■節子への挽歌4386:心つながる友人の死
節子
地中海の十字路といわれるシシリーは、行きたくて行けなかったところの一つです。
節子が元気だったら、次はシシリーが候補の一つでした。
結局、行けずに終わってしまいました。
最近、講談社選書メチエの一冊として「シチリアの歴史」が出版されました。
地中海関係の本は、この1年ほど、読んでいないので、つい手に取ってしまいました。
私の関心事は最初の30頁だけなのですが、おもしろくてたぶん全部読んでしまいそうです。
ところで、ローマ時代のシチリアのところを読んでいて、突然に古代ローマ史の研究者、小林雅夫さんのことを思い出しました。
そういえば、この数年、交流が途絶えています。
小林さんは、私が事務局をやっていた古代ギリシア愛好者の集まりであるパウサニアス・ジャパンでギリシアに若手研究者を派遣しようというプログラムの関係で交流が始まりました。
同じ世代であることもあり、最初からすっかり気が合ってしまい、私が事務局を辞めた後もお付き合いさせてもらいました。
小林さんは当時早稲田大学の教授でしたが、著書なども読ませてもらいました。
その飄々としたお人柄が、実に魅力的でした。
ところがあるときに、脳出血で入院、そのために身体や会話が少し不自由になってしまいました。
ちょうど私の知り合いの発声指導をする友人を紹介し、少し回復に向かいましたが、完治は難しく、大変ご苦労されたと思います。
奥様と一緒に、湯島にも来てくださったのですが、発声が不自由で、奥様の支援で会話ができたのを覚えています。
私自身、小林さんのことを時々思い出しながらも、連絡を取りませんでした。
深層心理的には、連絡を取るのが少し怖かったのかもしれません。
今日、ネットで消息を調べてみました。
3年前にお亡くなりになっていました。
しかし、薄情に聞こえるかもしれませんが、哀しさはありません。
小林さんとの関係は、終わったわけでもなく、これまでと全く同じように思えるからです。
そもそも亡くなる以前も、数年に一回、会うくらいでした。
ですから、いまもそのころとそう変わらないと思うからです。
それでも現世ではもう会えないではないかといわれるかもしれませんが、来世で会えるのですから、そうこだわることもありません。
一緒に暮らしていたり、頻繁に会っていたりする人の場合は違うでしょうが、一度、心を開いた人とはずっとつながっていると思っている私の場合は、死はさほど大きな意味を持っていないのです。
ちなみに小林さんとは数回お会いして雑談をしただけですが、心がつながりを確信できた人です。
そういう人は、そう多いわけではありません。
会うことが多くでも、心がつながる人はそう多くはありませんし、前にも書いたことがありますが、たった15分の立ち話で心がつながることもあります。
人の縁は不思議なものです。
小林雅夫さんのご冥福をお祈りします。
でも、小林さんは、私よりずっと幸せです。
節子にも報告しました。
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