頁だけなのですが、おもしろくてたぶん全部読んでしまいそうです。

ところで、ローマ時代のシチリアのところを読んでいて、突然に古代ローマ史の研究者、小林雅夫さんのことを思い出しました。
そういえば、この数年、交流が途絶えています。

小林さんは、私が事務局をやっていた古代ギリシア愛好者の集まりであるパウサニアス・ジャパンでギリシアに若手研究者を派遣しようというプログラムの関係で交流が始まりました。
同じ世代であることもあり、最初からすっかり気が合ってしまい、私が事務局を辞めた後もお付き合いさせてもらいました。
小林さんは当時早稲田大学の教授でしたが、著書なども読ませてもらいました。
その飄々としたお人柄が、実に魅力的でした。

ところがあるときに、脳出血で入院、そのために身体や会話が少し不自由になってしまいました。
ちょうど私の知り合いの発声指導をする友人を紹介し、少し回復に向かいましたが、完治は難しく、大変ご苦労されたと思います。
奥様と一緒に、湯島にも来てくださったのですが、発声が不自由で、奥様の支援で会話ができたのを覚えています。

私自身、小林さんのことを時々思い出しながらも、連絡を取りませんでした。
深層心理的には、連絡を取るのが少し怖かったのかもしれません。

今日、ネットで消息を調べてみました。
3年前にお亡くなりになっていました。

しかし、薄情に聞こえるかもしれませんが、哀しさはありません。
小林さんとの関係は、終わったわけでもなく、これまでと全く同じように思えるからです。

そもそも亡くなる以前も、数年に一回、会うくらいでした。
ですから、いまもそのころとそう変わらないと思うからです。

それでも現世ではもう会えないではないかといわれるかもしれませんが、来世で会えるのですから、そうこだわることもありません。
一緒に暮らしていたり、頻繁に会っていたりする人の場合は違うでしょうが、一度、心を開いた人とはずっとつながっていると思っている私の場合は、死はさほど大きな意味を持っていないのです。

ちなみに小林さんとは数回お会いして雑談をしただけですが、心がつながりを確信できた人です。
そういう人は、そう多いわけではありません。
会うことが多くでも、心がつながる人はそう多くはありませんし、前にも書いたことがありますが、たった15分の立ち話で心がつながることもあります。

人の縁は不思議なものです。

小林雅夫さんのご冥福をお祈りします。
でも、小林さんは、私よりずっと幸せです。
節子にも報告しました。

 

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■リンカーンクラブ研究会「敗戦後の日本から抜け出るために」のご案内

しばらくリンカーンクラブの活動を休止していましたが、代表の武田さんの新しい著作の構想もまとまりだしていますので、その構想を柱にして、毎回、各論テーマを選んで、武田さんの話を中心としたゼミ的研究会を定期的に開催することにしました。
目的は、武田さんの究極的民主主義構想の理解を進め、その実現に向けての行動につなげていくことです。

毎回、武田さんに30分ほどのテーマ解説をしてもらい、それを受けて、話が拡散しないように課題を掘り下げ、できれば実践に向けての知恵をだすような話し合いをしていきたいと思います。

第1回目は、いわば大きな方向性を確認するために、武田さんに、敗戦後の日本の政治状況を俯瞰しながら、現在の政治状況と政治課題を民主主義の視点から整理してもらい、次回からの議論のベースを確認したいと思います。
そのため、今回は少し長目に、武田さんが敗戦後の日本をどう捉え、現在の政治状況をどう見ているか、そうした現状をどう変えていこうと考えているかを、武田さんの目指す国家ビジョンとともに、話してもらいます。
そして、武田さんのビジョンを実現するためにカギとなるいくつかのテーマを整理し、次回からの研究会のプログラムを確認できればと思っています。

サロンと違って、自由な話し合いというよりも、武田さんの論考を材料にした研究会です。
言い換えれば、武田先生のゼミとお受け止めください。
ですから、時に宿題が課せられるかもしれません。
参加される方は、できるだけ継続参加をお願いしたいですが、公開方式のゼミですので、単発参加も歓迎です。

私はファシリテーター兼メディエーター役に徹します。

〇日時:2019年9月14日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「敗戦後の日本から抜け出るために」
  これからの政治にとって大切な課題はなんだろうかを話し合う
〇話題提供者:武田文彦さん(リンカーンクラブ代表)
〇会費:500円(サロンと違い徴収します)
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2019/09/04

■節子への挽歌4385:Fさんからのメール

節子

命日を前に、節子の友人の滋賀のFさんからメールをもらいました。

今日は、節ちゃんの命日でメールを送らせて頂きました。
私共も腰が痛い、膝が痛いと言いながら、それなりに過ごしております。
先日はMちゃんと、電話で、節ちゃんとの想い出話をしました。
季節の変わり目、どうぞお元気で、ご自愛下さい。

FさんとMさんは、毎年、節子の命日に花を届けてくれていました。
ただそれがいかにも「仏花」らしいものだったので、昨年から辞退させてもらったのです。
数年前から迷っていたのですが、命日に仏花が届くと当時のことを思い出して気が萎えてしまったからです。
仏花ではなく普通の花に替えてくださいと言おうかどうか迷ったのですが、結局、辞退させてもらった次第です。

FさんとMさんは、節子ととても仲良しで、節子が滋賀に帰るといつも会っていましたし、3人で箱根旅行をしたりもしていました。
節子の見舞いにも来てくれましたし、節子の葬儀にも来てくれました。
私もよく知っているので、たぶん、節子がいなくなった後の私への気遣いもあったのでしょう。

節子は本当にたくさんの人に支えられていたのです。
そして13年目になっても、命日を覚えていて、話題にしてくれている。
うれしいことです。

滋賀には節子が親しくしてもらっていた人も多いですが、私の友人も少なくありません。
滋賀はとてもいいところです。
今年は滋賀に行こうと思っていたのですが、いろいろあって、行けずに終わりそうです。
来年こそは行こうと思います。
節子も行きたがっていると思いますので。

 

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2019/09/03

■節子への挽歌4384:家族だけの13回忌

節子
節子がいなくなった、今日で4384日目です。
長いのか短いのかわかりませんが、ともかくも4384日経ったということです。

13回忌に当たるのですが、13回忌の法要は少し遅らせて行うことにしました。
節子の姉の体調もあって、涼しくなってからと決めたのです。
世間的なルールには反しますが、世間的なルールは大切にはしますが、それに呪縛されないのが私たち2人の生き方です。

考えてみれば、無知の故のルール違反も含めて、私たちはたくさんのルール違反をしてきています。
そもそも私たちの結婚も、いささかルール違反ではありましたし。

13回目の命日は、家族だけで静かに会食しようと決めていました。
自宅でも、とも考えたのですが、みんなで成田山の川豊にうなぎを食べに行こうということになりました。
川豊は節子が好きなお店でもありました。

孫のにこはまだ3歳なので、うなぎはだめかもしれないと心配しましたが、美味しいと言って食べてくれました。
娘たちも、私も子供のころはうなぎはあまり食べられませんでしたが。
にこは、節子似なのかもしれません。
孫のうなぎデビューを、節子は見ていたでしょうか。

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川豊でうなぎを食べながら、節子は鯉こくも好きだったねという話になりました。
それからみんなで成田山新勝寺を回りました。
にこが一番元気でした。

新勝寺には、節子とは何回も来ています。
節子が来ていたころとはだいぶ変わりました。
平和の大塔の内部も最上階までは行けなくなりました。
その代わりに、山門も含めて、整備が進み、新しいお堂もできています。

成田山に行く前に、みんなでお墓に行き、般若心経をあげてきました。
今回はめずらしく仏花らしい花を供えました。
自宅の仏壇は、いつものように明るく楽しい感じですが。

孫がお墓に座って写真を撮りました。
これもルール違反かもしれません。

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明日から節子はまた新しい仏と共にあるのでしょう。
私もまた、新しい節子と共にあろうと思います。

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■湯島サロン「永世非武装中立国コスタリカ~今日を築いた方々を訪ねて」報告

昨年、コスタリカを訪問した折原さんにお話ししていただくサロンは、3時間近い時間だったにもかかわらず、まだまだ話し続けたい内容の濃いサロンになりました。

Costarika1908

最初にドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』(短縮版)をみんなで観てから、折原さんのお話をお聞きしました。
話は、コスタリカのサモラ弁護士の日本での講演内容と質疑応答の要旨、それに続いて折原さんが現地で見聞してきたことの報告でした。
案内文にも書きましたが、サモラさんは大学生の頃からコスタリカの非武装中立を確実なものにするために活動してきた人です。
日本での各地の講演活動には折原さんも同行されました。

とても内容の濃い話で要約することは難しいので、特に私がお伝えしたいことだけに絞って、少し私見も加えて、報告させてもらいます。
詳しく知りたい方は、当日のレジメ資料がありますので、ご連絡いただければ送ります。
また当日の録画映像もありますので、ご覧になりたい方はご連絡ください。

2003年3月、アメリカのイラク進攻が始まり、当時のコスタリカの大統領は、アメリカが呼び掛けた「有志連合」に、国民の反対を押し切って支援することを表明しました。
当時、大学の法学部の3年だったサモラさんは、「法学部の学生なら何かやらないといけない」と考え、憲法法廷(憲法問題を扱う最高裁判所)に訴状を提出、それを受けた最高裁は「大統領の発言はわが国の憲法と平和的伝統、永世中立宣言、世界人権宣言などに違反しており違憲である」と判決し、有志連合リストからコスタリカが削除され、永世非武装中立が守られました。

当時の日本でも反対デモは広がっていましたが、小泉政権はイラク派兵を決めました。
私も久しぶりにデモに参加しましたが、不発に終わり、以来、日本とコスタリカは、ますます対照的な方向へと動きを強めていきました。

コスタリカは、1949年に憲法で軍隊を廃止しています。
そして、1983年に永世中立を宣言し、2008年に「平和への権利」を憲法に明記しました。
折原さんは、「平和という状態は、単に軍隊や戦争がないという状態だけではなくて、すべての人が尊重されていること」というサモラさんの平和の定義を紹介してくれました。

今回の折原さんの話でも、コスタリカにおいて平和がどう捉えられているかの事例がふんだんに紹介されました。
たとえば死刑の廃止、電力のほとんどが自然エネルギーであること、富と権力の平等が重視されていること、経済も生活基盤を大事にしていること、大子どもたちの人権が大切にされていること、国家予算の4分の1が教育に充当されていること、それらはすべてコスタリカにおける平和の重要な要素なのです。
軍隊がなければ平和が実現するわけではありません。

選挙の捉え方も日本とはまったく違います。
大統領選挙は民主主義の祭典〈フェスタ〉と位置付けられ、子どもたちも巻き込みながら、お祭りさながらの展開がなされます。
学校での取り組みなど、興味深い話がたくさんありました。
そうしたことが、子どもも含めて国民みんなの政治への関心を高めているわけです。

政治は、生活や学校教育では「タブー」とされている日本とは全く違います。
日本での選挙投票率が低いのは、政府や行政や学校がそう仕向けてきた結果だということに気づかなければいけません。
ともかく、生活の視点で「政治」を語りださなければ、事態は変わらないでしょう。
これに関連して、主権者教育の話もだいぶ出ました。

コスタリカには、子どもが自分の意見を直接、政府に訴えていける仕組みもあります。
サモラさんが違憲と訴えたのも大学生の時でしたが、もっと若い世代が訴えを起こし、事態を改善した事例の話も折原さんから紹介されました。
子どもが自分の意見を言えるということは、民主主義がきちんと育成されていることだと折原さんは話されましたが、まったく共感します。
日本では、自分の意見を言わない大人たちを見ながら子供は育っていますから、未来は民主主義にはほど遠い社会になってしまいかねません。

書き出したらきりがないのですが、ほかにも示唆に富む話がたくさんありました。
たとえば、司法、立法、行政の3権から独立した「第4権」としての選挙最高裁判所があるという話も、いまの日本の状況を考えるととても示唆に富む話です。

話し合いもさまざまな論点が出されました。
主権者教育、武力攻勢があったらどうするのか、麻薬問題、格差は本当にないのか、平和の捉え方、アメリカとの関係、要は「寛容の精神」ではないか、さらには日本の憲法制定に関する話(「伊豆大島憲法」の話も出ました)など、紹介したいことも多いのですが、長くなるので省略し、最後に勝手な私見を2つだけくわえさせてもらいます。

コスタリカの軍隊放棄の憲法が制定される2年前に、日本では非武装条項(9条)を含む「平和憲法」が制定されました。
当時の世界情勢は、「国連軍構想」がまだ議論されていて、国家単位の軍隊をやめて、国家を超えた国連あるいは世界連邦にゆだねていこうという動きがありました。
まさにその構想に支えられて、日本国憲法の9条は存在基盤を得たと思いますが、コスタリカの軍隊放棄もそうした状況と無縁ではなかったと思います。
ですから、当時のコスタリカでは、万一の時には個別的自衛権はもちろんですが、集団的自衛権も認められていたそうです。
つまり、いざという場合は武装するという「覚悟」ができていたわけです。

個別の国家の武装放棄はそうした世界情勢とつながっています。
最初は同じ「軍隊放棄」から始まったコスタリカと日本が、なぜ今のように大きな違いになって来たかは、まさに世界情勢によるところが大きいです。
コスタリカはその後も、たとえばニカラグアとの国境紛争に際してアメリカの圧力をはねつけましたが、日本は朝鮮戦争でアメリカの傘下に入り武装国家への道を歩みだしました。
コスタリカと日本とどこが違っていたのかを、しっかりと考えることで、いろいろな示唆を得ることができます。

もう一つは主権者教育です。
折原さんは最後に、日本もコスタリカに学んで「主権者教育を通して民主主義立国へ、そして選挙外交と積極的平和国へ」に向かうべきだと総括されましたが、「主権者教育」という言葉には慎重でなければいけません。
コスタリカで実際に行われていることは、私はすばらしいと思いますが、それは決して「主権者教育」として行われているのではないように思います。
かつて「消費者教育」というのがはやったことがありますが、それと同じ落とし穴があるように思います。
この問題は、いつかサロンで取り上げたいと思っています。

ちなみに、コスタリカにもさまざまな面があります。
サロンでも少し話題になりましたが、コスタリカの抱える問題も含めて、コスタリカから冷静に学んでいくことが大切だと思います。

長くなってしまいましたので、これくらいにします。

 

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■最近、韓国がますます好きになってきています

テレビや雑誌での、反韓感情を煽る動きには、日本もここまで来ているのかと驚きます。やはり「歴史認識」の欠如が、その原因の一つでしょうか。
あるいは日本の社会状況の反映なのでしょうか。

私自身は、最近の韓国報道に触れていて、韓国の良さをますます感じています。
たとえば、今回のチョ・グク事件で、人事聴聞会という制度があることを知りました。
日本にはあるのでしょうか。

政府の重要な立場に就任する人は、国民の前で自らをさらけ出して評価を得るわけです。
日本の政府は、とりわけ森政権のころから密室で人事が決められるようになったように思いますが、司法関係や報道関係の人事はまったく見えないところで行われています。
人事聴聞会での評価がどうであれ大統領は任命できることをとやかく言う人もいますが、大切なのは国民の見えるところで評価されることだろうと思います。

徴用工判決事件で明らかになったのは、司法と行政との距離です。
いろいろな評価はあるでしょうが、政府による国家間合意に縛られずに、司法が独自の判断を下したのは、「統治行為」下にある日本の司法に比べれば主体性を持っているように思います。

若者や市民の行動も高く評価します。
加えて報道の姿勢にも、日本とは全く違うものを感じます。
民主主義をもしよしとするならば、日本に比べて韓国はかなり健全なように思います。
何よりも「実体」がある。

いま世間を覆っている韓国評価には私は大きな違和感を持っています。
それを生み出しているのは、たぶんテレビでしょう。
それにしても、同じような日本の事件や現象は棚上げして、韓国のことになるとこれ見よがしに罵ったりバカにしたりするマスコミには驚くばかりです。
そのエネルギーの半分でも日本の政治の闇に目を向けてほしいです。
韓国に目を向けさせて、国内での問題には目を向けさせない。
そんな気さえします。

時々書いていますが、「働き方」改革は、価値ある仕事へと働く内容を変えることでなければいけません。
時間などが本質なのではありません。
人は生きている以上、何らかの働きをしているからです。

香港の若者たちも敬服しますが、韓国の若者たちにも敬意を持ちます。
彼らの動きを見ていると、30年後のアジアに期待できるように思います。

 

 

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2019/09/02

■節子への挽歌4383:12年がたちました

節子

明日は節子の13回目の命日です。
節子の好きだったカサブランカを今年も供えました。

それにしても、まさか13回忌を迎えることになろうとは思ってもいませんでした。
しかし、もしかしたらこの12年は、生きていなかったかもしれないという気もします。
惰性で、ただただ存在していただけの12年だったかもしれません。
空白の時間を埋めなければいけないという思いから、サロンをやったり、誰かの相談にのったりして時間を埋めているだけかもしれません。
そして気がついてみたら13回目の命日。

この12年は、いったいなんだったのか。
本当に実在するのか、とさえ、時に思います。

いずれにしろ、節子がいないにもかかわらず12年も生き続けてしまった。

昨日、テレビで歌手のクミコさんが歌っている「妻が願った最期の「七日間」」という歌を知りました。
他界した妻の病床に残された日記の書かれていた「七日間」という詩を歌にしたものです。
よかったらお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=DkUDDaq8bkQ

逝く人を気遣うのではなく遺される人を気遣う。
たぶんそういうケースの方が多いことでしょう。

12年前の今頃を思いだすと、いまの人生とはとてもつながっているとは思えません。
思い出すと正常ではいられないので、思い出すのはやめましょう。

節子が心配していたことはとりあえずは克服しましたが、たぶん節子はやはり思った通りだと思っているかもしれません。
生き出さなければいけません。
頭では分かっているのですが。

 

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2019/09/01

■節子への挽歌4382:オープンサロン最後の来客との再会

節子

昨日のサロンに石本さんが久しぶりに参加してくれました。
石本さんは、節子と一緒にやっていたオープンサロンの最後の参加者です。
なぜ覚えているかといえば、私の体調がいささかおかしくなって、サロンをはじめ仕事を1年間休もうと思ったことがあります。
その最後のサロンに、石本さんは遅れてやってきました。

遅れてというよりも、正確には終わってからやって来たのです。
しかも、節子への花束を持ってきてくれたのです。
最後のサロンは、たくさんの人が来てくれたと思いますが、花束を持ってきてくれたのは石本さんだけでした。
しかも石本さんは、サロンを支えていたのは私ではなくて節子だとわかっていたのです。

3人で少し話したと思いますが、花束を持った節子の写真も撮りました。
一度、この挽歌でも書いたことがあります。

Salon03042

サロンをやめた後、私が健康診断を受けるのに合わせて、節子も一緒に受けました。
そして、がんが見つかったのは、私ではなく、節子でした。

節子の入院が決まった時に、石本さんは病院でのパジャマをつくりたいと言ってきました。
その時は気持ちの余裕がなくて、お断りしてしまいました。
ずっと悔いが残っていることです。

その石本さんが、10数年ぶりにやってきました。
石本さんを探している人が、私のホームページで石本さんの名前を見つけて、紹介を頼んできたのです。
それで久しぶりに連絡したら、石本さんがサロンにやって来たというわけです。
石本さんは変わっておらず、相変わらずはつらつとしていました。

うれしい再会でした。
ホームページを探して、最後のサロンと花束を持った節子の写真を見つけました。
サロンの記録もありました。
http://cws.c.ooco.jp/salonnews.htm#salon0304

Salon0304

 

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