■節子への挽歌4391:みんないい人
節子
昨日は湯島で、友人が取り組んでいる「絆の会」の話を聴く集まりがありました。
私も前半参加しましたが、それが始まる前に、ある人のことが話題になりました。
私が、あの人はとてもいい人だといったら、ある人が「佐藤さんは誰のことも「いい人」だというんですよ」と言うのです。
いささか心外で反論しようとしたら、そこに言わせたみんなが「そうだ」と同意したのです。
しかも、ある人は、「そのいい人に時々佐藤さんは被害を受けている」というのです。
要するに、私の言う「いい人」はあんまり意味がないというわけです。
それで、結局、佐藤さんがいい人なんだよと言うことになったのです。
いささかバカにされた感じもしましたが、私が「いい人」であれば、私は満足です。
正確に言えば、私でさえ「いい人」なのだから、みんな「いい人」と言えるでしょう。
それに、その人は、だから湯島にはみんなが集まるのだと言ってくれました。
それでついついうれしくなって、反論はやめました。
要するに、私は「いい人に」に囲まれているというわけです。
でも例外は、私にもあるのですが。
そういえば、こういう会話は娘ともよくしますし、節子ともよくしていました。
娘からは、最近は、その「いい人」になんでお金を取られたのかと詰問されます。
「悪い人」もいるよね、と迷惑をかけた娘から言われると返す言葉もありません。
しかし、黙っているわけにはいかずに、「悪いことをする人はいるが悪い人はいない」と付け加えますが、娘からはいつもスルーされてしまいます。
トラブルや被害は、いまも起こっています。
しかし、こうした私の生き方は多分変わらないでしょう。
困ったものです。
宝くじが当たるといいのですが。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント