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2019/09/28

■節子への挽歌4409:仏壇がまた花でにぎわっています

節子

今年もまた、ユカの友人が節子への献花に来てくれました。
節子が逝ってしまってから、毎年欠かさずに命日前後に来てくれます。
こういうこともたぶんめずらしいでしょう。
なぜか節子は花を引き付ける。

節子の滋賀の旧友も毎年、命日に花を送ってきてくれました。
ただこれはいかにも「仏花」という感じだったので、いつも重いものを感じてしまい、昨年、失礼とは思いましたが思い切って辞退させてもらいました。

近くの人が、これも毎年お盆に花を届けてくれます。
節子がたぶん一度だけ行ったささやかなことに感謝してくれているのです。
その花は、毎年、節子好みのあったかなブーケなので位牌の前に飾らせてもらっていますが、13回忌も終わったので、今年を最後にして辞退させてもらおうと思っています。

お花をもらうのはとてもうれしいことです。
しかし、それが仏花や供花になると、いささか複雑な思いも生じます。

それに、13年もたっているのに、花を毎年いただくのも贈る方も頂く方も、当然とは言えない要素もあります。
だと言って、やめることもできない。
微妙な問題です。
13回忌を迎えた今年がお互いにやめる好機かもしれません。
供養も、たとえば33回忌で切をつける(弔い上げ)と言われているように、未来永劫のものではありません。

もっとも、愛する者を喪った当事者にとっては、弔い上げというような気持ちは起こりませんし、そもそも弔うという意識もありません。
そもそも「供養」というような発想さえないのが自然です。
なぜなら、いつも一緒にいるという感覚があるからです。
私も一応、命日などを意識してはいますが、正直に言えば、あんまりそういう感覚はないのです。

今日の仏壇は花でにぎわっています。
私が、畑からとってきた百日草も庭の彼岸花も参加しています。

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