■第4回万葉集サロン「柿本人麿「近江の荒れたる都を過ぎし時の歌」を読む」報告
万葉集サロンも4回目になりました。
今回は、柿本人麿「近江の荒れたる都を過ぎし時の歌」を題材に、〈亡びにし者たちの「われ」の喪失〉がテーマでした。
最初に、今回は「万葉仮名」について説明してもらい、続いて今回の歌の背景にある壬申の乱に関しても概説してもらいました。
これまでのサロンで、この2つをきちんと踏まえておかないと万葉集は読めないような気がして、升田さんにお願いしたのですが、議論を少し深入りさせてしまい、肝心の近江荒都歌を読み解く時間が少なくなってしまったのを反省しています。
改めてこの2つを、別個に取り上げた万葉集番外編を企画できればと思います。
私自身は、この2つが万葉集を読むための2つのポイントではないかと改めて確信しましたが、これに関しても、升田さんの解説を踏まえて簡単に紹介しておきます。
万葉仮名は約650の文字が確認されています。
万葉仮名というために、万葉集だけが想定されがちですが、そうではなく、万葉時代に使われていた言葉を表記するために漢字(真字)を借りた仮の表記文字と考えた方がいいと思います。
また1文字一音とは限らず、複数文字で1音、1文字で複数音、複数文字で複数音などいろいろあります。
私は多分、当時は50音どころか無数の発声が行われていて、それを違った記号で表記していたと思いますが、日本文字の誕生につながるだけではなく、日本という国の誕生にもつながる話です。
当時は、たぶん朝鮮半島と日本列島の人の交流は多く、「渡来人」は少数民族というよりも、むしろマジョリティだったかもしれません。
さまざまな故地(出身地)を持つ人たちがまとまろうとしていた状況の中で、壬申の乱が起こったわけですが、そのことと万葉集成立とは無縁ではないように思いますし、天智-天武-持統という王朝のめまぐるしい変化を踏まえることで、万葉集の世界に漂うものが見えてくるような気がします。
いずれにしろ、壬申の乱に関しては、東アジアとの関係で考える必要があると思いますが、現在の日本という国の出発点だったともいえる大きな事件でした。
そういう前置きを踏まえて、升田さんはまず近江荒都歌を詠んでくれ(万葉集は声に出さないといけないと升田さんは言います)、解説してくれましたが、案内に書かれていた升田さんの解説が簡潔に要約されていますので、それを再掲します。
壬申乱によって廃墟と化した天智天皇の近江大津宮の跡を詠んだ、人麿の若いとき(万葉初出)の長歌である。
安禄山の戦によって滅んだ唐の都を詩に歌った、杜甫の「春望」(国破れて山河あり 城春にして草木深し)は、漢文の教科書を通して多くの若者たちに感動を与えた。人麿の近江荒都歌は、7~80年それに先んじている。日本で「荒都」を主題とした歌は、これが最初である。
前半は皇統譜を、後半は一転して廃墟の中をさ迷う人麿の姿を歌う。人麿の目に映ったものは何であったか。
動乱調、乱調と言われる人麿の歌には分かり難い部分もあるが、言葉の意味と調子で力強くそこを突き抜けて行く。古代の歌の魅力である。
近江荒都で人麿の詩性を突き動かしたものは、人麿の「われ」と対峙することの決してない、滅んだ人々の〈「われ」の喪失〉だったのではないか。
若き人麿の、心の迷いを歌う古代言語に触れたい。
サロンでは、これを踏まえて、「ここ」「霧」「夢」について、万葉集の歌を題材にくわしく解説してくれました。
そしてそうしたことを通して、「われ」が主体的・能動的になっていく古代人の心情を示唆してくれました。
この歌には、人麿の悲しみがあるわけですが、その悲しみとは何かということが話題になりました。
廃墟になってしまった近江宮で、人麿は「われを喪失した死者」に出会っているわけですが、そうした事実に悲しみを受動的に感じた〈われ〉の詠嘆なのか、そこから能動的な生まれた〈われ〉の主張なのか、もしそうなら人麿の「われ」を目覚めさせたのはなにか、に私は強い関心がありますが、どうも私の考えすぎのようで、残念ながらそこまでの話し合いにはいきませんでした。
国破れて山河あり、と淡々と歌う杜甫に比べて、人麿の感情が込められている近江荒都歌に。私はどろどろした「われ」の誕生、そして歴史の誕生を感じます。
たぶん升田さんはそれを感じさせたくて、2つの詩を並べてくれた気がします。
ついでにやや余計な私見を加えれば、杜甫とは違い、人麿は、〈われ〉と対峙することのできなくなった死者に代わって、強いメッセージを発しているような気がしてなりません。
そうだとして、人麿は誰に向けて呼びかけているのか。
これまでの4回の万葉集サロンは、ある意味では、言葉を通しての〈われ〉の誕生だと受け止めてきた私としては、とても刺激的で示唆に富むサロンでした。
そのためいつも以上に勝手な私見も入れた報告になってしまいました。
升田さんの講義内容は、ていねいな資料を含めて、ぜひきちんとした記録に残すべきでした。
記録を取っておかなかったことを反省しています。
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