■湯島サロン「永世非武装中立国コスタリカ~今日を築いた方々を訪ねて」報告
昨年、コスタリカを訪問した折原さんにお話ししていただくサロンは、3時間近い時間だったにもかかわらず、まだまだ話し続けたい内容の濃いサロンになりました。
最初にドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』(短縮版)をみんなで観てから、折原さんのお話をお聞きしました。
話は、コスタリカのサモラ弁護士の日本での講演内容と質疑応答の要旨、それに続いて折原さんが現地で見聞してきたことの報告でした。
案内文にも書きましたが、サモラさんは大学生の頃からコスタリカの非武装中立を確実なものにするために活動してきた人です。
日本での各地の講演活動には折原さんも同行されました。
とても内容の濃い話で要約することは難しいので、特に私がお伝えしたいことだけに絞って、少し私見も加えて、報告させてもらいます。
詳しく知りたい方は、当日のレジメ資料がありますので、ご連絡いただければ送ります。
また当日の録画映像もありますので、ご覧になりたい方はご連絡ください。
2003年3月、アメリカのイラク進攻が始まり、当時のコスタリカの大統領は、アメリカが呼び掛けた「有志連合」に、国民の反対を押し切って支援することを表明しました。
当時、大学の法学部の3年だったサモラさんは、「法学部の学生なら何かやらないといけない」と考え、憲法法廷(憲法問題を扱う最高裁判所)に訴状を提出、それを受けた最高裁は「大統領の発言はわが国の憲法と平和的伝統、永世中立宣言、世界人権宣言などに違反しており違憲である」と判決し、有志連合リストからコスタリカが削除され、永世非武装中立が守られました。
当時の日本でも反対デモは広がっていましたが、小泉政権はイラク派兵を決めました。
私も久しぶりにデモに参加しましたが、不発に終わり、以来、日本とコスタリカは、ますます対照的な方向へと動きを強めていきました。
コスタリカは、1949年に憲法で軍隊を廃止しています。
そして、1983年に永世中立を宣言し、2008年に「平和への権利」を憲法に明記しました。
折原さんは、「平和という状態は、単に軍隊や戦争がないという状態だけではなくて、すべての人が尊重されていること」というサモラさんの平和の定義を紹介してくれました。
今回の折原さんの話でも、コスタリカにおいて平和がどう捉えられているかの事例がふんだんに紹介されました。
たとえば死刑の廃止、電力のほとんどが自然エネルギーであること、富と権力の平等が重視されていること、経済も生活基盤を大事にしていること、大子どもたちの人権が大切にされていること、国家予算の4分の1が教育に充当されていること、それらはすべてコスタリカにおける平和の重要な要素なのです。
軍隊がなければ平和が実現するわけではありません。
選挙の捉え方も日本とはまったく違います。
大統領選挙は民主主義の祭典〈フェスタ〉と位置付けられ、子どもたちも巻き込みながら、お祭りさながらの展開がなされます。
学校での取り組みなど、興味深い話がたくさんありました。
そうしたことが、子どもも含めて国民みんなの政治への関心を高めているわけです。
政治は、生活や学校教育では「タブー」とされている日本とは全く違います。
日本での選挙投票率が低いのは、政府や行政や学校がそう仕向けてきた結果だということに気づかなければいけません。
ともかく、生活の視点で「政治」を語りださなければ、事態は変わらないでしょう。
これに関連して、主権者教育の話もだいぶ出ました。
コスタリカには、子どもが自分の意見を直接、政府に訴えていける仕組みもあります。
サモラさんが違憲と訴えたのも大学生の時でしたが、もっと若い世代が訴えを起こし、事態を改善した事例の話も折原さんから紹介されました。
子どもが自分の意見を言えるということは、民主主義がきちんと育成されていることだと折原さんは話されましたが、まったく共感します。
日本では、自分の意見を言わない大人たちを見ながら子供は育っていますから、未来は民主主義にはほど遠い社会になってしまいかねません。
書き出したらきりがないのですが、ほかにも示唆に富む話がたくさんありました。
たとえば、司法、立法、行政の3権から独立した「第4権」としての選挙最高裁判所があるという話も、いまの日本の状況を考えるととても示唆に富む話です。
話し合いもさまざまな論点が出されました。
主権者教育、武力攻勢があったらどうするのか、麻薬問題、格差は本当にないのか、平和の捉え方、アメリカとの関係、要は「寛容の精神」ではないか、さらには日本の憲法制定に関する話(「伊豆大島憲法」の話も出ました)など、紹介したいことも多いのですが、長くなるので省略し、最後に勝手な私見を2つだけくわえさせてもらいます。
コスタリカの軍隊放棄の憲法が制定される2年前に、日本では非武装条項(9条)を含む「平和憲法」が制定されました。
当時の世界情勢は、「国連軍構想」がまだ議論されていて、国家単位の軍隊をやめて、国家を超えた国連あるいは世界連邦にゆだねていこうという動きがありました。
まさにその構想に支えられて、日本国憲法の9条は存在基盤を得たと思いますが、コスタリカの軍隊放棄もそうした状況と無縁ではなかったと思います。
ですから、当時のコスタリカでは、万一の時には個別的自衛権はもちろんですが、集団的自衛権も認められていたそうです。
つまり、いざという場合は武装するという「覚悟」ができていたわけです。
個別の国家の武装放棄はそうした世界情勢とつながっています。
最初は同じ「軍隊放棄」から始まったコスタリカと日本が、なぜ今のように大きな違いになって来たかは、まさに世界情勢によるところが大きいです。
コスタリカはその後も、たとえばニカラグアとの国境紛争に際してアメリカの圧力をはねつけましたが、日本は朝鮮戦争でアメリカの傘下に入り武装国家への道を歩みだしました。
コスタリカと日本とどこが違っていたのかを、しっかりと考えることで、いろいろな示唆を得ることができます。
もう一つは主権者教育です。
折原さんは最後に、日本もコスタリカに学んで「主権者教育を通して民主主義立国へ、そして選挙外交と積極的平和国へ」に向かうべきだと総括されましたが、「主権者教育」という言葉には慎重でなければいけません。
コスタリカで実際に行われていることは、私はすばらしいと思いますが、それは決して「主権者教育」として行われているのではないように思います。
かつて「消費者教育」というのがはやったことがありますが、それと同じ落とし穴があるように思います。
この問題は、いつかサロンで取り上げたいと思っています。
ちなみに、コスタリカにもさまざまな面があります。
サロンでも少し話題になりましたが、コスタリカの抱える問題も含めて、コスタリカから冷静に学んでいくことが大切だと思います。
長くなってしまいましたので、これくらいにします。
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