■湯島サロン「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」報告
「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」サロンはいろいろな気付きをもらえるサロンでした。
案内でも書きましたが、篠田さんは、自分の存在があるのは、父母がいて、先祖がいるおかげ。脈々と頂いた奇跡の「命」を次に繋げるために生まれて来た自分も将来先祖になる、ということを考える契機にするためにも、先祖を「見える化」することが効果的だと考えています。
最初に、篠田さんは、今ではあまり注目されずに、ひっそりと建っている慰霊碑の写真を見せてくれました。
慰霊碑の裏には、いまの社会の実現に貢献した人たちの名前が刻まれています。
時代の変化の中で、その活動の意味合いは変わったこともあるかもしれませんが、当時は社会が評価していた人たちのはずです。
それが、今では忘れられてように放置されているものも少なくない。
いまの社会を創ってきてくれた昔の人たちへの感謝を忘れていいのか。
感謝の気持ちがなければ、慰霊碑はただの石。
そして篠田さんは、感謝の気持ちを育てれば、「生きる力」が生まれてくるといいます。
そうした「感謝の気持ち」が失われてきていることを篠田さんは残念に思っているのです。
そこで篠田さんは参加者に、「ありがとう」の反対語はなんでしょうと問いかけます。
みなさんはなんだとお思いでしょうか。
篠田さんは、「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」だと言います。
「有難う」と漢字で書けば、その理由がわかるでしょう。
私たちが、いまここに生きて暮らせているのは、「あたりまえ」のことではなく、「有難い」ことであり、そうした「有難い」ことを成り立たせているのは、私たちのご先祖のおかげです。
ご先祖もただ思い出せばいいわけではありません。
そこに感謝の気持ちがなければ、ただの知識になってしまう。
そして、篠田さんは「いのちの積み木」を組み立てて、そのどこか一つ、つまりご先祖さまの誰か一人が欠けただけで、自分の存在は崩れてしまうことを実際に示してくれました。
「いのちの積み木」については、次のサイトをご覧ください。
https://gosennzosama.11ohaka.com/
そして、各人、ご先祖さまシートに自分の両親、そのまた両親、さらにそのまた両親と、名前を書き込んでみました。
なかにはかなり前までさかのぼれる人もいましたが、だいたいが祖父母まででした。
その後、話し合いが始まりました。
名前だけではなく、その人にまつわる物語や時代とのつながりがあると記憶に残りやすい。
実際の接点があると思いだしやすく記憶にも残るが、そうしたものがなくなってきている。
お墓は、そうしたことを思い出す一つの装置。
お墓に刻まれる戒名や過去帳を残したりする話も出ました。
両親がいない子供が増えてきている状況の中では、子どもたちを対象にする場合は慎重にやる必要があるという意見も出ました。
血縁に限らず、お世話になった人も含めて、考えることも大切だという意見もありました。
参加者の中村さんからは、「いのちのまつり ヌチヌグスージ」という絵本が紹介されました。
「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね~?」と言う問いかけから始まるこの絵本の圧巻は、見開き拡大ページで10代にさかのぼっての1000人を超えるすべてのご先祖様の顔が描かれているところです。
学校教育でも採用されている本だそうです。
家族が大きく変質しつつある現在であればこそ、ご先祖さまのことを思い出すことが大切になってきているのではないかという気がします。
「いのちの積み木」はいろんな形で使える道具だと思いました。
今回もまた、お墓の意味も語られました。
ちなみに来週の秋分の日は、法律では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ために休日に指定されているそうです。
ご先祖さまの名前を一度書き出してみたらどうでしょうか。
いろんな思いが生まれ、生き方もちょっと変わるかもしれません。
「いのちの積み木」ワークショップに関してもっと知りたい方は篠田さんをご紹介しますので、ご連絡ください。
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