■節子への挽歌4402:伴侶を喪った男性と女性の違い
節子
ちょっと気を抜くと挽歌があいてしまいます。
なかなか昔のように挽歌を書くことがルーティンになりません。
思い出しながら書けば、21日は万葉集を読むサロンでした。
今回で4回目、講師は節子も知っている小学校時代の同級生の升田さんです。
彼女は昭和女子大学で古代日本文学を中心に教鞭をとっていました。
万葉集関連の本は私もそれなりに読んできましたが、なかなかぴんと来なかったのですが、升田さんの万葉集の話を聴いているうちに、そこに日本の社会が形成される起点が凝縮されるような気がしてきました。
これまであまり気にしなかったのですが、万葉仮名にそれが凝縮されているのかもしれません。
それで、図書館から岩波講座の日本語の「文字」の1巻を借りてきて、読みました。
これがまたとても面白い。
まだまだ知らないことや気づいていないことだらけです。
万葉集のサロンには、小学校時代の同級生の女性が3人、毎回ほぼ出席します。
終わった後、彼女たちはそろってうなぎやあんみつを食べに行きます。
3人とも伴侶がいないのです。
伴侶を喪った男性と女性の違いをまざまざと感じます。
彼女たちはしかも先週、山梨まで保管女性陣も誘って、小学校時代の恩師を訪問しています。
男性陣にも誘いがあり、私がみんなに声をかけたのですが、誰一人行こうといわないので、私も参加しませんでした。
ほぼ全員、病院通いです。
男性と女性の生き方の違いも、いろいろと感じます。
万葉集サロンで取り上げたのは柿本人麻呂の「近江荒都歌」です。
この歌は、壬申の乱で亡くなった人たちの魂に、人麻呂が触れて、鎮魂する内容ですが、見えない死者が話題の一つになりました。
その読み方では、升田さんと私とでは全く違っていたように思います。
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