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2019/09/11

■節子への挽歌4391:みんないい人

節子

昨日は湯島で、友人が取り組んでいる「絆の会」の話を聴く集まりがありました。
私も前半参加しましたが、それが始まる前に、ある人のことが話題になりました。
私が、あの人はとてもいい人だといったら、ある人が「佐藤さんは誰のことも「いい人」だというんですよ」と言うのです。

いささか心外で反論しようとしたら、そこに言わせたみんなが「そうだ」と同意したのです。
しかも、ある人は、「そのいい人に時々佐藤さんは被害を受けている」というのです。

要するに、私の言う「いい人」はあんまり意味がないというわけです。
それで、結局、佐藤さんがいい人なんだよと言うことになったのです。
いささかバカにされた感じもしましたが、私が「いい人」であれば、私は満足です。
正確に言えば、私でさえ「いい人」なのだから、みんな「いい人」と言えるでしょう。

それに、その人は、だから湯島にはみんなが集まるのだと言ってくれました。
それでついついうれしくなって、反論はやめました。
要するに、私は「いい人に」に囲まれているというわけです。
でも例外は、私にもあるのですが。

そういえば、こういう会話は娘ともよくしますし、節子ともよくしていました。
娘からは、最近は、その「いい人」になんでお金を取られたのかと詰問されます。
「悪い人」もいるよね、と迷惑をかけた娘から言われると返す言葉もありません。
しかし、黙っているわけにはいかずに、「悪いことをする人はいるが悪い人はいない」と付け加えますが、娘からはいつもスルーされてしまいます。

トラブルや被害は、いまも起こっています。
しかし、こうした私の生き方は多分変わらないでしょう。
困ったものです。

宝くじが当たるといいのですが。

 

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