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2019/09/16

■節子への挽歌4397:先祖の名前

節子

今日の「お先祖様の見える化のサロンは、無事、パソコンも動き、うまくいきました。
いろいろと大変でしたが。
サロンの報告は時評編で書きますが、「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの話はいつもいろんな示唆を与えてくれます。

今回は、お先祖シートに沿って、自分の両親の名前を書き入れ、皿の祖の両親の両親の名前を書き込み、そうやってどれほど昔にさかのぼれるかを確認しました。
私の場合は、両親の両親で止まってしまいました。
しかも父方の祖父の名前が記憶にないことに気づきました。

私が実際に会ったことがある祖父母は、母方の母だけです。
後はいずれも私が生まれた時には亡くなっていました。
実際に会ってないと名前は記憶に残りません。

小学校の時に先祖探しの宿題が出ました。
その時は父方の先祖に関して調べましたが、その頃のレポートがどこかに残っているので、それを見れば、名前もわかるかもしれません。
母方に関しては、以前、母の旧姓(牧岡)と同じ人に会ったのですが、話しているうちに縁戚であることがわかり、しかもその人の親戚の人が「牧岡家の研究」と言うのをネットでアップしているのを教えてもらいました。
ですからそれを読めばかなり先まではわかるでしょう。

しかし、私にはそうしたことにはまったくと言っていいほど興味がないのです。
にもかかわらず、今回、篠田さんにお話ししてもらい、私自身、先祖の見える化に関心を持ったのは、あまりにここで情報を断絶することへの疑問からです。
私の興味とは別に、情報だけは残しておこうと思ったのです。

と同時に、現在の親戚関係でさえ、私の性癖もあって娘たちにはあまり伝えていません。
節子がいたころに、節子の親せき関係と私の親せき関係を図にしてシェアしようと話し合ったことがありますが、その頃は2人ともあんまり関心がなかったのです。
いまから思えば残念なことです。

もし死者もまだ現世でも生き続けるのであれば、どこかの現在とのつながりを残しておくのがいいでしょう。
今からでもできることを少しやっておこうと思います。

 

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