« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年10月

2019/10/31

■「都合のいい現実」が作られる非情報化社会

「さんまの内臓はやはり私には向いていません」の話をフェイスブックにも書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/10/post-e352c5.html

そしたらいろんなコメントをもらいました。
それでまとめて、返信コメントを書きました。
ブログにも書いておきます。
もともとのコメントが書いていないので、わかりにくいかもしれませんが。

サンマの話に関して、いろんな人からコメントをもらいました。
みなさん、ありがとうございます。

私もサンマの不漁と高値はテレビで知っていました。
昨日、サンマを買った近くのスーパー(「カスミ」です)でも一時期は200円でした。
それも小ぶりでした。
その時も食べましたが、今週になって安くなりました。
私の考えでは、サンマの不漁と市場への出回りや価格とは、絶対的な関係はないのです。

私の懸念は、自分で実際に確認する前にテレビなどで知ってしまったことが「現実」に大きな影響を与えることです。
スーパーで、今年はサンマが高いと気づく前に、今年はサンマが高いと思い込んでしまうことです。
一度、テレビで情報をインプットされると、それに呪縛されて、現実が見えなくなることが少なくないのはないか。
そして誰かが意図した「都合のいい現実」を作り上げていってしまう。

サンマの例ではさほど問題は起きないでしょう。
でもそれが、原発の安全性だったり、原発の危険性だったりすると、どうでしょう。
あるいは自殺者が減ったとか増えたとかいう話はどうでしょう。
前川文部次官(当時)についてはどうでしょう。
もっと身近で言えば、5人に1人が認知症になるという言説はどうでしょう。

私は、自分で確かめられないことにはできるだけ疑問を持ち続けるようにしています。
だから二酸化炭素による地球温暖化も長く受け入れられませんでした。

前に書きましたが、放射能で汚染能で汚染された土壌の除染の実験をやった時、その結果に関して、質量不変の法則に反するから信じられないと参加者のほとんどから言われました。
私は、質量不変の法則も「絶対視」していませんので、その実験の結果に興味を持ちました。
そのために多くの人からは信頼を失ってしまったかもしれません。

サンマの話からやけに大きな話題になってしまいましたが、それが私の今回の関心事でした。
娘に訊いたら、今日は同じお店で、サンマは128円だったそうです。
サンマもキャベツも、高いときもあれば安い時もある。
それが経済です。

ところでhashidaさんが, 気仙沼が近い仙台なのに、東京の方が安いのは何故でしょうね、と書いていますが、そこに現在の経済システムの問題があるように思います。
気仙沼で遠洋漁業をやっている臼福本店の臼井壮太朗さんから前に聞いた話ですが、気仙沼で撮れる魚を地元の小学校で給食に使っていないのに違和感を持って、働きかけて給食で食べるようになったそうです。
その話を聞いて、私は一度しか会ったことのない臼井さんのファンになりました。

地産地消の出発点は、こどもたちにきちんと地のものを食べる文化を取り戻すことです。
一番良いものは、その地域を背負う子どもたちに食べてもらうべきで、赤坂の料亭に卸すような不埒なことは、たとえ金のため出世のため、あるいは地域活性化や地域のブランディングのためになろうとも、やってはいけません。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4442:人間の表情をした観音様

節子

今日は書きたいことが山ほどある日になりました。
しかしまあ一つだけに絞りましょう。
それは高月町の覚念寺の十一面観音に会ったことです。

湯島で1時間ほど時間があいたので、不忍池近くにあるびわ湖長浜観音ハウスに行きました。
最近しばらく来られなかったのですが、ここは滋賀県長浜市にある観音像を一体だけ展示しているところです。
琵琶県の湖東は、福井の小浜から奈良の東大寺につながる「かんのんみち」と言われ、とても美しい「観音像」がたくさんあります。

節子の生家のある長浜市の高月町には、かつてはその白眉とも言える、渡岸寺の十一面観音が居ました。
いまは、「居る」というよりも「ある」という感じになってしまったので、私はもう行く気がなくなっていますが、節子と一緒になれたのも、その観音様が関係していたのかもしれません。
節子に会った頃、私はその観音にあこがれていたのです。

節子の実家が、その観音のすぐ近くだと知り、訪問した時にその観音に会いに行きました。
感動したというか、それから観音様めぐりが始まりました。
その頃、私の中では、観音像と節子とがどこかでつながっていたのかもしれません。

節子と結婚したおかげで、高月町界隈のたくさんの観音様に会ってきました。
ほとんどが在の住民によって守られてきました。
ですからみんな美しくて優しいのです。

節子がいなくなってからは、観音様に会う機会もなくなりました。
しかし、数年前にユカからこの長浜観音ハウスを教えてもらい、時々来ています。

今回は高月町の覚念寺の十一面観音立像でした。
普段は秘仏のはずで、滅多には見られないとも聞きましたが、私も初めてかもしれません。
もしかしたら、結婚した直後に、節子と一緒に行ったような気もしますが、いまとなっては確認のしようがありません。

今回、一見して驚いたのは、人間の表情をしていることです。
遠くから拝むとそう感じませんが、近くでよく見ると、これはまさに人間の表情だなと感じます。

もう一つ印象深かったのは、頭上の顔の中に忿怒の表情がなく、みんな実におだやかなのです。
木目の目立つスギ材の仏像なのも、心やすまります。
しばし見とれていました。

以前に会っているとしても、たぶん今回ほど近くでは拝顔できなかったはずですから、この表情に会うのは、いずれにしろ初めてです。
作は、室町から江戸時代と表示されていましたが、表情から見て、室町ではないと思いました。
もちろん根拠はまったくありませんが。

ところで、驚いたことに、その小さな展示場で小学時代の同級生の升田さんに会いました。
彼女も時間の合間にちょっと寄ったのだそうです。
お互いにあることの途中だったので、お茶も飲まずに別れましたが、こんなこともあるのです。

観音様のおかげで、その前後の、ちょっとハードな話の疲れもやわらぎました。

Kannon1 Kannon2

| | コメント (0)

■さんまの内臓はやはり私には向いていません

「チコちゃんに叱られる」を、見ている人は多いようです。
一昨日も、2人の人からあることを訊かれました。

サンマの内臓がおいしいのはなぜか知っていますか?
薬が苦いのはなぜか知っていますか?

私も、それを取り上げた「チコちゃんに叱られる」を見ていたので、知っていました。

 まあ、私がチコちゃんの答えに納得しているわけではありませんが、それはともかく、テレビの影響のすごさにはいつも驚きます。
それで急にサンマの内臓を食べたくなって(私は基本的に食べません)、昨日、娘たちと出かけていた帰りに、近くのスーパーで買ってきました。
今年は生サンマが不漁というテレビを見ていた人から、先週、生サンマが最近はスーパーにない上に高いという話を聴いていましたが、わが家の近くのスーパーでは例年のように98円で売っていました。
もちろん「生サンマ」です。
テレビ情報のほうが現実よりもみんなには影響を与えていることを、ここでも感じました。
私に生サンマが少ないという話をしてくれたのは男性で、たぶん自分ではスーパーに入っていないのでしょう。
彼の世界はテレビやネット情報で構築されているのです。

まさに私がかつて考えていた「非情報化革命」によって、みんな現実界から遠ざかられてしまったのです。
http://cws.c.ooco.jp/antiinfo.htm

ところで、サンマの内臓です。
私の結論はやはり「おいしくない」です。
娘も内臓は嫌いだそうですが、酒飲みではないからではないかというのが娘の意見でした。
これからも私はたぶんサンマの内臓は食べないでしょう。

| | コメント (0)

2019/10/30

■節子への挽歌4441:長らくくすぶっていた体調が回復しました

節子

相変わらずせきが残り、体調も良くないため、病院に行こうか行くまいかぐずぐず迷っていました。
それも行こうと思うとなぜか行けないようになり、行ける日にはなぜか体調がよくなるのです。

いつになってもぐずぐずしているので、昨夜、決断しました。
体調は完全回復したと決めたのです。

そして今日は、娘たちと孫と4人で柏のショッピングモールに行きました。
実は予定では今日は近くの総合病院に検診に行こうと思っていたのですが、
体調回復には、医者よりも気分転換が良いだろうと考えたのです。

しかし、娘や孫とのショッピングモールはあんまり楽しいものでもありません。
私は買い物にはまったく関心がありませんし、食事も興味がありません。
それに孫は卵アレルギーで、食はいつも限られてしまいますし、甘いものをご馳走しようとしても虫歯になるからと娘に叱られます。
もっと問題なのは、先日、クレジットカード入れを落としたため、まだカードが再発行されていないので、私にはご馳走するお金がないのです。
いまはsuicaもないので、電車に乗るのも面倒です。
困ったものです。

しかも孫はいまは極度の母親べったり時期です。
以前と違って、私と2人での行動はあまりしません。
まあそれでも気分転換蜷なります。

孫はあまり何かを欲しがりません。
私の娘たちの子どもの頃と同じです。
何か買いたいものがあれば、買ってやってよと母親でない方の娘には頼んでいますが、あんまりねだられたこともないようです。

今日は最後にいつも行く駄菓子屋に寄りました。
5分ほどいて、手に小さなものを持って、うれしそうに出てきました。
自分で選んで、母親からお金をもらって自分で買いに行ったそうです。

見せてくれたのですが、何やら小さなものでした。
よく見たら、瓶入りのヨーグルトの小さなおもちゃでした。
20円だったそうです。
どうしてこんなものを選んだのか不思議です。
もっといろんなお菓子やおもちゃがあったのですが。

今日は陽射しもありあたたかな1日でした。
夕方、うれしいニュースが2つほど届きました。

そんなわけで、体調は回復、明日からいつもに戻ります。
長いこと、ご心配をおかけしました。
いろいろと声をかけてくださったり、元気の素を届けてくれたみなさんにとても感謝しています。

| | コメント (0)

■CWSサロン「次世代原発 小型モジュール型原子炉の可能性」のご案内

今回は、私の関心事で企画させてもらった学習型サロンのご案内です。

テーマは、次世代原子炉の一つとも言われている「小型モジュール型原子炉」です。
福島の事故以来、原子力発電に関する見直しが進められていますが、反原発の考えがある一方で、安全で安価な第4世代原子炉への関心も高まっています。
とりわけ、その一つである小型モジュール型原子炉(SMR)は、日本のエネルギー政策でも重視されているものです。

私は、原発は即座に廃炉に向かうべきであり、エネルギー政策においても、原子力は外すべきだと思っていますが、世間の人たちは相変わらず原子力への期待が大きいようです。
もしかしたら、私が間違っているかもしれません。
そこで、最近話題の小型モジュール型原子炉について、きちんと学びたくなったのですが、ネット情報などで調べてもよくわかりません。

そこで、長年、原子力発電に関わってきている、私が信頼する畑さんにお願いして、小型モジュール型原子炉についての学習型サロンを開いてもらうことにしました。
湯島に集まる人たちは、反原発の人が多いでしょうから、畑さんにとっては極めて「アウェイ」な場だと思いますが、畑さんは快く引き受けてくれました。
念のために言えば、畑さんが小型モジュール型原子炉の開発に取り組んでいるわけではありませんが、客観的な視点で、私にもわかるように噛み砕いて話をしてくれるはずです。

またそうした話から、原子力発電の可能性や限界も見えてくるような気もします。

湯島のサロンでは、さまざまな考えに触れることを大切にしていますが、原発の捉え方が相反する立場であっても、いやそうであればこそ、お互いに学ぶことはたくさんあります。
自己の考えに呪縛されることなく、反対の考えにも触れることは大切です。
原発に関しては、過去何回かサロンを開いてきていますが、感情的な対立に陥りやすく、なかなか建設的な議論にはなりにくいテーマです。
しかし、今回は視点を未来に置くことで、話し合いもやりやすくなるような気がします。

ぜひたくさんの人に参加していただき、異論を交し合えればと思います。
ただし、今回は、学習型ですので、自論のぶつけ合いはできるだけ抑えた運営にさせてもらう予定です。

原発に関心のある人、これからのエネルギー政策に関心のある人、お時間をぜひつくってご参加ください。
実りある話し合いを目指したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

〇日時:2019年11月24日(日曜日)午後1時半~3時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「次世代原発 小型モジュール型原子炉の可能性」
〇話題提供者:畑孝也さん(技術士〔原子力・放射線部門〕)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

■雨男発言と身の丈発言

またまた国家議員の発言が問題になっています。

議員の失言に国民の関心を向けることで、肝心のことから目を反らさすのは、与野党を問わず国会議員の好きなことですが、野党党首の発言を聞いていて、ほんとうに彼らの政治感覚を疑いたくなります。
そもそも国会は本来、「知恵を出し合う」場であって「言い争い」の場ではありません。
そんなことに大事な時間を使ってほしくはありません。

またそれに乗じて、問題を「表層的な」次元で終止させてしまうマスコミにもいつもながら失望します。
問題は、「言葉」ではなく、それが表象している政治の原状です。

雨男発言は、確かに被災された人には不快感を与えたかもしれませんが、私がもし被災者だったら、そんなことよりも実際の支援活動の遅れや責任逃れに終始する森田知事の発言のほうこそ不快に思うでしょう。

身の丈発言は、30年前から講演などで、「分をわきまえる」生き方から抜けでましょうと話していた私としては、賛成はできませんが、それ以上に私が話していたころもほとんどの人は私の発言には共感してくれていませんでしたから、「言葉」はともかく、多くの大人たちはみんなそう思っているのだろうと感じていますので、与党の政治家が相発言しても、まったく違和感はありません。

それに今でも、「身の丈に合った生き方」を勧める人は人生の「先達」は少なくありません。
それにそもそも、そういう考えの政治家を選んで評価していながら、そんな発言を大問題にする人の無責任さにこそ怒りを感じます。

また誤解されそうな表現不足の文章ですが、問題は「言葉」ではなく、たとえば今回は発言の契機になった大学入試制度の設計思想です。
さらにはその根底にある「政策思想」であり、政策立案を担っている人たちの人生観です。
そこに焦点を向けなければ、何も解決しません。

いや、萩生田発言は、その制度設計の思想を言語化し可視化してくれたと捉えるべきであり、「失言」ではなく「名言」と捉えるべきではないかとも思えます。
野党も国民も、むしろ萩生田さんに感謝して、制度をよくする方向に変えていく契機にすべきなのです。

ついでに言えば、「雨男発言」も、雨男を大臣にしてはいけないという教訓にして、雨男は大臣にしないような教訓にすべきです。
これはちょっと蛇足でしたが、でもいろんなことを示唆しているようにも思います。

身の丈発言は、まさに現在の政治の思想を象徴しています。
つまり格差を是認し、社会階層を固定化する教育をしていこうということですから、萩生田文部科学大臣は素直にそれを発言し、世論を誘導しているわけで、決して「失言」などではないのです。

こういうことはこれまでも何回か繰り返され、失言問題として謝罪と時に辞任さえありましたが、世論を誘導し国民を教育するうえでは効果を発揮していると私には思えます。
一方でタテマエのスローガンを掲げ(一億総活躍、女性の活躍…)、一方ではこうした形でその意図を無意識のうちに繰り返し働きかけて世論を誘導するのは、いまの政治の常道です。

言葉論争に巻き込まれるような愚は避けるべきであり、むしろ失言問題ではなく、肝心の入試問題や文科行政方針を問題にする政策論争にしてほしいです。
そこまでいかなければ、結局は安倍政権の意図に利用されるだけでしょう。
立憲民主党もまた結局は自民党の応援政党になってきていると思えてなりません。
安倍政権を倒したいなら、基本的な姿勢を変えなければいけません。

道化役の政治家の「失言」の向こうにあるものに、目を向けて、それを可視化し、国民に呼びかけてほしい。
高校生たちがせっかく立ち上がっているのですから、高校生たちと共に共闘してほしい。
大切なのは、萩生田さんを問い詰めることではなく(以前の大きな問題でさえ問い詰められなかったのですから)、政策や利権がらみの教育制度を変えることです。
そのためには、国民の力が不可欠です。
そこに呼びかけることをしなければ新しい政治は始まりません。
いまの野党にはその気はないのでしょうか。

人の失言をあげつらう国会にはもうあきあきです。

 

| | コメント (0)

2019/10/28

■節子への挽歌4440:ホンネで生き続けてきたご褒美

節子

生き方を変えようとして苦戦している人がいます。
長年ビジネスの世界できわめて有能と評価されて活躍してきた女性ですが、ある理由でそこに見切りをつけて生き方を変え始めたのです。
そこで私に出合い、私のところに時々くるのですが、なかなか生き方を変えられないのがわかります。
その苦労が伝わってきます。

おそらく意識の底に埋め込められたルールは思考から抜け出せないのです。
もっといえば、人を信頼できなくなっているのかもしれません。

もっとも彼女は一般的な意味での「信頼」はみんなにもっているのですが、本当の信頼は「ホンネ」を開くことからしか生まれません。
頭で考える「信頼」は意図的な信頼ですから、単なる「方便」であって、私にはまったく意味のないことのように思います。
「信頼する」のは簡単な話ですが、その段階ではたぶん何も変わりません。

午後、あるプログラムを開発しようというミーティングがありました。
そこでも「ホンネ」が問題になりました。
「ホンネ」で話し合わないと問題は解決しないというような話を私がしたのですが、参加者の一人が「佐藤さんはホンネを話すことができる人だが、多くの人はそれができない」というのです。

私は別にいつも「ホンネ」で話そうなど思ってはおらず、ホンネ以外のタテマエを持てない「単細胞」なだけなのです。
だから生きにくいのかもしれません。
しかし、そうした生き方を続けてくると、逆に最近はとても生きやすいというか、信頼も得られるような気がしています。

生き方を変えようとしている女性は、孤軍奮闘している感じをうけます。
もっと気楽に、仕事や生き方を楽しむようにしてください、と言いましたが、それができる生き方に移るのが難しいのでしょう。
私にできることはなんでしょうか。

それにしてもみんなどうして生きるのにがんばってしまうのでしょう。
生きることを楽しめばいいのですが、楽しめるようにしようとなぜか楽しむ前に頑張ってしまう。
困ったものです。

 

| | コメント (0)

2019/10/26

■節子への挽歌4439:名セリフを忘れてしまいました

節子

昨日の結婚式は、やはりうまく話せませんでした。
困ったものです。

前半はうまく話せたのですが、真ん中ごろからだんだんいろいろと考えた名セリフ?が思い出せなくなり、実は原稿を持ってきているのですが、と断ってから、原稿を出して確かめようとしたのですが、ますますわからなくなってしまいました。
その名セリフが話せなかったのが、少し心残りです。

話は、まずは「おめでとう」と言った上で、問題は何がめでたいか、です、という、いささか素直でない問いから始めましたが、最後は、その問いへの一応の答えを出して、改めておめでとう、と締めたのですが、これはまあ何とかうまくいきました。
しかし、結婚式の主賓スピーチで、まさか「何がめでたいのか」などという人はそうはいないでしょう。

それでも「恩師」の話は、ジンと来たという人もいてまあよかったです。
知り合いは一人と聞いていましたが、湯島のサロンに行ったことがあるという人が数名いて、思わぬ出会いもありました。
結婚式にも、親族の中に紛れ込んで参列したのですが、久しぶりの神式の結婚式でした。
それから披露宴までの時間がちょっと長く、それでいささか疲れてしまいました。

娘たちもきちんとした結婚式をやっていないのですが、そもそも私がやっていないので、仕方がありません。
その考えを、節子にまでもしかしたら押し付けたかもしれないなと少し反省しました。

フリーランスで活動している若いクリエイターの人たちが多かったので、実ににぎやかで楽しい結婚式でしたが、5時間を超える場はやはり身体に応えました。
みんなも私のような年寄りを立ててくれましたが、最近の若い世代は本当に心優しいです。

次々と出てくる料理を食べていたら、後半はとても食べられず、一番の目玉の「鯛めし」は食べられませんでした。
しかしいささかいやしくも頑張って食べてしまったら、お腹がいっぱいで帰宅するのがつらいほどでした。
せっかくの料理だからと頑張るのは、やはり貧しさの表われでしょう。
葬儀も婚儀も、ポトラッチではないですが、無駄に食べ残すのがルールなのでしょうが、なかなかそれができません。

しかしとてもいい結婚式でした。

帰宅した途端に、抗癌治療している友人からの電話が入りました。
一挙に違う世界に引き込まれ、気分が反転してしまいました。
明るい生を謳歌している人がいる一方で、死に立ち向かっている人もいる。
私は、死もまた明るいと最近は少し思えるようになってきていますが、誰もそうではありません。

違った世界の往来は、やはり疲れます。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4438:私にとっての最高の恩師は節子だった

節子

今日は久しぶりの結婚式です。
数年前に知り合った若い友人から招かれたのですが、その人と出会ったのは数年前なので、年上の友人という立場で、みんなが話した後に何か一言言えばいいと軽く考えていたのですが、先日会ったら、私が最初に挨拶をすることになっているのだそうです。
しかも、恩師として話すのはどうですか、と言われてしまいました。

恩師? 何で私が恩師なのか。

その理由を訊いたら、私と付き合いだしてから、生き方が少し変わった気がすると言われてしまいました。そう言われてしまうとなんだかその責任をとらなければいけないような気になってしまいました。

恩師として話をする以上、恩師ってなんなのかを考えなければいけません。
それで私にとっての恩師とはだれなのかを考えてみました。
どうもピンと来る人が思い浮かびません。

悩んでいたのですが、昨夜、お風呂に入っていて気づきました。
私にとっての最高の恩師は、節子だったと気づいたのです。

思い返してみれば、私の人生を支え、間違いを正し、あるいは力を与えてくれたのは、節子でした。
何かを教えてもらったわけではありませんが、たくさんのことを気づかせてくれた。
学問の恩師、仕事の恩師とは言えませんが、人生という視点で考えると、伴侶である節子こそが恩師だった気がします。
そしてたぶん節子にとっても夫である私が人生の恩師だったという気がします。

お互いに生き方を尊重しながら、時に反対し言い合いもしながら、いつも支えてくれていた。
どちらが恩師でどちらが子弟ということではなく、夫婦とは、あるいは家族とは、お互いに「教え合い学び合う関係」なのだと、気づいたのです。

それで今日の結婚式には、その話をしようと思います。
そして、2人には、お互いに人生の「恩師になる/恩師にする」ような関係を育て上げていってほしいと言おうと思います。

さてうまく話せるといいのですが。
まだ咳が残っていて、声もちょっと違います。
明日はやはりお医者さんに行こうと思います。

 

| | コメント (0)

2019/10/25

■節子への挽歌4437:3回目の大雨強風

節子

また千葉は大雨強風です。
今月3回目です。
我孫子はさほどではありませんが、房総各地の被災地は大変でしょう。

我孫子も先ほど、避難勧告が出ました。
私の住んでいるところは、土砂崩れの警報も出ています。
避難場所も近くに開設されました。
しかし、まあ今の状況ではわが家の方が安心でしょう。

それにしても今年の千葉は大変です。
テレビでも我孫子の状況が報道されているようで、神奈川や福井の知人から心配して電話がかかってきました。
みんな心配してくれます。
ありがたいことです。

しかし3回も同じような目に合うと、何か緊張感がなくなります。
困ったものです。

 

| | コメント (0)

■CWSサロン「日本国憲法の制定経過」のご案内

日本国憲法の改憲議論が盛んになってきていますが、改めて、その制定経過をきちんと確認しておこうということで、弁護士の秦悟志さんにお話ししていただくことになりました。
これまでも断片的には、取り上げてきましたが、今回は先入観なしに制定の経緯に関して全体的なお話をお聞きしたいと思います。

秦さんからは、こんな話をしたいと次のメッセージをもらっています。

現行憲法については「押しつけ憲法」論があります。しかし、この言葉から受ける印象ほど現行憲法の制定経過は単純ではありませんでした。
1945年8月のポツダム宣言受諾後、民間団体による憲法草案の公表、昭和天皇による改正作業、政府委員会による改正作業が行われました。
その後マッカーサー草案の提示、衆議院総選挙、帝国議会および枢密院における審議、昭和天皇の裁可を経て、1946年10月29日、現行憲法は大日本帝国憲法の改正法として成立し、1947年5月3日から施行されました。
以上の制定経過を、民間草案と現行憲法の類似点に着目しながら辿ります。

日本国憲法の捉え方はいろいろありますが、今回は秦さんのお話を聴きして、自由な話し合いをしたいと思います。
よろしくお願いします。

〇日時:2019年11月19日(火曜日)午後7時~9時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「日本国憲法の制定経過」
〇講師:秦悟志さん(弁護士)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

| | コメント (0)

■CWSサロン「小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響」のご案内

久しぶりに「子どもの世界」を取り上げるサロンを開催します。
話題提供者は、“学童デザイナー”のかわさきあつこさんです。

学童保育活動で、不登校や問題行動を起こす子どもたちのケアなどに取り組んでいるかわさきさんは、子どもたちがいまどのような環境におかれているのかを、生身で実感しています。その実態を多くの人に知ってもらい、子どもたちをどう守っていけばいいかを社会全体で真剣に考えていかなければいけないという強い思いをお持ちです。

かわさきさんのメッセージを紹介します。

小学生の時期には、その人の価値観のベースや自分と他人の違いなどに気づき、力をあわせて一つのゴールに向かって取り組めるようになる時期でもあります。さらに、憧れの人を目指して、夢にむかって歩き始める時期でもあります。プロで活躍されている方の多くは、小学56年生で具体的な「夢」を掲げ、取り組んでいることからもわかります。
そのような大切な時期にもかかわらず、ゲーム依存、いじめ、不登校、薬、犯罪、自殺など、さまざまな社会問題が出始めています。これらの負の連鎖から、子どもたちを守るために、彼らがもっている良さを引き出すお手伝いをするために、私たち大人ができることなどをゆるりとお話をさせていただきたいと思います。
かわさきさんが運営している学童保育活動での取り組みも紹介していただけると思います。

子どもの世界は、まさに社会の縮図であり、これからの社会を方向づけていくものです。
そういう意味では、誰にとっても大切な世界です。
子どもと接点をお持ちの方も、お持ちでない方も、ぜひご参加いただきたいサロンです。
これからの社会も、少し見えてくるかもしれません。

さまざまな方のご参加をお待ちしています。

〇日時:2019年11月23日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ: http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:かわさきあつこさん(学童デザイナー)
〇テーマ:「小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

 

| | コメント (0)

2019/10/24

■節子への挽歌4436:高齢になった時の付き合い方

節子

明後日の結婚式での式辞で頭がいっぱいなのですが、兄との会食を約束していました。
兄との会食はいつも喧嘩になるので、今回はユカが同席です。
お互いに、もうそれほど一緒にはいないのですから、そろそろつまらない論争はやめてもいいのですが、最近ますます、相性が悪くなってきている気がします。
困ったものです。

兄は私よりも7歳年上ですが、私よりも元気です。
まだ定期的に小学校で子どもたちに教えていたり、地元では囲碁を教えていたりしています。

しかし、まあお互い、いつ突然に逝ってしまうかわかりませんので、どんなに喧嘩しても、最後は仲直りして、悔いを残さないようにはしています。
それが高齢になった時の付き合い方なのです。

 

| | コメント (0)

■CWSサロン「核時代に懸ける人類生存の橋」報告

11月のフランシスコ・ローマ法王の来日に寄せて、本間照光さんが毎日新聞に寄稿した「核時代に懸ける人類生存の橋」を巡ってのサロンには10人を超す人が集まりました。

Honma191020

案内にも引用しましたが、その寄稿で本間さんはこう書いています。

「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」(日本国憲法)。これは戦争の放棄、戦力および交戦権の否認」(同9条)へと続く。法王が見ているのも同じ方向だ。これを国の内外に共有してこそ、核時代に人類生存の橋が懸けられる。

参加者からいろんな意見が出されました。

38年前のヨハネ・パウロ2世法王の来日の時には、広島平和記念公園で法王は「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の地、この平和記念公園ほど強烈に、この真理を、われわれに訴えている」という平和アピールを世界に呼びかけました。
当時の日本人の関心の強さと働きかけが、その平和アピールの背景にあります。
ところが今回はどうでしょうか。
本間さんに危機感と嘆きはそこにあります。

そういう危機感を残念ながら、私も含めてサロン参加者はあまり持っていませんでした。
そして、この「好機」を活かそうという思いも、あまり強くなかったような気がします。
本間さんは、そういう状況を嘆いているのです。

せっかくサロンを企画しながら、私自身、しっかりと考えていなかったことを大いに反省させられるサロンでした。
今回は、私には報告する資格はありません。
どこかで私も逃げてしまっていたような気がしています。

そこで大いに反省して、本間さんのメッセージを多くの人に知ってもらうために、自分でできることに取り組もうと思います。
できるかどうかは確実ではありませんが、また報告させてもらいます。

本間さんの寄稿文を、改めて読み直してもらうことをお願いして、今回の報告に代えさせてもらいます。
ぜひ添付の本間メッセージを読んでいただき、それぞれでできることを考えてもらえればうれしいです。

ちなみに、サロンではさまざまな論点が議論になりました。
そこから新たなシリーズのサロンも生まれるかもしれません。

おかしな報告ですみません。

191007_20191024093101

 

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4435: ポルトガルからの便り

節子

サンティアゴ巡礼に出ている鈴木さんから絵葉書が届きました。
今回はポルトガルを北上しているのですが、はがきを投函したのはコインブラ。
リスボン、ポルトに次ぐポルトガル第3の都市で、大学町として有名のようです。
ポルトガル内はもう半分を超えたようです。
ハガキによれば、毎日30キロを超える道のりを進んでいるそうです。

Img082

鈴木さんがポルトガルを歩いている間に、私も相馬霊場めぐりの残りの半分30キロを歩く予定でしたが、体調不良でまだ実現していません。
11月にはいったら、挑戦しようと思います。

今回のはがきにも書かれていましたが、巡礼の途中では「小さな心遣いの幸せ」を感ずることが多いそうです。
そこできっと魂が洗われ、元気になる。
そういう社会が戻ってくれば、社会はまた豊かになるでしょう。
昨今のニュースを見るにつけ、日本の社会の貧しさを痛感します。
私の最近の体調不良も、もしかしたら、そのせいかもしれません。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4434:結婚式での式辞

節子

明後日は友人の結婚式に招かれています。
2年ほど前に知り合った若い友人です。
すでに子供までいる家族ですが、結婚式をやるので参加してほしいと言われました。
カジュアルな会食のイメージだったので、友人の一人として末席に座っていればいいと軽い気持ちでいました。
一言、話もしてくれますかとも言われていましたが、まあそれも軽い気持ちで引き受けました。

ところが先週、彼に会って確認したら、どうも私が最初の挨拶をするのだそうです。
それも話をするのは私一人。
どういう立場で話すのかと訊いたら、「恩師」として話してほしいというのです。

恩師?
メインスピーチ?

いささかあわてました。
たしかに彼のパートナーもその子供も顔見知りではありますが、ある集まりのメンバーというだけのつながりです。
ましてや、断じて「彼の恩師」などではありません。
しかし、彼は、私と会ったために人生が少し変わりつつあるというのです。
そう言われると、それなりの「責任」をとらねばいけないような気になってきます。

私はスピーチは苦手です。
風邪で参加できなくなればとも期待していましたが、体調不良もなぜか回復してしまいました。
困ったものです。

さて何を話すか。
話す材料が全くありません。
胃が痛くなるほどでしたが、問題は先延ばしするという私の悪い性格から、真剣に考えてこなかったのですが、さすがに2日前になると心配になってきました。
カジュアルと言いながらも、60人以上の参列者があり、親族関係も多いようです。
少しはまともなことを言わなければいけません。

それで少し考え出したのですが、いい知恵が浮かびません。
話し出すきっかけさえ思い浮かびません。
節子がいたらアドバイスをもらえるのですが。
今日は時間の合間は、すべて式辞を考えていることになりそうですが、いい知恵が浮かぶといいのですが。

スピーチは、ともかく苦手です。
今日と明日は、試練の2日です。

 

| | コメント (0)

2019/10/23

■節子への挽歌4433:新米が届きだしました

節子

今年は例年よりも遅い気がしますが、先週から新米が届きだしています。
昨日は新潟の魚沼産の新米が届きました。
ドリンク剤も元気が出ますが、美味しい新米も元気が出ます。

昨日届いた魚沼産の新米は、例年、金田さんが送ってくださるものです。
金田さんに電話をしました。
お元気そうでした。

金田さんは私よりも少し高齢です。
以前は毎月のように東京に来ていましたが、最近は年に数回になってしまいました。
まあしかし私よりはフットワークはいいです。
考えてみると私は今年、遠出をしていません。
飛行機はもとより、新幹線にも乗ったことがありません。

人の元気の源はなんでしょうか。
いろいろとあるでしょうが、「食」は大事です。
私は、その「食」にほとんどモチベーションがありません。
困ったものですが、美味しいものを食べたいとかめずらしいものを食べたいという気持ちが起きないのです。
美味しいご飯とみそ汁と漬物があれば、もう満足なのです。
ですからこの季節の新米のご飯はうれしい贈り物です。

以前は手作りの新米がいろんな人から届いていましたが、残念ながらみんな高齢になってしまい、おくってはくれますがいずれも知人に頼んでつくってもらった新米です。
それで価値が変わるわけでもありませんが、私にとっては少し意味が違ってきます。
「物との関係」は、こうやって少しずつ変わっていくのでしょう。

新米を食べて、元気も回復してくるでしょう。
生活も正常化できそうです。

 

| | コメント (0)

■廃棄物の山の向うに見えること

同じ情景を見てもどうも、少し違う世界を見てしまうことがあります。
正確に言えば、見ている世界の向こうに見えてきてしまうことがある。

この頃、むしろその「向こうの世界」のほうが強く見えてしまうようになってしまいました。
困ったものです。
そうなると、被災者や被害者、あるいは当事者に、なかなか「寄り添う」ことができなくなってくる。
いや、そもそも「寄り添う」と一体何なのだろうかとわからなくなってくる。
昨日また「寄り添う」という言葉を何度か聞いていて、考えてしまいました。

たとえば、台風の被災者が出す廃棄物の山がテレビによく出てきます。
被災者は大変だなという思いと同時に、どうしてみんなこんなにいとも簡単に捨ててしまうのかという思いが出てきてしまう。

こんなことを言ったら、実際に被災した人にはとても「寄り添えない」し、みんなからもひんしゅくを買うでしょう。
そんなことを考えている暇があれば、現地に行って、かたづけを手伝えと言われそうです。

でも、廃棄物の山を見ていると、廃棄されたものたちの悲しさが伝わってきます。
もっと生かしてやれないものなのか。
いや、きちんと大事に使われていたのだろうか。

たとえば、水につかった畳の山がある。
乾かして燃やして畑に戻してやれないのか。
なんで水につかっただけで壊れてしまう家電製品を大量生産しているのか。
むかしの人もこんな感じで、物と付き合ってきたのか。

「断捨離」とか「捨てる技術」などということがはやっているようですが、私にはとても共感できる言葉ではありません。
「物との関係性」を大事にしない人は、たぶん「人との関係性」も大事にはしないでしょう。
それに気づけば、そう気安く、「断捨離」とか「捨てる技術」とか言えないのではないか。
前から書いているように、私はそろそろみんな「消費者」から卒業して「生活者」になっていく必要があるのではないかと思うのです。

廃棄物の山を見ていると、何とも情けない。
これでまた「経済成長」のタネが生まれたと思っている人の顔まで見えてきてしまう。
台風襲来の前にスーパーから食料がなくなった写真をアップしましたが、廃棄物の山は、それとつながっているような気がします。

生き方を問い直したいです。

 

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4432:恩返しより恩送り

節子

ついでにもう一つ書いてしまいましょう。
なにしろ今日は暖かな日なのでパソコン作業が苦になりません。
先ほど、孫たちが立ち寄りましたが、自動車で出かけてしまいましたので、相変わらず一人です。

やらなければいけないことはいくつかありますが、まあいいでしょう。
挽歌を追いつくことも大事なことですから。

体調はほとんど戻ったのですが、なかなか咳が止まりません。
それで肺炎ではないかと心配され出しています。
自分の体験がある娘のユカは、早く医者に行けと言っていますが、病気は医師ではなく意志で為そうという信条の私は、もう少し様子を見たいのです。

しかし、あまりにも長いので、昨日はいささか不安になり、かかりつけの遠藤さんに行こうと思ったのですが、幸か不幸か昨日は「即位礼正殿の儀の行われる日」で、今年だけの休日だったため、遠藤さんは(たぶん)休診でした。
しかも幸運なことに、今日は水曜日で定期休診の日です。
しかも暖かな気持ちのいい日なので、病気の気分はすっかり消えてしまいました。

しかしフェイスブックやメールでは、今朝もはやくいしゃにいけというアドバイスが続いています。
まあありがたいことです。

またこの数日、これを飲んだらすぐに元気になるというジュースや、実に飲みにくいけど元気になるというサプリメントドリンクを友人が持ってきてくれました。
飲まないわけにはいきませんが、ジュースはともかく、踆サプリメントドリンクは見事に飲みにくいのです。
それでもせっかくの善意には応えなくてはいけません。
それで毎日飲んでいたら、どうも今日はもう大丈夫のようです。

まだ咳が完全に抜けたわけではありません。
でも今のところ「肺炎」ではないことにしても、さほど問題はないでしょう。

持つべきものは、病気を気遣ってくれる友人たちです。
だからこそ、私も気遣うべき友人を大切にしなければいけません。
気遣いは循環します。
「恩返し」よりも「恩送り」が大切ですから。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4431:全財産を落とし戻ってきた話

節子

もう一つ報告を兼ねて書きます。
10月16日のことです。

体調があまり良くなかったのですが、夜に湯島でサロンが予定されていました。
私の主催するサロンではなかったので欠席したかったのですが、鍵を開けに行かなくてはいけません。
それでユカに駅まで送ってもらい、湯島に行きました。

少し早めに来たサロンの主催者と話をして、やはりサロンは欠席して帰らしてもらうことにしました。
ところが、部屋を出てポケットを確認したら、私の全財産が入った名刺入れがないのです。
全財産と言っても、クレジットカードやスイカ、健康保険証、回数券とわずかなお金です。
しかし、これがいわば私の全財産で、これがないと電車にも乗れません。
部屋に戻ってどこかに落ちていないかと探しましたがありません。
さてさてどうするか。

部屋の引き出しにある小銭を持ってまずは湯島駅に。
そこで落し物の確認をしましたが届け出なし。
つづいて我孫子駅と駅前交番でも確認。いずれも届け出はないそうです。
またクレジットカードを失効させなければいけないかと憂鬱になりました。
つい最近、私のカードが悪用されて、再発行したばかりです。
今回は前回のような余裕もなく、帰宅後、食事もせずにカードの失効手続きを取りました。

手続きを終わって、食事を食べだしたら、駅前交番から電話がありました。
私の名刺入れが届けられたそうです。
タッチの差でした。
急いで交番に駆けつけました。

どうも駅前のロータリーの見えにくいところに朝からずっと放置されていたようです。
それで見つかるのが遅くなったようです。
私が車から降りるときに落としたのです。

もう少しきちんと探せば、見つけられたはずですが、今回は出てこないかもしれないと思ってしまったのです。
そう考えた自分をおおいに反省しました。

それでも全財産が戻ってきてホッとしました。
ただしすべてのカードが再発行になったので、当分はお金を持ち歩かないといけません。
困ったものです。

体調が悪いと注意力が低下します。
気を付けないといけません。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4430:オブジーボ

節子
もう一人、やはり抗がん治療に取り組んでいる友人がいます。
彼のことも私に気持ちに大きな影響を与えています。

小学校時代の同級生です。
胃がんの手術をしましたが、節子と同じステージでした。
ただ進行性ではないようです。

彼は独身で、相談相手があまりいません。
幼馴染のつながりで、私を頼りにしてくれています。
昨年の今頃、彼が治療方針に関するセカンドオピニオンを訊きたいというので、一緒に癌研に行きましたが、その方針できましたが、事態があまり変化しません。

私自身は、変化がないのは良いことで、その間に免疫力を高め、化学療法や薬事治療はしない方がいいと思うのですが、当事者にとってはやはり事態が変わらないことに不安があるのでしょう。
病気は治すべきだという呪縛からなかなか抜けられないのです。

節子は、一切の抗がん剤治療は受けませんでした。
それがよかったかどうかはわかりませんが、節子も私も、議論するまでもなく、その方策をとりました。
そのおかげで、一時は奇跡が起こったと思えるほどでしたが、やはり5年に届く前に、節子は逝ってしまいました。
ですから、何がいいのかは、確信は持てませんが、ただ私なら薬はすべてやめるだろうとは確信しました。
しかし、たとえ幼馴染とはいえ、その考えを他者に押し付けることはできません。

彼は今、病院の薦めもあって、オビジーボ治療を検討しています。
1か月前からその相談を受け、彼に会いに行ったりしているのですが、彼の迷いを止めることができません。
一番深く考えているのは私ではなく彼ですから。

21日にまた癌研にセカンドオピニオンを訊くに行くと連絡があったので、同行しようとスタンバイしていましたが、直前に彼と電話したら、今回は一人で大丈夫だというので、私も体調不良でもあったので、今回は同行しませんでした。
後で彼と電話で話しました。
同行しなかったことを後悔しました。

調子が戻ったら、やはり彼に会いに行こうと思います。
人はやはり一人では決断できないものなのです。
私が極めて楽観主義者でいられたのは、たぶんいつも節子が隣にいたからです。

Oさんに奇跡が起こってほしいのと同じく、彼にも奇跡が起こってほしいです。
特定の人への奇跡を祈るのは、私の信条には反するのですが。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4429:余命宣告への対し方

節子

今日は久しぶりに暖かないい天気です。
ユカは上野の美術展に行ったので、一人でのんびりしています。
体調はいろんな人の応援でほぼ回復しましたが、気分は相変わらずです。

この数日の空白期間に会ったことを今日もいくつか書くことにします。

まずはちょっと重い話から。
湯島のサロンの常連の一人のOさんが1116日に「余命1年宣告」を受けました。
他者のことなので、むやみには書けませんが、この1週間の私の体調不安にも大きな影響を与えていることなので、少しだけ書かせてもらいます。

Oさんは1か月ほど前から背中が痛いと言っていました。
それでサロンの時にTさんが病院に行くことを勧め、私も同調しました。
そして病院に行った結果が「余命1年宣告」でした。
手術が難しい局面にまで進んでいたようです。

Oさんは、そのことを私とTさんにメールで淡々と伝えてきました。
そこまでは時にあることかもしれません。
20日にサロンをやりました。
そこに、Oさんが参加してきたのです。
全くいつもと同じように、サロンでは話をしていました。
ほかの人がいたので、声をかけにくかったのですが、私には「豪気だね」としか言えませんでした。
私の周りでも、節子も含めて、余命宣告を受けた人はいますが、Oさんほど動じない人は初めてです。

いや動じて」いるかどうかは、表面からはわからないというべきでしょう。
しかし、それにしても、顔の表情に曇りがない。
話し方にも迷いがない。
Oさんが事前に相談していた時には、むしろ迷いや不安を感じましたが、それが全くなくなったような気がします。

実は今度Oさんに会ったらなんと声をかけようかなどとつまらないことを考えていた自分が少し恥ずかしくなりました。
人は、いざとならないとわからないものです。

ちなみに、Oさんとは古いつながりですが、私よりも15歳近く若いはずです。
しばらく交流が切れていましたが、節子が亡くなったことを後で知って、わが家までわざわざ線香をあげに来てくれました。
Oさんは、節子のことを知らないはずです。
その後も何回かわが家にも訪ねてきてくれましたが、いつもお線香を持ってきてくれました。

極めて純粋で邪気がなく、湯島のサロンの常連でした。
これからも、何もなかったようにサロンに来ることでしょう。

Oさんに奇跡が起こることを祈ります。

 

| | コメント (0)

■BMSサロン「大型台風経験で思ったこと」のご案内

11月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)は予告通り、117日の午後6時半~8時半で開催します。

いろんな立場の人に参加していただきたく、年内はいろんな時間帯で開催し、来年から固定化していく予定です。
主旨は、繰り返しご案内している通り、生活感覚から政治を話し合い、そこから私たちの生き方や社会のありようを考え、それを広い意味での政治への関心と行動につなげていこうということです。
特定の政治思想に呪縛されることだけは避けたいと思っていますが、人間の生活を起点とする原則は大事にしていきます。
気楽に広い意味での政治を話し合う場に育てていければと思っていますので、よろしくお願いいたします。

今回は、先の台風(15号・19号)襲来に前後して起こったさまざまなことを題材にしようと思います。
民主国家と言われる国の政治の大きな役割は、国民の安全と安心を守ることです。
今回の台風のように、身近な災害を体験すると、国家の大切さや必要性への認識と同時に、国家の問題点が垣間見えてきます。
そしてそれこそが、国民の政治への関心を高める契機になると思っています。

政治は私たちの日々の生活の安全と安心に深くつながっているはずです。
それぞれがご自身の体験や感想を持ち寄って、自由に話し合えればと思います。
まあ気楽な井戸端会議という感じで、ご参加いただければと思います。
お時間が許せば、ぜひご参加ください。

〇日時:2019年11月7日(木曜日)午後6時半~8時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「2回の大型台風経験で思ったこと」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4428:利根川がまた水で覆われました

節子

私は台風一過の朝が大好きです。
節子がいたころは、台風の最中も出かけたくなり、家族からは決して川などには近づかないようにと言われていました。
最近は、そんな元気はなくなりましたが、しかし台風一過の利根川の河川敷は気になります。

それで台風が収まった15日にユカに頼んで、中央学院大学の裏の土手まで連れて行ってもらいました。
40年間と同じく、利根川の水が河川敷を覆っていました。
川の氾濫を防止するために、水を引き込んだのですが、連絡の手違いから、農機具は水没してしまったそうです。
これは交番でおまわりさんから聞いた話です。

40年ほど前は利根川が決壊して、今回よりもひどい状況でしたが、その時は節子と一緒にここに来ました。
水が引いてからも来ましたが、水のすごさには圧倒されます。
そん時のことを思い出しながら、水に覆われた河川敷に見とれていました。

Img_20191015_132442

実は以前住んでいたところは、我孫子でも比較的低いところにあったため、大雨が降ると近くでは床下浸水の恐れがありました。
その後、排水工事をしたので今はもう大丈夫ですが、水が出てしまうと大変なことは体験しています。
それもあって、いまのところに転居したのですが、幸いに現在の住家は水の心配はありません。
高台なので、ものすごい雨の場合はがけ崩れに心配はありますが、それもしっかりした工事をしているところなのでたぶん大丈夫でしょう。
台風や地震、集中豪雨のたびに思うのですが、家の立地はとても大事です。

そういう視点からは、いまのわが家は安心です。
この場所を探してきてくれた節子にはいつも感謝しています。
どんな雨が降っても安心していられるのは、節子のおかげです。

いまの私たち家族が安心して暮らせていけるのは、節子のおかげです。
毎朝、節子に感謝しながら、線香をあげています。
最近、ちょっと般若心経を省略しているのが問題ですが。

今朝はきちんと全文を唱えました。

 

| | コメント (0)

2019/10/22

■節子への挽歌4427:久しぶりに見た空の深さ

節子

台風が通過した翌朝、手賀沼公園に行きました。
手賀沼の水が気になっていたのですが、幸いにさほど水位は上がっていらず、どこもあふれた様子はありませんでした。
風はまだ少しありましたが、湖水でヨットの模型をリモコンで走らせている人がいました。
前日の台風が嘘だったように、のどかの風景でした。

帰り際に後ろを振り返ってみました。
陽の光が水面に注いでいて、神の降臨を感じさせるものがありました。
台風の雨風が、空気を浄化してくれたのでしょう。
空の青さが、以前、節子と一緒に見たエジプトや千畳敷の空を思い出せるほどの深さでした。

あの時の節子は元気でした。
空の青さに負けずに、元気でした。
もう2度と、あの青さは見ることはないだろうと思っていましたが、台風のおかげで空の深さを感じました。

節子が見せてくれたのかもしれません。

201910131 Taihuuikka1910132

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4426:気分がすぐれずに「から元気」で過ごした1週間

節子

心身ともに不調です。
ひどく不調というわけではなく、何となく不調という程度ですが、なかなか復調しません。
一時は熱も出ましたが、いまは平熱ですし、どこと言ってつらいわけではありません。
しかし得も言われぬ「不調感」があるのです。

一番は、考えようという気がなかなか起きません。
先日のサロンでも余計な発言で大失策しました。
武田さんが、熱があるのだから余計なことを話すなと注意してくれましたが、まさか私が考えていたことはまったく別の話をしてしまいました。
困ったものです。

肺炎かもしれないからら医者に行けとみんなから言われていますが、それほど悪いわけではないのです。
しかし、明らかにおかしいし、咳は相変わらず出ます。

そんなこともあって、挽歌を書く気が出ずにさぼっていたら、なんとまた1週間さぼってしまう結果になってしまいました。
あっという間です。
それほど人生は、終わりに近づくと速度が速くなる。

この間、ほんもよめませんでしたが、ようやく3日ほど前から本を読めるようになりました。
しかし頭を使う本はなかなか読めない。
注文していた岩波新書の「ミシェル・フーコー」が届いたので、読み出しましたが、入門書なのに全く読み進めないのです。
それがようやく読めるようになってきた。
昨日は、本田さんに薦められていた「維新正観」も読めました。

ようやくスランプから脱せられそうです。
しかし、この1週間は、いささか厳しい1週間でした。
気がないと、どんどん気が奪い去られるようです。

今度こそ反転しなければ、いけません。
今日は無理をせずに、明日から、心機一転を目指します。

なんだか、最近、こんな状況の繰り返しのような気がします。
どうなっているのでしょうか。

 

| | コメント (0)

2019/10/21

■「維新正観」(批評社)をお薦めします

私が日本の医療問題に関心を持った契機は、本田宏さんの講演です。
当時、私は統合医療に関心があり、昭和女子医大で開催されていた講演会に参加しました。
そこで本田さんの熱い講演に魅了され、挨拶をしたのが多分初めての接点です。

それもあって「ヒポクラテスの会」を立ち上げ、そのキックオフのフォーラムで、本田さんにキースピーチをお願いしました。
その会は、妻が病気になったため、私がすべての社会活動を辞めて引き籠ってしまい、立ち上げたままで終わってしまいました。
本田さんにも申し訳なく思っていました。

私が引き籠りを脱した後、また本田さんと会う機会があり、本田さんは湯島のサロンでも話をしてくれました。
以来、何かと本田さんから刺激をもらっています。

本田さんは、5年ほど前に医師を引退され、市民活動に取り組まれだしました。
しかし、その中でいろんな思いを抱かれたのでしょう、いまの日本の社会の根底に陣取っている歴史観こそが問題だとの認識をますます強めてきています。
そのことはとてもよくわかります。
日本の市民活動はどこかで肝心のものを抜かれてしまっているような気がします。

そんな本田さんから、蜷川新さんの「維新正観」(批評社)という本を薦められました。
1952年に出版された本ですが、2015年に復刊されています。
早速読ませてもらいました。
常識を覆させられることも多い、刺激的な内容です。
いささか言い過ぎではないかと思うところもありますが、蜷川さんの直接の見聞も含めて、きちんとした事実を重ねているので説得力があります。

それに、70年近く前なのに、そこに書かれていることは今もなお新鮮なのです。
たとえば、冒頭にこんな文章が出てきます。

民主の国になった今の日本において、「民主」と正反対である「君が代」を学生々徒に歌わしめようと企てた政治家のある事実は、何を物語るのであろうか。

いまや、そんな政治家が日本を牛耳っていることを思えば、時代はまさに後ろを向いているとしか思えません。

蜷川さんは明治維新について、「「維新」の名は、美しく世人に響くけれども、事態は極めて醜悪なものがあった」として、その裏付け事実をていねいにあげています。

私が認識を一変させられたのは、学校で習った「不平等条約」の話です。
当時も少し割り切れない話でしたが、この本を読んで腑に落ちました。
「不平等条約」は当時の国際状況に置いてはきわめて理にかなった条約で、決して不平等条約などではなく、むしろ明治政府にこそ問題があったのです。
それをさも幕府が不平等条約を締結し、それを苦労して明治政府が条約改定に取り組んだなどという物語に維新政府はつくりかえたわけですが、それがなんと敗戦後も同じように学校では教えられていたわけです。
1945年の敗戦によっても、日本の政府は結局変わらなかったわけです。
私たちが学校で学んだ明治維新の話は学び直しが必要です。

蜷川さんは、「明治維新は、封建制度よりもさらに世界の大勢に逆行せる、専制的有害な一制度の出現を意味していた」とさえ書いていますが、本書を読めばそれが納得できます。
廃藩置県などは(理念はいいとしても実際には)あくどい施策としか言いようがありません。

そうした「醜悪なものであり、法あるいは正義に反する」活動によって成立した明治政府によって、その後の日本は作り上げられてきました。
そして、昭和20年の敗戦によっても、それは壊されなかった。
そこにこそ、現在の日本の社会がかかえる問題の多くはつながっている。
そこから正していかないと、日本の市民活動はただただ権力に荷担するだけかもしれません。

こんな指摘もあります。

〈明治の維新時に〉全国3000万の人民は、決然として立ち、封建の制度を廃止し、人民の間に、身分的差異を置くことを禁絶し、公論政治の原理により、日本の政治を一新し、世界と共に、文明の進歩に浴すべきであった。然るに、天皇も、政府も、各藩も、庶民も、その実現に向い、それを実行するだけの誠意と革新的意気とを、有していなかったのである。
フランスの人民が、マルセイユーズを歌い「祖国光栄の日は来れり」と連呼し、全人民を誘って大革命に猛進したのは、その当時(明治維新)から70余年前の事実であった。当時の日本人も、すでにある程度その事情を知っていたのである。然るに、この種の一人の運動者さえ、日本に現われてはいないのである。

これを1945年の敗戦時の日本に当てはめてもいいでしょう。
いや、いまにあてはめてもいい。
この文化は、いまもなおつづいている。

立ち上がるのを忘れたままに、私は足腰が弱くなってしまいました。
困ったものです。
せめて若い世代の人たちに、本書を読んでいただきたいと思い、紹介させてもらいました。
もちろん、立てないほどの足腰の弱くなった人たちにも。

 

| | コメント (0)

2019/10/18

■CWSサロン「網野史観から考える現代日本の〈別の選択肢〉」のお誘い

湯島のサロンでは、最近、日本の将来像のような話が話題になることがありますが、今回は過去の日本を参考に、日本の選択肢を考えてみようというサロンです。
過去といっても、私たちが学ばされた教科書風の歴史から離れて、ちょっと斬新といえる「網野史観」を参考に、未来への選択肢を見直そうという試みです。
問題提起してくれるのは、蔵原大さん(東京国際工科専門職大学講師)です。

講座+ゼミ型サロンになると思いますが、まあ湯島のサロンですから、「網野史観」など聞いたこともないという人こそ大歓迎です。蔵原さんが資料をいろいろもってきてくれるそうですので、手ぶらでぜひ気楽にご参加ください。

ところで「網野史観」に関しては、時々、湯島でも話題になります。日本中世史研究者であった故・網野善彦さんの提唱をもとにしている歴史観です。
一言でいえば、網野さんの提唱は、これまでの国家ごとのエラそうな狭い歴史とか、定住や農耕が人間の望ましい生き方だといった上から目線の歴史観に対する挑戦です。むしろ網野さんは、人には自由に生きられる異空間(公界)をつくる権利があるという視点から、いまでいうノマド(非定住民)を含めた非農業の商人、職人、武士そして宗教者に焦点を当て、地域や身分をこえる広い歴史観を打ちたてようと戦いました。

そうして亡き網野さんは「神国」「海外から孤立した島国」等のミミっちい日本像とか「百姓=農民」という古くさい観念を見事に打破したばかりか、現代の私たちが教えこまれた世界観に対して別の道が選べることを示してくれたのです。
もちろん私たちをしばる世界観=世の中への偏見から自由になれば、現代の見え方も未来への展望も変わってきます。そのため生前の網野さんは自らの研究成果をふまえ、著作や対談を通して現代社会への問題提起、身分差別への批判を行っていました。

今回はそうした「網野史観」が提示してくれる昔の日本社会の新しい姿「公界」を踏まえて、蔵原さんに現代日本の「別の選択肢」を論じてもらうことにしました。
もしくはそれを踏まえた「蔵原史観」になるかもしれません。歴史をテーマにしたゲームも出してくれるそうです。私たち日本の「選択肢」をみんなで自由に議論する異空間をつくって、今の社会そのものを問い直す契機になればと願っています。

〇日時:2019年11月3日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ: http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:蔵原大さん(東京国際工科専門職大学講師)
〇テーマ:「網野史観から考える現代日本の〈別の選択肢〉」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

*蔵原さんの「東京国際工科専門職大学」はこちら: https://www.iput.ac.jp/

 

 

 

| | コメント (0)

2019/10/17

■節子への挽歌4425:また挽歌をさぼった理由

14日の夕方、挽歌を書いた後の夜の話です。

微熱の中で夢を見ました。
久しぶりに節子の夢です。
それも一緒にお風呂に入っている夢ですが、彼女を引き寄せようとしたとたんに目が覚めました。
久しぶりに夢に出てきた節子が、まさにお風呂とは思いませんでした。
昨日書いたブログを読んで夢に出てきてくれたのかもしれません。

そこまでは良しとして、しかし、その後が大変でした。
夢の後、また眠りに落ちてしまいました。
その後の夢が、熱のせいか、あまり好ましい夢ではありませんでした。
この世ではない世界に紛れ込んで、戻ろうとしても戻れなくなる夢です。
しかも2つの世界に迷い込んでしまいました。

最初は断崖に囲まれた海辺です。
たくさんの親子たちが楽しそうに遊んでいますが、なかには断崖を登ろうとしている人もいます。
そこに突然私が迷い込んでいたのです。

日が陰ってきたので、帰ろうと思いますが、どこにも断崖を抜けられる道はないのです。
近くにいた男性に訊いたら、知り合いに泊めてもらうしかないですよと言われましたが、泊まれるような家はありません。
ここは別の世界だと気づきました。

うなされるように目が覚めましたが、また眠ってしまいました。
今度は大きな駅にいました。この駅は改札口まで行き着くのが大変なのです。
このパターンの夢もよく見ます。

切符を買おうとしたのですが、鉄道の案内図が見たこともないものです。
なんとなく現実の交通地図につながっているようでつながっていないのです。

この種の夢も何回も見ています。
東京駅のうしろにもう一つのホームがあるという感じの夢で、中央線に乗ったら全く別の中央線だったというような話です。
それに乗るといつになっても自宅には帰れません。
明確に「彼岸行」の地下鉄に乗りかけた夢も見たことがあります。
なぜか四谷の丸ノ内線のホームに次元を超えて隣接する隠れホームだったと思います。

今度こそ目が覚めました。
そしてその3つの夢を反芻しているうちに朝が来ました。
それで風邪はさらに悪化しました。

目が覚めてからベッドの中で挽歌を頭の中でいくつか書きました。
そのせいか、数日、パソコンの挽歌を書く気がしなくなってさぼってしまいました。
そして今日、頭の中で書いた挽歌を文字にしようとしたのですが、思い出せません。
それで夢の話だけ書くことにしました。

彼岸が近づいている、という気がしてなりません。

 

| | コメント (0)

2019/10/15

■「こんな国にしたい」スケッチ

一昨日開催したリンカーンクラブ研究会で、参加者各自が自分の思う「こんな国にしたい」を出し合いました。
そこで私が発表した内容を紹介します。

スローガンは「安民豊国」。
そこに住む人の表情が明るく輝いていて、国土が豊かなこと、そして世界に向けて、開かれていること、という意味です。
日本の明治政府は「富国強兵」を国是にしましたが、それをもじっての、そしてそれへのアンチテーゼとしての「安民豊国」です。

「豊」は、経済的豊かさではありません。
多様性を活かし合う寛容さと他者や他国を支える余裕を意味しています。

その理念を支える、あるいは現実化する具体策の一部を例示します。

ベーシックインカムによって誰でもが生活を保障されている。
国民の所得格差は一定限度(たとえば5倍以内)を設け、それを超える部分は税としてみんなで活用する。
義務教育制度は廃止する。
原発は可及的速やかに廃止し、地域単位でのエネルギー自給体制を基本とする。
消費税は廃止し、所得を基本にした応分税制にする。
国会議員は1期(4年)が限度で、毎年定期的に1/4を入れ替える。
国民は20代に1年間の行政職就任を経験する。
政党制度は廃止する。
統治権者としての総理大臣は直接投票で選ぶ。

ルーティン的な政治課題はできるだけAI化を進め、人間の価値観が大きく影響する課題は国民投票によって決める。
基礎自治体の議会は廃止市、誰もが参加できる公開タウンミーティングを基軸に置く。
基礎自治体は3万ユニット以上に区分する。

行政文書は原則公開。
土地所有権の制限(総有制の導入)。
労働の義務の廃止。

米国基地は認めない。
自衛隊は生活安全のための活動(たとえば災害救助)に従事し、万一の時(実際に誰かに攻撃された場合を指す)は国防軍の核になる。
ある基準以上の飲酒運転者は免許永久剥奪。
賭博類一切禁止。
NHKは税金で賄うが、放送内容も含めて国民参加をとりれた経営を行う。

公職のマイナス給与化。
NPOへの公的補助の廃止。

それぞれきちんと説明しないと誤解されそうなこともあると思いますが、私の考える「安民豊国」をイメージしてもらうためにランダムにあげてみました。

 

| | コメント (0)

■第3回リンカーンクラブ研究会のご案内

リンカーンクラブ研究会のご案内です。

第2回研究会では、目指すべき国家の大きな方向性として、「国民全員が政治の決定に参加できる国家」を大きな方向として確認しましたので、今回からそれを実現するための各論に入っていきます。

第3回目は、「代議制と選挙」をテーマにします。
現在の日本の政治は、主権者である国民の選挙によって選ばれた代表が政治を担う、いわゆる代議制ですが、代議制を民主主義といっていいのかという基本的な問題を踏まえたうえで、どうしたら国民の意見をより反映させられるようになるかについて、選挙のあり方を中心に具体的に考えていきます。

初めての方も気楽にご参加ください。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2019年11月2日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「代議制と選挙」
〇講師:武田文彦さん(リンカーンクラブ代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2019/10/14

■節子への挽歌4424:久しぶりに風邪で完全ダウンです

節子

台風は何事もなく通り過ぎました。
しかし、台風通過中にのどの調子が悪くなり、せきが止まらなくなりました。
翌日はサロンでしたので、やめようかと思ったのですが、台風騒動を体験した直後の今こそ、開催するべきだと思い、湯島に出ていきました。
まあ2~3人くらいだと思っていたのですが、なんと10人集まりました。
まだまだ日本も捨てたものではありません。

話し合いも盛り上がり、なかなか終わりません。
結局、いつものように3時間を超えそうでしたが、あまりに私の体調も良くなかったので打ち切らせてもらいました。

そしてつらい思いをしながらなんとか帰宅。
駅まで娘に迎えに来てもらい、入浴もせず、7時に就寝。

ところが発熱までしてきて眠れません。
普段なら絶対見ないだろうラグビーの試合を見てしまいました。

今朝は早く目が覚めたのですが、不調です。
せきは少し収まりましたが、熱は改善されず、思考力がないのはともかく、動きにもなれません。
節子はよく知っていますが、私が一番きらいなのは風邪の状況です。
風邪ほどつらい症状は私にはないのです。

食欲は皆無、気力なし、寝る気もしない。
困ったものです。
寒いのでかなりの厚着をして、パソコンに向かって、サロンの報告などを書きましたが、その反論が届いて、ネット論争に巻き込まれて疲れました。

夕方になりまた熱が出てきました。
もう3日も入浴していないので、これから入浴して寝ることにします。
こういう時は、節子に添い寝してほしいです。
まあ節子が現世にいたころは、添い寝してもらったことは一度もありませんが。もしかしたら今日は出てくるかもしれません。

それにしても風邪はつらいです。
ちなみに普通の風邪は無視して意志で直すのですが、心身が萎えてしまう風邪に時々かかるのです。
この歳になると風邪で死ぬこともあり得ますので、そう楽観はできません。

こんなことを書くと、また遠くから死ぬ前に会いに来ましたというような人がいないとは限らないのですので、念のために言えば、年内は死ぬ予定はありません。
ただこの数日が憂鬱なだけです。

困ったものです。

| | コメント (0)

■第2回リンカーンクラブ研究会の報告

大型台風のため1日予定を遅らせて2回目のリンカーンクラブ研究会を開催しました。
台風直後で交通も不便でしたが10人が集まりました。
テーマは「目指すべき日本の国家像」。

Lc1910

最初に、参加者それぞれから「こんな国にしたい」という話をしてもらい、それも踏まえて、武田さんが考える理想の国家像が語られました。
これは次回から始まる政策や制度の各論のベースになるものです。
さまざまな次元で「こんな国にしたい」というキーワードが出たように思います。
なかには、いろいろと考えると、果たして「国家」は必要なのかと疑問になるという意見もありましたが、その人も現在の国家に関する根本的な問いかけをしているのであって、人が集まってお互いに人間の尊厳を尊重できるような「法の支配」を否定しているわけではないようです。

みんなが自己実現を目指せるように、自由と「自由」と「平等」をどうつないでいくか。
アメとムチの組み合わせが大切。
道徳がなくなったのではないか。もう一度、道徳を取り戻そう(道徳国家)。
国家が決める押しつけ的な国家像はない方がいい。
若者と女性が政治を行う側にきちんと場所を保証される政治体制にしたい。
「平和国家」「民主国家」そして「クリーン国家」が理想。
「住む人の表情が明るく輝いていて世界に向けて、開かれていること」が大切。
「みんなが話し合ってみんなで決めていく国家」。
などいろんな思いが発せられました。

それを受けての武田さんの国家像は実に簡単なものでした。
国民全員が政治の決定に意思表示できる国家です。
これが武田さんのいう「究極的民主主義国家」です。

そして今回は国民投票制度ではなく、国民みんな(たぶん年齢制限はあると思いますが)が選挙に行きたくなる仕組みを作り、選挙に行くことによって、政治への関心を高め、政治に参加する国家をつくろうという提案がありました。
たとえば、選挙で投票に行くと一人1万円もらえるという制度です。

これだけ聞くとむかしの日本の村落政治を思い出してしまいますが、それをうまく活かしていこうというのです。
私のような経済的な貧困層は1万円もらえれば投票に行きますが、お金持ちは1万円ではいかないでしょう。
そのことだけでもこの提案にはいろんな示唆があります。
ちなみに、参加者からは投票を義務化するという提案も最初にありましたが、目指すところは同じようですが、たぶんまったくちがう結果を生むでしょう。

話し合いで感じたのは、みんな「誰かに強制されることなく主体的に生きること」を望んでいるように思いました。
大きな方向はみんな同じように感じました。

国家像の話し合いの後、台風直後だったこともあり、今回の台風で感じたことも最後に少し話しあいました。
私は、15号台風の時の対応や今回の台風への備えを報道で見ていて、そこに国家の本質と今の政治の方向性を感じました。
こうした身近な災害を体験すると、国家の大切さや必要性への認識と同時に、国家の問題点が垣間見えてきます。
そしてそれこそが、国民の政治への関心を高める契機になると思っています。

政治は私たちの日々の生活の安全と安心に深くつながっているのです。

これに関しては、長くなるので報告はやめますが、フェイスブックやブログで少し私見を書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/10/post-8b0b98.html
お時間があればお読みください。

もし関心を持ってくださる人が3人以上いたら、緊急サロンを開催してもいいかなと思っています。
ご希望の方は私にご連絡ください。

 

 

| | コメント (0)

■大型台風襲来で考えたことの一部

大型台風が連続して関東に上陸しています。
とりわけ15号台風の被害は深刻で、今なお生活に苦労している被災者も少なくありません。
そこにさらに大型の19号台風。
千葉の教訓もあるのか、報道の対応も政府の対応も、そして国民の台風も大きく変化したような気がします。
そしてそうしたことに、国家のあり方を考える材料がたくさんあるように思います。

私は今回の台風に関しては、危惧と疑問を強く感じています。

一番残念だったのは、相変わらずこの国は「自己責任」主義国家なのだということです。
自らの命は自分で守ってください、台風の備えは自分でしたくださいと繰り返し叫ぶテレビにおそらくほとんどの人は洗脳されて、前に書いたようにパンとラーメンを買いあさったのでしょう。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/10/post-be31de.html
これはある意味での国家責任の放棄ではないかと思いますが、まだ多くの人は自己責任に疑問を待っていないような気がするのです。

また誤解されそうですので、蛇足を追加すれば、自己責任は当然のことです。
しかし、「自己責任」だけでは生きていけないので、私たちはそれ(自己責任)をベースに社会や国家をつくっているわけです。
自己責任ですべてがうまくいくなら、国家など不要です。
国民の自己責任を言うなら、まずは自ら(政府、行政、マスコミ)の責任を考えろと言いたくなります。

強く感じた疑問は、それにつながります。
これほど強く自己責任を国民に問いながら、政府や行政はどれだけの備えをしているのだろうかという疑問です。
マスコミは、それをほとんど伝えてきませんし、それを政府に問うこともない。
15号台風の千葉の被災に関して、その後もほとんど何も変わっていないのではないかと思えるほど、マスコミは問題を明らかにしていません。

今回、私が一番疑問に思ったのは、城山ダムの放流の件です。
放流がずるずると遅らされていましたが、これだけの大雨予測がかなり前から報道されていたのに、どうして事前にダムを空にしておかなかったのかという疑問です。
すでに台風が近づき雨が降り始めているので、まだ放流時間を議論している。
まだやっていないのであれば、すぐに放流しろよと思いました。
早ければ早いほど貯水能力を高められるし、河川流域の住民にも危険を実感させられるうえに、その気になれば河川決壊の危険個所も探知できるかもしれません。
テレビを観ていて、これほどいらいらしたことはありません。

もう一つの疑問は、河川決壊に関する備えを行政はきちんとやっていなかったのではないかということです。
多摩川の決壊で、すぐ近くの福祉施設やマンションが水浸しになり死者まで出ました。
1週間近く前から今回の大型台風が予想されていたのであれば、河川決壊の可能性はわかっていたはずですから対策は立てられたでしょう。
堤防を補強するのは難しいとしても、そのおそれがあるところは把握できているはずです。
できていないとすれば、先年の常総市の体験を無駄にしているとしか言えません。

もし危険性の高い場所がわかっていたのであれば、その周辺の人に周知するだけではなく、シミュレーションによって1階まで水没しそうなところに関しては、万一に備えての対策をとれたはずではないかという疑問です。
当日、自衛隊などが危険性の高いところに事前に機材を持ち込んでの配備をしていたような様子もテレビで見ましたが、もっと前から準備ができたはずです。
もちろんあまりにも広域ですから、そんなことはできないと言われそうですが、「できない」といったとたんにすべては終わります。

国家の最大の使命は国民の安全を守ることだと思っている私は、今回の大型台風に関しては、政府は国民に危険を煽るのには熱心でしたが自らはあまり熱心に取り組んでいなかったのではないかと思えて仕方ありません。
相変わらずの各地での河川決壊も「数十年に1度の大型台風」だからといって、行政や政府の対応がまたきちんと検討されずに終わってしまっては、また次回も同じことになりかねないのではないか、と危惧しています。

フクシマの原発事故が「想定外の津波」だったというわけのわからない理由で見過ごされたような構造が、今回も繰り返されているような気がします。
国家の目的は何かを、もっとみんな真剣に考えるべきです。

*昨日フェイスブックに投稿しましたが、反論も多かったので、ブログにも載せることにしました。

 

 

 

| | コメント (0)

2019/10/12

■節子への挽歌4423:「非常に強い台風」の襲来

節子

「非常に強い台風」が日本列島に近づいてきていて、数日前からテレビはその話題で持ちきりです、
昨日の夕方にジュンが近くのスーパーに行ったら、パン売り場は見事に空っぽだったそうです。
テレビが盛んに買いだめを煽っているからかもしれません。

午前中はまだ静かでしたが、お昼過ぎから我孫子も風が強くなってきました。
大雨警報や土砂崩れ警報、暴風警報などがすでに発令されています。
わが家は後者の2つに該当します。
すでに避難所は設置されていますが、近くの避難所はわが家よりも低いところにある手賀沼沿いなので、手賀沼の反乱の場合はわが家より条件は悪いです。

問題は強風ですが、わが家は東風も南風ももろぶつかりますんで、いささか心配です。
前回の台風の時でさえ、眠れないほどでしたから、今日は眠れそうもありません。
2階はシャッターがないので、ガラスが破れたらどうしようもありません。
養生シートで補強しておけばよかったといまになって思うのですが、すでに遅しです。

3時半に東京や神奈川、埼玉などに「特別警報」が出されました。
これはめずらしいようですが、昨今の警報やテレビ情報はいささか「脅かし」要素を感じてしまい、素直には受け取れません。
しかし気象データを見ても、今回の台風はかなり大きいことはよくわかります。

あいにく私自身が数日前から喉をやられてしまい、咳き込んで、夜も眠れませんし、今日になって少し発熱までしだしました。
本も読めず、我孫子のプロジェクトの企画も考えられない。
やることがないので、テレビの台風情報を朝からずっと見ています。

そして先ほど気づいたのですが、こうなることは数日前からわかっていたのに、どうしてみんなきちんと準備しないのかということです。
すでに自動車は水没し、水に囲まれた自宅の2階で孤立している人も出ています。
行政や住民たちがやれることはいろいろとあったはずです。
何かが、やはり間違っているとしか思えません。

自分だけで自分を守るのは限界があります。
自己責任や自衛を勧める風潮がどうも気になります。

 

| | コメント (0)

2019/10/11

■台風特需

大型台風襲来で、テレビは昨日から関東地区では明日は外出はやめるようにと呼びかけが続いています。
私も12日に予定していたサロンを1日延ばしましたが、この2日間の、いささか異常なほどのテレビ報道には逆に何か嫌な気がします。
外出までもテレビの指示を仰ぐようになってしまったのかと思うわけです。

でもまあ、そのおかげで、事前に会社やお店が休業しやすくなり、交通機関も運転中止になるというのであれば、それはいいことです。
しかし、テレビが買い物まで煽るのには違和感があります。
そんな「煽り」に乗る人は少ないだろうと思っていました。
ところが、夕方、近くのスーパーに買い物に行った娘からパン売り場の写真が送られてきました。
写真を見て愕然としました。
食料品はほとんどなくなっているそうです。
こんな風景は見たことがありません。

91011

そういえば、今日は外出していたのですが、帰宅の車の中でどこのガソリンスタンドも長い列なのに驚きました。
そしてこの写真。
大昔の、トイレットペーパー騒ぎを思い出します。
日本人は相変わらず貧しい時代を生きているようです。
みんな大きな不安の中で生きているのでしょうか。

ちなみに、わが家は、2~3日は何も食べなくてもどうにかなるだろうという考えなので、特に食料の買いだめはしていません。
物を蓄えるよりも、生きる力をふだんから蓄えるようにしています。

娘も、テレビが「煽りすぎ」と書いていました。
めずらしく娘と意見が一致しましたが、この写真のような売り場の風景を見たら、不安に駆られて、残っている物を買ってしまうのが人の常かもしれません。
まあ私の娘は、決してそんな行動はとらないでしょうが。
しかし、いつかそれが命取りになるかもしれない社会が来るかもしれません。
貧しい社会はますます貧しくなっていくのでしょうか。

 

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4422:娘の義父の告別式

節子

ジュンの連れ合いのお父さんが亡くなりました。
今日は告別式に行きました。
私よりも5歳ほど年上でしたが、見事な最後でした。

10日ほどまえに食事があまりできなくなり、病院に行って、自宅での訪問医療を受けていましたが、自然のままに、逝ったようです。
孫のにこは、亡くなる2日前にお見舞いに行きましたが、手を握って話までしたそうです。

数日、自宅で往診医に診てもらっていましたが、最後に状況が急変した時には、その往診医ではなく一度かかった病院に行きたいと言い、家族もその意向を踏まえて、結局、その翌日、病院で延命治療などすることなく逝ったそうです。
最後まで自らの意思を貫いたと言っていいでしょう。
見事な往生ぶりです。

葬儀は最初は家族関係だけを想定したようですが、生前のスキー仲間や近隣の人が集まって、結局50人くらいの葬儀になりましたが、とてもあたたかな葬儀でした。
スキー仲間が「別れのことば」を述べてくれましたが、それが心にしみるものでした。

最近、コムケア活動のなかで、友人からの提案もあって、私も葬儀に関わる方向で少し考え始めていたのですが、うまいパートナーシップが組めずに事業自体には私は直接かかわらないまま、止まっています。
そんなこともあったので、いつもとは違う目で今回の葬儀に列席させてもらいましたが、節子の時とは違い、葬儀のやりかたもとても改善されているような気がしました。
しかし、その一方で、葬儀の位置づけはあまり変わっていないように思いました。
やはり根本から考えなおす必要があります。

今回、看病、看取り、葬儀の段落などを中心になってやって来た個人の娘さんが、「死は不幸ではないと思いました」と話してくれたのが印象的でした。
この言葉は、長年冠婚葬祭に関わっている佐久間庸和さんがずっと言い続けていることです。
いろいろと考えさせられる葬儀でした。

そしてなによりも、気持ちのいい、葬儀でした。

 

| | コメント (0)

■ちょっと、そしておおいに残念なこと

ちょっと残念なことがありました。

もう1か月以上前の話ですが、新潟の友人から電話がかかってきました。
憤慨している口調で、新潟日報に集英社文庫の新刊の広告が大きく掲載されているというのです。
本は「水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件」で、著者は朝日新聞記者の三浦英之さん。
2008年に発覚したJR東日本が信濃川にある水力発電ダムで契約以上の水を取水していたという事件を現地取材したドキュメンタリです。

新聞広告には、「魚が消えた。土地が死んだ。愛すべき日本一の信濃川を涸れさせたのは、誰だ」と挑発的な文字を大きく出ています。
私も当時の信濃川の実状は見ていますので、これは大袈裟な表現ではありません。

 しかし、電話をくれた友人が怒っている相手は、JR東日本ではなく、集英社と著者であり、さらにはこんなに大きな広告を載せた新潟日報です。

 実はこの本は「新刊」ではありません。
2010年に出版された本を文庫化して復刊したものです。
友人が怒っているのは、なぜ今頃に、ということなのです。

この本は私も前に読んでいます。
問題を明確に整理したいいドキュメンタリです。
しかし、そこで告発された問題や状況は、その後大きく変わってきています。

この事件を契機に、JR東日本は誠実に問題に取り組みだしました。
事件を反省し、改善しただけではなく(それは当然のことですが)、信濃川に鮭を遡上させようという活動に取り組んでいた新潟のNPOとも協力し、ダムに鮭が遡上できる魚道を作り直し、NPOと一緒になって鮭の稚魚放流にも協力。信濃川の状況は大きく変わったのです。

 私は当時、そのNPOの顧問をさせてもらっていて、たまたま面識のあったJR東日本の当時の社長とNPOのコアメンバーとのミーティングをセットさせてもらいました。
私には、JR東日本はとても誠実に対応してくれたと思います。

 友人は、そうしたことを知っているはずの三浦さんがなぜ今頃、この本を復刊したのか、なぜ集英社は復刊したのか、新潟日報がなぜそういうことも知りながら大きな広告を出したのか、ということです。
ちなみに三浦さんも、文庫の中で「今回、文庫化するにあたり、私は再度、JR東日本の「犯罪」を糾弾したいと考えたわけではありません」と書いています。
しかし実際には、JR東日本の「犯罪」を糾弾していることになっているように思います。

私が残念に思うのは、せっかく的確な指摘をし、状況を変える一助になる本を出版した三浦さんが、なぜその後の状況の変化、とりわけJR東日本の誠実な取り組みを取り上げ、企業が社会性を高める動きを支援しなかったのかということです。

糾弾は目的ではなく、それによって状況がよくなるための手段です。
にもかかわらず糾弾で終わってしまい、事態が変わった後になってもそれを言い続ける。
私にはヘイトスピーチにさえ感じられます。
そして新潟日報までもが、それに乗ってしまったのは、とても残念です。

JR東日本の当時の社長は、NPOへの評価も変えてくれました。
企業とNPOとは文化が違いますが、こうした具体的な「事件」を共有することで、それぞれの価値や意味が実感的にわかってくる。
そこからいい意味でのコラボレーションが始まります。
考えややり方は違うとしても、企業もNPOもいずれも、基本的にはみんなが住みやすい社会を目指しているのです。

私は現在の企業にはきわめて否定的ですが、企業の本来的な価値は高く評価していますし、ちょっと経営方針や事業行動を変えるだけで、再び企業は社会的な存在になると確信しています。
その格好の事例が信濃川で展開されだした。それがこのJR東日本のダム問題だったかもしれません。
そうした新しい動きこそ、三浦さんには書いてほしかった。

企業は問題も起こしていますが、たとえば東日本大震災でもたくさんの企業が誠実な社会活動をしています。
個別には語られますが、そうした企業の社会活動が見えてくれば、社会の企業を見る目も変わり、それによって企業そのものが変わるはずだと思うのですが、相変わらず企業を糾弾することばかりが話題になりやすいのがっとても残念です。

ちなみに、私も水が涸れた信濃川を上流まで体験させてもらいました。
それで私もNPOの活動に共感してささやかな協力をさせてもらったわけですが,信濃川にはJR東日本のダムのほかにも東京電力のダムがいくつかあります。
そのダムの取水方法や魚道の見直しなどにも取り組むはずだったのですが、東電とNPOとが一緒に鮭の稚魚を放流する予定を組んだミーティングの一週間後に不幸な3.11が発生しました。
東電の関係者はそこで動けなくなってしまったように思います。

企業にもNPOにも、それぞれ良い面もあれば悪い面もある。
お互いに悪さを補い、良さを活かし合う方向に向かえば、社会はかなり変わるでしょう。
マスコミは、糾弾ばかりに精出さずに、良さを活かし合う動きを支援してほしいと思っています。

 

| | コメント (0)

2019/10/10

■節子への挽歌4421:新米の季節

節子

新米が届きだしました。
この季節にはいろんな人たちが新米を送ってくれます。

新米が届くとお礼の電話をします。
ところがだんだんみんな高齢のためにお米づくりを自分ではやらなくなってきています。
若い世代に代わりにつくってもらったり、あるいは購入したりして、わが家に送ってくれるのです。

台風が近づいているので、畑を見に行きました。
強風で何かが飛び立って近隣の家に迷惑をかけてはいけません。
そのついでに野菜を見たら、トマトやナスやピーマン、そしてピーナツかぼちゃが成っていました。
収穫してきましたが、最近は何の手入れにも行っていませんでした。
こうした体験を重ねると、農作物は天からの授かりものだと思えてきます。
みんなにおすそ分けしなくてはいけないという気分が自然に生まれてきます。

自分のものでもありみんなのものでもあるという、ゲルマン法理の「総有」の感覚がよくわかります。
「総有」は、正確にはちょっと違う意味でしょうが、私は同じ感覚で理解しています。
私のものであって、みんなのもの。
そういう感覚があれば、多くのものを持つことは負担でもあります。

高齢になったために、自分では米づくりできなくなった人は、いずれもちょっとさびしそうでした。
自分で汗して育てた新米だからこそ、私に食べさせたかったのでしょう。
でも誰か育てようと、贈ってきてくださった方のお気持ちはきちんとつたわってきます。
ありがたいことです。

さて私には何ができるでしょうか。

 

| | コメント (0)

2019/10/09

■節子への挽歌4420:激しい気象変化

節子

家の玄関の植木に今年も赤とんぼが止まっています。
年々、赤とんぼは少なくなってきていますが、この木はどうも赤とんぼ好みのようです。
玄関の両側に同じ木があるのですが、なぜか一方の木だけです。

Img_20191009_071106  Img_20191009_071044 

 

 

最近、自然が少しおかしいという話をよく聞きます。
先日も湯島のサロンで、キンモクセイが今年は香りを発していないという話がありました。
たしかにわが家のキンモクセイも沈黙したままです。

友人が太陽も付きもなぜか最近東側に偏ってきている気がするとメールしてきました。
もしそれが本当ならば、大変です。
しかし最近の異常気象続きは「異常」とは言えないような気がします。
つまり自然状況が大きく変わってきているのです。

それが工業化による二酸化炭素によるものかどうかに関しては私はかなり否定的ですし、人為活動の生であるかに関しても疑問を持っていますが、気象状況が激変しつつあることは否定しがたいと思っています。
おそらく地球そのものが、ある意味での変化の渦中にあるのでしょう。

明後日ころからまた強い台風が日本にやってきそうです。
前回の台風による被害からまだ千葉県は回復していませんが、それよりも大きな台風だと言われています。

気のせいかもしれませんが、節子がいなくなってから、気象の変化は激しくなってきたような気がします。
それが節子の不在と関係あるなどとはもちろん思っていませんが、節子がいたころはまだどこかのんびりしたところがあったようにも思えます。

明日は台風に備えて、庭の整理をしないといけません。

 

 

| | コメント (0)

■10月茶色の朝サロン報告

茶色の朝シリーズのサロンを、参加者は多かろうと少なかろうと毎月、定期的(当面は曜日は不定)に開催することにしましたが、今月は前回に引き続き、「最近、ちょっと気になることから政治を考える」をテーマに、自由に話し合うスタイルにしました。

男性8人女性2人の参加者でした。
男性が多くなるとどうしても話は抽象論や制度論に向かいがちです。
男性の考える政治と女性の考える政治とはどうもかなり違いがあるようです。

最初に参加者それぞれから最近気になることを出してもらいました。
食の話やメディアの話、原発の話もあれば、今年はキンモクセイの気配がないという話、香港や韓国の若者のような動きが日本ではなぜ起きないのか、さらには名古屋の表現の不自由展の話、憲法の話から消費増税、働き方改革、ゆでガエルや教育問題、などさまざまですが、みんなどこかでつながっているような気がします。
しかし、どうもみんなあまり切実感はないような気もしました。
いまの時代はみんな「食える」からという人もいました。
しかし「食えない人」も増えてきているような気もしますが。

批判や愚痴だけではなく、どうしたらこの状況を変えられるかという方向での議論も時々でましたが、なかなか名案は出てきませんでした。
こういう話し合いの場があるのはいいという意見もありましたが、ここに集まる人と集まらない人とは別の世界に生きているというような指摘もありましたし、最近は「当事者でないのにそんなことを言うな」という形での発言の押さえつけが増えていると聞くという人もいました。

要は社会の分断が広がっているということでしょうか。
そうした流れに抗して、異質な人をどう巻き込んでいくか、あるいは異質な場にどう入っていくかが大切なのかもしれません。

茶色の朝に関して言えば、もう真っ黒かもしれないという声もありましたが、まだこうした話し合いの場が許されているのですから希望はあります。
でも押しなべて、参加者の多くが社会は茶色一色の方向に向かっていると感じているように思います。
ではどうしたらいいか。

この茶色の朝サロン(BMSサロンと呼ぶことにします)は、急がずにゆっくりと、無駄な集まりだと指摘されようが、参加者がゼロになるまで継続することにします。
もちろんゼロを目指すのではなく、参加者が多すぎて中止にすることを目指しますが。

報告は次回からはもっと簡単にします。
写真も、参加者はマスクをしていないので、画素を粗くしてみました。

11月は、昼間働いている人が参加しやすいように、平日の夜(117日午後6時半~8時半)に開催する予定です。
また近づいたら改めてご案内します。

また誰かこんなテーマで開きたいという人がいたら、その人を中心にサロンしてもらうことも大歓迎です。
その気になったらご連絡ください。
基本的には私も参加します。

茶色の朝がくるか私がダウンするまで、BMSサロンは継続を目指します。

19102

| | コメント (0)

2019/10/08

■節子への挽歌4419:死のイメージ

節子

今日は抗がん治療をしている友人からの相談です。
一人暮らしのため相談は私にやってきます。

今回はオブジーボを使用するかどうか迷っているのです。
私には適切なアドバイスをする能力はありませんが、節子と一緒に抗がん治療に取り組んでいたころを思い出すと、彼の迷いや悩みがよくわかります。

いや「悩み」とか「迷い」というのとは少し違うかもしれません。
実はすでに答えを決めた上で、電話をしてくるのです。
私はただ、それを肯定すればいいわけです。
節子と一緒に考えていた頃の私も節子もそうでした。

一緒に問題を共有することが大切なのです。
それにもし結果が思わしくなかったとしても、自分だけを責めずに済みます。
私を恨めばいいのです。
ですから私は、彼と一緒に迷いながら考えるわけです。

彼は私の小学校時代の同級生ですから、お互いいつ何が起こってもおかしくありません。
もしかしたら、関係は逆転するかもしれません。
まあ今は彼ががんなので、私が相談を受ける役割を果たしているだけです。
こういう友人が、いま数名します。

私もそうですが、死が身近になると死は怖くなくなります。
ただできれば死を先に延ばしたいと思うのは自然です。
ただ苦痛に見舞われるとか生きるのが面倒だというのであればともかく、不都合もなく生きているのであれば、まあ「死を避ける」ことこそが生きる意味にもなってきます。
生きるために生きるという言い方が当てはまるかもしれません。
生きることは手段ではなく、目的なのです。

若いときにはこんなことは考えもしなかったのですが、最近はそんなことも納得できるようになりました。
生きることが少しわかってきたと言えるかもしれません。
たぶん完全にわかるのは、死の直前でしょう。
まあそれも楽しみではありますが、わかったところでどういう意味があるかはわかりません。
ただきっとそれは幸せにつながるのではないかと思っています。

ただしこれはすべて自然に死を迎えられる時の話です。
突然の事故死の場合は、まだイメージできずにいます。

 

| | コメント (0)

■CWSサロン「核時代に懸ける人類生存の橋」のご案内

10月7日の毎日新聞夕刊に、本間照光さんが11月のフランシスコ・ローマ法王の来日に寄せて、「核時代に懸ける人類生存の橋」と題して寄稿をされています。
コピーを添付しますので、ぜひお読みください。

寄稿文の最後に本間さんはこう書いています。

「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」(日本国憲法)。これは戦争の放棄、戦力および交戦権の否認」(同9条)へと続く。法王が見ているのも同じ方向だ。これを国の内外に共有してこそ、核時代に人類生存の橋が懸けられる。

フランシスコ法王は今回、長崎と広島を訪問し、東京では東日本大震災の被災者や福島原発事故の避難者たちの集まりにも参加すると報道されています。
フランシスコ法王は「人類は広島、長崎から何も学んでいない」と考えているようですが、人類どころか、ヒロシマ、ナガサキを直接体験した私たち日本国民でさえ、核兵器禁止条約さえ採択せずに、軍縮どころか軍拡に精出し、核の傘のもとで「金銭という神」への信仰を強めている安倍政権を支持しているありさまです。

法王の来日に合わせたさまざまなイベントも企画され、すでにその一部は動きだしていますが、せっかくの機会をイベントで終わらせるのではなく、核問題や宗教の問題と向き合う時間を持つ機会にしたいと思っていた矢先の本間さんの論考に出会えたので、早速に本間さんにサロンをお願いしました。
本間さんもぜひやろうと賛同してくださいました。

サロンでは、最初に参加者みなさんから本間さんの寄稿文への感想を話していただいた後、本間さんから問題意識や思いを語ってもらい、そこから自由な話し合いができればと思っています。
ぜひ多くの人に参加していただきたいと思います。

〇日時:2019年10月20日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「核時代に懸ける人類生存の橋」
〇講師:本間照光さん(青山学院大学名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

191007

| | コメント (0)

■CWSサロン「破傷風菌に「われ」はあるか」報告

細菌学者の益田昭吾さんによる講義+ゼミ型サロンを久しぶりに開催しました。
今回のテーマは、『破傷風菌に「われ」はあるか』。

Saikin19

最初に益田さんは新聞の活字のコピーを使って文字の「図」と「地」の関係を説明し,地あっての図であることを示してくれました。
つまり、自己(われ)は非自己(環境)あってこその自己なのです。
環境もまた自分であるという「環世界」観もありますが、環境と自分とは切り離せない関係なのです。

そこから破傷風菌の話になるのですが、破傷風菌はなぜ自分にとっての環境に見える人をなぜ殺すのかという話になっていきます。
ここで自己(われ)と環境とをどうとらえるかが問題になります。

難しい話はすべて省略してしまえば、破傷風菌が持つ毒素(人にとっての毒素)は破傷風菌の中にいるプラスミドが持っていて、プラスミドにとっての直接の環境は破傷風菌で、プラスミドと破傷風菌はむしろ相互に支え合っている関係にある。
つまり「環境」とは重層的な構造を持っています。
そして、「自己」の中にもまた、自己と環境の構造が重層的に存在している。
最近、ニュースで話題になった「たまねぎ」を思わせます。

プラスミドは自分にとっての環境である破傷風菌には悪さはせずに、破傷風菌にとっての直接の環境ともいうべき生物に対しては、毒素を作動させ、破傷風菌の宿主である人間を「善意(悪意なく)」で殺してしまうわけです。
こうして、直接の環境とは支え合いの関係を維持しながらも、しかし間接の環境には悪さをしてしまうということも起こるわけです。
しかし、環境が重層的につながっているのであれば、冒頭の「図」と「地」の関係のように、たとえ間接的な環境であろうと、環境を壊してしまえば、いつかは自己(われ)も壊れてしまう。

これはまさに人間が抱えている地球環境問題にも当てはまります。
食欲のために飽食を重ねて、食欲を支える身体を糖尿病にしてしまうのも、同じパターンだと益田さんは言います。
つまり、自己(われ)と環境は幾重にも重なっている同心円構造になっている。
問題はどこまでを「われ(自己)」と捉え、どこからを「環境(非自己)」と捉えるかです。
そして、その同心円を掘り下げていったとき、その中心にあるのはなんのなのか。
そこから最後は「自殺」の問題にまで話は行きました。

今回のサロンのタイトルに関していえば、益田さんのメッセージは、破傷風菌に「われ」はあるかを考えていくと「われ」(自己)とはなにかという思考の地平が開け、世界が違って見えてくる、そして環境問題や健康問題も違った見え方がしてくる(ということは違った対処法が見えてくる)ということかなと私は受けとけました。
益田教授からは叱られるかもしれませんが。

生命はすべて支え合う形でつながっていると考えている私にとっては、いつもながら示唆に富む話でしたが、1回のサロンでは消化不良だったような気がします。
益田さんの以前のサロンの記録映像が次にありますので、関心のある方はご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=OxIbOe36RkM
また益田さんの一般向けの著作もちくま新書で2冊出ています(「病原体はどう生きているか」「病原体から見た人間」)。

もう少し同心円の中心を掘り下げる続編サロンを、もし参加希望者が3人以上いたら、益田さんにお願いしようかと思います。
益田さんがもし引き受けてくだされば、ですが。
希望者がいたら、私宛にご連絡ください。

 

 

 

| | コメント (0)

2019/10/07

■節子への挽歌4418:幸せな死

節子

今度は深夜に電話でした。
娘の義父が亡くなりました。

病院に搬送後、一時、回復した感じでしたが、家族などみんなに会ったせいか、夜になり状況が変わったようです。
最後の孫であるにこにも会えて、笑ってくれたそうです。
家族に囲まれ、10日前までは元気に暮らしていたようですから、幸せな死だったと思います。
私も、こういう死を迎えたいと思います。

私にとっては、死は生きることの一時点でしかありません。
物理的に生きていても、会うこともないし、滅多に思い出しもしない友人知人もいますが、そういう人との違いさえ感じません。
会わなくなった人と死者との違いは、私にはほとんどありません。
ですから、「死者」に再会することさえあるわけです。

それに、死後の生も否定はしていませんので、他者の死も平常心で受け入れられます。
自らの死は、これもまたたぶん大丈夫でしょう。

ただ、一緒に日常を過ごしている家族の死にはたぶんまだ立ち向かえないでしょう。
節子の場合が、そうでした。
しかし、節子の死によって、私の死に関する考えや態度が変わったのかもしれません。
12年間、死は私の隣にずっとありましたから。

ちなみに、死にこころ乱さないためには、直接に会う機会を減らしていくことかもしれません。

死者のご冥福を祈ります。

 

| | コメント (0)

2019/10/06

■節子への挽歌4417:早朝の電話

節子

朝の7時前に電話が鳴りました。
早朝の電話はセールスではなく、あまりよくない電話の心配があります。

やはりそうでした。
救急車で病院に搬送されたという電話でした。
幸いにその後、小康を得ましたが、娘たちは病院に行きました。
まだ気は許せませんが。

というような電話をいくつか抱えています。
まあこの歳になると仕方がないと言えば仕方がないのですが。

しかし深夜や早朝の電話はきらいです。

 

| | コメント (0)

2019/10/05

■節子への挽歌4416:引き落としができないと連絡が来ました

節子

また引き落としができないとガス会社からハガキが来ました。
預金残高には最近気を付けるようにしていますが、絶対額が不足してきたのでしょうか。
困ったものです。

しかし、ガス代金はどこから振り込んでいるのかわかりません。
どうも最近の引き落としの仕組みはわからない。
といっても、カードは2つしかありませんし、銀行口座も最近は2つしかありません。
昨年、税金を払うお金が無くなって困っていたら、忘れていた口座が出てきたことがありますが、もうそういう幸運には恵まれないでしょう。

実は今年の春に、ちょっと余分なお金を使ってしまったので(自分のためではありません)、残高が不足してしまっているのかもしれませんが、それがどの口座なのかわからないのです。
幸いに、大した金額ではないので、今回は苦労せずに振り込めますが、問題は残高不足になっている預金口座です。
節子がいたら、節子がすべてやってくれるのですが、いまはもう私がやらないといけません。
お金はほんとうにやっかいです。
早くお金がない社会にならないものでしょうか。

節子もかなり金銭感覚はおかしかったですし、家計簿さえつけられなかった。
それでも私よりはましでした。
私は経済感覚はすぐれているはずですが、お金は苦手です。
お金には本当の経済価値はないことを知っているからです。

それでもお金で困ることはあります。
料金をきちんと払わないとガスを止められてしまう。
まあ一度、体験したい気もしますが。

それで私の銀行口座をネットで調べようとしたのです、なんと65歳未満しかネットでは調べられないことがわかりました。
それでちょっとムッとしています。
高齢になるとわざわざ銀行窓口やATMなどに行くのは面倒です。
困ったものです。

しかし、今回いろいろと調べてみて、使っていないカードで年会費をとられていたり、気づかなかったことで会費を取られていたりしていることが見つかりました。
カード払いは、やはり気づかないままに支払いを毎月してしまったりしていることもあって注意しなければいけません。
やはり65歳を超えたらネットバンキングは向いていないのかもしれません。

しかし、問題は引落しできないのはガスだけではないでしょう。
それが心配です。

 

| | コメント (0)

2019/10/04

■節子への挽歌4415:朝のさびしさ

節子

朝起きたときに、節子がいないのが、私がどうもすっきりしないことの理由なのかもしれないと今朝気づきました。
先日、那須に行ったときには、節子はいなかったけれども朝目覚めたときに、一緒に一日を過ごす仲間がいたので、目覚めがよかったのかもしれません。
自宅での朝も、同居している娘がいるのですが、娘はやはりちょっと違う存在です。
それに自宅には節子がいるはずなのに、姿も見えず声のやり取りもできない。
自宅には、やはり伴侶がいないと何かが欠けている気分で、ともかくさびしい。
外出先の朝は、節子は自宅にいると思えるのでさびしさはないのです。

自宅での私の朝は、仏壇に水を供え、節子に挨拶してから灯明をつけて線香をあげて、般若心経を唱えるところから始まります。
それまでの時間が、いつもどうもモヤモヤした不安感があるのです。
その朝のお勤めが終われば、寂しさも消えて動き出せるのですが。

朝のさびしさは節子がいなくなってからずっと変わることはありません。
伴侶を喪って10年もたてば、気持ちは変わるだろうと思う人もいるでしょうが、気持ちが変われる人はたぶん1~2年で変われるのでしょう。
逆に1~2年で変われなければ、たぶんもう変われない。
私の小学校の時の同級生は、夫を亡くしてもう20年ですが、今もって全く気持ちは変わらないそうです。
時が止まってしまった。
私も同じような気持ちです。

そうした「さびしさ」に、さらに何かが加わると、もう気力がなえてしまう。
今日はまた大きく気持ちの萎えることがありました。
試練の嵐は、なかなか吹き止みません。

困ったものです。

 

| | コメント (0)

■二酸化炭素による地球温暖化に関する私の変節

国連気候行動サミットで温室効果ガス排出問題に対するグレタさんのスピーチに関して、反省を含めて、やはり書いておくことにしました。

私は、二酸化炭素による温室効果が地球の温暖化を進めていると、つい最近まで全く信じていませんでした。
いまもちょっと懐疑的です。
そもそも「温暖化」という捉え方も、正直まだ納得はしていません。

この問題では、10年以上前に兄と激しい議論をしたため、兄はまだ私を非難しているようで、先日、一緒に食事をしたときにも、それとなく嫌味を言われました。
ゴア元副大統領のドキュメンタリー「不都合の真実」は2本とも見ていますが、どうもこれもわかりやすすぎて疑いたくなります。

地球温暖化説への否定的意見は、このブログでも何回か書いていますが、グレタさんの話に影響されたわけではありませんが、もしかしたら私が間違いだったと最近思い直しだしています。
少なくとも、絶対否定はしないように「変節」しました。
兄にはまだ謝ってはいませんが。

私の反対の理由は2つありました。
まず二酸化炭素犯人説が、原発推進を背景に政財界の人たちからまことしやかに強調され出したことへの不信感です。
地球環境問題が高まる契機になったローマクラブの「成長の限界」は話題になりだしてからすぐ読んで感動し、以来それなりに生活態度も改め関係情報も集めてきました。
エイモリー・ロビンスの「ソフトエネルギー・パス」やシューマッハーの中間技術などには共感し、その頃はまだ会社にいたので、調査して情報を社内にも流しました。
1980年代の動きが、もしそのまま加速されていたら、今頃日本は自然エネルギー活用先進国になっていたでしょう。

しかし、時間がたつにつれて、むしろ持続可能な発展とか開発とか、結局は経済成長と植民地支配が隠された形で進む勢いはむしろ加速され、話もだんだんややこしくなり、少しずつ疑問が生まれだしました。
日本でも「二酸化炭素汚染しない」原子力発電はクリーンだと言われる状況に向かい、そのなかで3.11福島事故が起きました。
つまり、二酸化炭素地球温暖化論は、さらなる経済成長のための目くらましの言説ではないかと思ってしまったのです。

もう一つは「温暖化」という捉え方への疑問でした。
温暖化ではなく、自然が乱れだし、地球が活性化しだしたという捉え方がいいのではないかと思っていたのです。
過剰すぎるほど人口は急増していますが、地球は人間の所作ごときではそう変わらないのではないか。
むしろ地質学、あるいは地球生命論的に、いま大きな激変期がはじまったと捉えるべきではないかと考えていたのです。
温暖化はその一つの現象でしかない。
最近起こっている現象は、むしろそう捉えると私には納得できます。
もしそうなら問題の捉え方を根本から変えなければいけません。

以上の2点で、私は二酸化炭素原因説や地球温暖化説に異論を持っていたのです。
しかし、最近もしかしたら地球は温暖化していて、その大きな一因は人間による二酸化炭素の過剰な生産かもしれないと思い直したくなってきたのです。
それに、もしそれが間違いや経済成長主義者による脅しだとしても、グレタさんの言うように、何もしないよりはいいのではないか、とも考えました。
そのためには、疑うよりも、まずは信ずるのもいいかもしれない。
そしてつい少し前に「変節」しました。

AIにとっては、地球温暖化も気候異常化も、大した問題ではないばかりか、好都合な話でしょう。
しかし、人間であればそうも言っていられません。

先日の那須のサロンで、50年前に今西錦二さんが言っていた「人類は22世紀まではもたんような気もするんやけどな」という言葉や、私の意見は時々ガラッと反転してしまうという話を話題にしたこともあって、それに関してこんな記事を書いてしまいました。

いまも私がパソコンに向かっている部屋の外では、強風が大きな声で吠えている感じです。
自然に抗って生きるのは、私の性分ではありませんが、さらに自粛したいと思います。

 

| | コメント (0)

■第5回万葉集サロン「柿本人麿の〈われ〉の喪失‐人麿の詩のかたち「泣血哀慟歌」を読む」のご案内

第4回の万葉集サロンは、人麿の近江荒都歌を中心に、滅んだ人々の〈「われ」の喪失〉を話題にしましたが、今回は、それを踏まえて、もう少し堀り下げていくことになりました。
また、前回、前半で話題になった万葉仮名に関しても、ちょっとだけ補講があるようです。今回はあまり深入りしないようにしますが。

升田さんからのメッセージです。

前回の近江荒都歌の「亡者たちの〈われ〉の喪失」は消化不良のところがありましたが、それを補う意味も含めて、「人麿の〈われ〉の喪失」を通称「泣血哀慟歌」(妻を失った時の挽歌(巻二ー207212))を通して探っていきます。
そのために、大伴家持の亡妻歌(巻三ー466499)との比較をしてみます。
その上で、人麿の詩性はどこから来るのか、古代和歌がどのように変化して行くのかを、「われ」の視点から考えてみたいと思います。

なお、サロンで話題に上っている万葉表記論(万葉仮名)は、底無し沼のように引きずり込まれる魅力ある課題ですが一朝一夕にはならず・・・それを考えるヒントを一つだけプリントにしておきます。

以上が升田さんからのメッセージです。

前回も話題になった「人麿の詩性」も話題になるようです
いつも内容密度が濃くて、私にはついていくのが大変なので、今回は、あまり内容を欲張らずに、できるだけ対話型も増やしながら、私にもわかるようにとお願いしています。
ですから、初めての方も大歓迎です。

ともかく万葉集は面白い世界ですので、それをちょっとずつ味わえればと思います。
お気軽にご参加ください。

〇日時:2019年11月9日(土曜日)午後1時半~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「柿本人麿の〈われ〉の喪失‐人麿の詩のかたち「泣血哀慟歌」を読む」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

| | コメント (0)

■贈与の暴力性

湯島のサロンでは「贈与」をテーマにしたサロンも何回か行ってきましたが、基本的には「贈与」に好意的なイメージをおきながらサロンしてきました。
ところが、むしろ問題は「贈与の暴力性」かもしれないと思いださせたのは、今回の関西電力の事件でした。

事件の概要は改めて書く必要はないと思いますが、高浜町の元助役が関西電力の経営幹部に巨額な「贈与」を行い、その贈与を断りきれずに関西電力の経営者たちが元助役に使役されてきたという事件です。

その事件の釈明を求められての関西電力経営陣の記者会見は、こうしてみんな人間を辞めていくのだろうなと思わせるものでした。
彼らの発言は、自らを失った抜け殻の人間もどきの発言でしかありませんでした。
自分たちが何をやったのかがわかっていないのです。
私には同情を禁じ得ませんでした。

たとえば、「金品を渡された者は受け取る理由はないと考え、返却を申し出たが、『ワシを軽く見るなよ』などと激高されてしまった」、と彼らは言っています。
つまり彼らは元助役を重く見ていたわけです。
だから家族の安全までも驚かされながらも、彼らを裏切ることができないほど、元助役グループに服従していたわけです。

私の判断基準からすれば、明らかな「ゾンビ族」です。
昨今の日本ではゾンビ族はめずらしい存在ではないので、驚きはしませんが。

たった数億円、時には数十万円のお金で自分を売ってしまうほど人間は弱いのでしょうか。
たぶん弱いのです。
その理由を、マルセル・モースやモーリス・ゴドリエは、その著書で解き明かしています。
私はしかし、今まで「贈与論」や「贈与の謎」を、暴力の持つそうした暴力性を逆にうまく活かしてきたし、さらにこれから活かしていけるというメッセージと受け止めてきました。
しかし、どうもそれは考え直す必要がありそうです。

モーリス・ゴドリエは「贈与の謎」で、暴力ほどではないが贈与もまた階層制の中での地位の変更に力をもっていると指摘した後で、「この世紀未の状況にあって、今や再び、今度は社会問題の解決の援助手段として気前のよい贈与、《返報なき》贈与が必須とされている」と20世紀末に書いています。
さらに、モースが贈与は「それを受けとる人々の心を傷つける」と判断していたが、現在では隣人愛組織は数を増している」と書いていることにも注目しています。
それは、贈与の脱暴力性を示唆しています。

そもそも贈与の語源につながるギフト(gift)という言葉には、「贈り物」という意味に合わせて「毒」という意味もあります。
そしてモースもまた、「贈与」には平和性と暴力性とが混ざり合っていると警告していました。
「贈ること、贈られた物をもらうことは、贈る側にとっても、もらう側にとっても賭けなのだ。そのような危険な賭けを通じて、集団どうしは「つきあう」ことになる」とモースは書いていますが、常に「危険」があるからこそ平和があるという私の考えから言えば、とても納得できます。
しかし、暴力性が強くなり、人間を過剰に貶めるようなことがあれば、話は別です。

今回の関西電力に象徴されている現象は、たぶんもう私のすぐ隣にまで展開されているのでしょう。
いつ私が感染するかもしれません。

私は一方的な贈与、つまり交換と切り離された贈与を素直に受ける生き方を選んでいます。
理屈っぽくいえば、お布施の論理のように、贈与を受け取ることこそが相手への私の贈与行為と考えているのです。
そして自分では背負いきれない贈与は、ていねいにお断りしているつもりです。
しかし、とはいうものの、贈与が生み出す義務意識から完全に解放されているわけでもありません。

もちろん私に贈与してくれる人たちは、元助役のような悪意は微塵も持っていません。
にもかかわらず、積み重なるとなぜか負担感が生まれてしまう。
これはどうしようもありません。
それが人間の弱味であり、社会を生み出す力なのでしょう。

ゾンビにならないように、言行不一致にならないように、自分を生きなければいけません。

 

| | コメント (0)

2019/10/03

■説Kへの挽歌4414:安楽死

節子

相変わらず不思議な気持ちでの時間を過ごしています。
それに最近は、私ではありませんが、周辺に死の気配がかなり色濃くあります。
死は決して見えない世界の話ではないのです。

昨日もまた遺産を預けたいという電話がありましたが、預けられても困ります。
お金ほど人にとっては有害なものはありません。
かくいう私でも、お金にはおそらく目がくらむでしょう。
丁寧に辞退しましたが、当人も困っているかもしれません。
お金はないのもありすぎるのも困ります。

突然死の可能性を医師から宣告されている友人もいます。
入退院を繰り返している友人もいる。
医師からあと1か月と宣告されている知人もいます。
すでに医師からは何回も見放されながらも奇跡的に生きている友人もいます。
私自身の年齢のせいなのでしょうが、周辺にはそうした話題には事欠きません。

しかし若者の安楽死となると衝撃的な話題です。
私の若い友人が、いま女性と付き合いだしているそうなのですが、2人をつなげているのは、最後は一緒に安楽死で人生を終えようという合意なのだそうです。
これだけでは、ロマンティックなラブストリーに聞こえますが、よくよく聞いてみるとどうもそうでもないのです。
2人とも生きることにそう未練を持っていないようで、安楽死も日本で難しければスイスに行ってもというような考えで、そんな先を考えているわけではないというのです。

その話を聴いた時にはショックでした。
なぜこんな自由で幸せそうな若者がそんなことを考えるのか。
節子が一生懸命に生きようとしているまさにその時に、ある友人からいま自殺しようとしていると電話があった時のことを思い出します。
ちなみの祖の若者は自殺は思いとどまった今も元気です。

安楽死は私には共感できません。
しかしつい先日にも安楽死の話をききました。
私と同世代の女性から、安楽死を日本でも認められるような活動をしているので協力してくれないかといわれたのです。
即座にお断りしましたので、なぜ彼女がそういう活動をしているのか聞けませんでした。
まさかその直後に、安楽死したという若者に会うとは思ってもいませんでした。
今度会ったら聞いてみようと思いますが、安楽死は決して一部の人だけの関心事ではないようです。

節子は、さほど苦しむことなく最期を迎えましたので、安楽死などは想像したこともありませんでしたが、もし節子が苦しい数日を過ごしたのであれば私の意見も変わっていたかもしれません。
これまでは「安楽死」は、私には論外の課題でしたが、少し考えてみようと思いだしています。

死に関する本も何冊か読みましたが、私にはどれも退屈でした。
いま、死の気配を感ずるようになると、私よりも若い世代の書いた死の話は現実性を全く感じません。
自然に任せれば、死とは本来、安楽なのではないかと思いだしています。
ですから「安楽死」を望むことは、生き続けることを望むことなのです。

「安楽死」願望の若者とはいつかゆっくり話したい気分です。

 

| | コメント (0)

■権力は腐敗などしません

関西電力、全日本テコンドー協会などがマスコミをにぎわせています。
私には、いずれも「事件」ではなく「日常」「常態」にしか思えないので、そんな話を今さら大仰に取り上げたり、騒いだりしている世間のほうにこそ驚きを感じます。

そもそも報道関係者やその世界の人には周知のことでしょうし、関西電力に限らずすべての電力会社やテコンドー協会に限らずすべてのスポーツ団体に多かれ少なかれ存在していることはこの数年で明らかになってきているはずです。
などというと、反発されそうですので、個別問題への言及はやめて一般論を書きます。

『自由の歴史』を著したイギリスの歴史家ジョン・アクトンは、「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」と言いました。
いまでもよく「権力は腐敗する」という言葉はよく聞きます。
私は、この言葉にみんなだまされているように思っています。

権力は腐敗などせず、どんどん強固になっていきます。
権力は腐敗するのではなく、腐敗が権力を生み出すのです。
発想を変えなければいけません。

権力を持つと精神が堕落し、悪徳に抵抗を感じなくなるということが、権力は腐敗する意味だとされますが、これも逆だと言えば、もう少しわかりやすいと思います。
悪徳にマヒし、精神が堕落することから権力が生まれていくと考えればそう違和感はないでしょう。
話題になっている「事件」の関係者は、たぶん自らが腐敗しているなどとは思っていなかったでしょう。
悪徳にマヒし、精神は堕落、というよりも、失っていたのです。
だからどうして自分が責められているか理解できないでいるでしょう。

今回の関電事件は、そうしたことをとてもわかりやすく教えてくれます。
腐敗がなければ権力は生まれません。
ではなぜ腐敗が是認されるのか。
それは、人は腐敗に惹かれるからではないかと思います。
そして、多くの人は権力を望み、それが無理ならそのおこぼれに預かろうと思う。
「おこぼれ」は、多くの場合、割には合わないはずですが、罪悪感をあまり持たずに済むところで、人はだまされてしまう。

権力は腐敗しません。
腐敗はさらに強固になり増殖していく。
その汚染から身を守るのは権力に近づかないことかもしれません。
決して黄金の入った菓子箱などを欲しいなどと思わないことです。

しかし、うっかり受け取ってしまうことがあるのが現代です。
「贈与」の恐ろしさを、改めて考えなければいけません。

 

| | コメント (0)

2019/10/02

■幽界との邂逅

昨日と一昨日、那須に出かけていました。
那須に半分住んでいる友人が、今年も**遊民会議の仲間たちと一緒に私を那須に招待してくれたのです。
那須は季節外れの暑さでしたが、いま思えば、それは参加した遊民たちの異常な霊力のせいだったかもしれません。

そもそもそんな現象を起こせる**遊民会議とは何でしょうか。
一見、自由に生きている若者たち(年齢とは無縁)が緩やかにつながっているグループのようですが、私にはまだ正体が見えないコミュニティです。
時折、一人は大きな声を叫びますし、一人は踊り出す。
いまはもう使用していない吊り橋の上で踊っていたので、後ろから歩いていく私などは振り落とされそうでした。

私のように、心身共に自由ではない老人は参加資格はないでしょうが、なぜか付き合ってもらえていますので、感謝していました。
ちなみに、今回の那須の集まりを呼びかけた友人も**遊民会議のメンバーのようです。

今回は昨年のように完全に道端にある露天の混浴露天風呂(私も希望したサルと人間の混浴です)には行けませんでしたが、廃墟に近いと私には思えたホテルの廃墟に近い露天温泉に入ってきました。
後ろの岩の岸壁から温泉が流れ出している、実に自然になじんだ、しかし人間から見るとあまり清潔とは言えないお風呂でした。

ちなみに宿泊は友人の別荘です。
遊民たちはみんな調理がうまくて、専属シェフ付の感じで、毎回、食べたこともないような素晴らしい料理でした。
食べていると次から次へと料理が出てくるのです。

ともかく**遊民たちは自活力がすごいのです。

しかし、とても知的で文化的な2日を過ごさせてもらいました。
ところが、今日になって驚愕な真実に気付いたのです。

その別荘の近くに、ホーンテッドマンションと言われている家があり、その敷地内に入ると2度と戻って来られないと別荘主が繰り返し私の話すのです。
そういわれると行きたくなるのは人の常。
それに、禁止条項は破られるためにありますし、行くなと言うのは行けと言うメッセージです。

早朝早く私一人で、そこに行き、敷地に入ってしまいました。
特に結界は感ずることなく、素直に入れました。
まあそれが閉じ込めの常道ですが。

建物に近づき上を見たら2階の角の部屋に明かりがついていました。
写真を撮りましたが、周辺には木やツタが繁っていてあまり良く見えません。
はっきりと撮影できる場所を探しましたがなかなか見つからない。

Img_20191001_074452

外から階段で上がれそうでしたが、途中で崩れそうでしたし、敷地内はともかく家屋に無断侵入すると、近くに住んでいる友人に迷惑がかかりそうなので諦めて、周辺を回っていたら、道を誰かが歩いてきたので、見つかったらまずいと思い、写真を撮るのをやめて道に出ようとしました。
幸いに道にいたのは、一緒に那須にやって来た遊民の一人でした。
そして彼は突然私の哲学的な問いを浴びせました。
それで、明かりの話をする間もなく、別荘に引き戻されました。

戻ってみんなに明かりがあったと話しましたが、だれも信用せずに、また誰も確かめに行こうとも言いませんでした。
普通は、確かめに行こうと言うと思いませんか。
友人は、どうして私が戻ってこられたかばかり話していました。
そして、そのまま朝食タイムでいつの間にか明りの話は忘れてしまいました。

なにか心に引っ掛かる謎を感じていました。

今日になって、その訳が分かりました。
**遊民たちは、ホーンテッドマンションに住んでいる幽霊の仲間で、私を仲間にしようとしていたのです。
そう考えるとすべてのことが納得できます。

明かりの様子をあまり詳しく調べられると都合が悪いので、明確な証拠写真を私が撮る前に、私を引き戻しにやって来た。
今回の那須の集まりは、そもそも私を幽界に引き込む審査会で、幸か不幸か私は及第できなかったので、元に戻したのでしょう。
幽界の人たちは優しいのでしょう。

そういえば、今回入浴した温泉も、それを管理している旅館も、冷静に考えれば、この世のものではない雰囲気がありました。
おそらく数十年前に朽ち果てて、廃墟になっているのです。
そういえば、更衣室は電気も付かず、トイレの水は出ませんでした。
もちろん床は底が抜けそうで、入口に一人だけ男性がいて、入浴料を受け取ったり話をしたりしていましたが、いまから考えるとどこかおかしい雰囲気でした。
脚はありましたが、話がどうもつじつまが合わない気がしました。
しかし、一緒に行った4人の遊民たちは、みんな納得して、私をなんとなく説得していたような気もします。
みんな仲間だったに違いありません。

そういえば、昨日もその前の日も、別の友人からメールや留守電が届いていました。
内容は、「連絡がつかないが死んでいるんじゃないか」という内容でした。
彼はかつて臨死体験をし、いままた死の近くで生きている人です。
彼には私の危機が見えていたのかもしれません。

幽界も一度体験したいので、仮入会させてもらえればよかったのですが、残念ながらまだ資格がないようで、無事、昨夜、帰宅できました。

今日は謎解きに1日かかりました。
さて来年は呼んでもらえるでしょうか。
幽界の人たちに振り回されないように、心身の力を高めなければいけません。

今月また、相馬霊場八八か所めぐりの後半40キロを歩く予定です。
もちろんサンダルで。
もし力がついたら、**遊民たちを幽界から救ってやろうと思います。

| | コメント (0)

■節子への挽歌4413:幽界からの誘い

節子

那須での2日間は、いささか不思議な2日間でした。
翌日になっても気になることも多く、要するにあの2日間は幽界をさまよっていたのではないかという確信を得ました。

そういえば、その時は気が付きませんでしたが、帰りの電車の中で武田さんからのメールや留守電が入っているのに気が付きました。
「連絡がないけれど死んではいないでしょうね」という連絡です。
たかが1日、2日で大げさな内容です。
もしかしたら1日、2日ではなくて、現世ではかなり長い時間がたっていたのかもしれないというような気にもなりましたが、そうした浦島太郎現象は起きませんでした。

しかし節子も知っているように、武田さんは臨死体験もあり、いまも死のすぐ近くにいますから、何かを感じたのかもしれません。
もちろん武田さん本人は自覚はしていないでしょうが。
その反動で長い電話が、それも2回もありました。
現世の話は退屈でしたが。

幽界との接触という意味では、節子がいなくなってから何回もありました。
というよりも、節子を見送った後の数年は、幽界と顕界を往来していたような気さえあります。
いまでも記憶に残っているのは、媼と男女の童の3人に、東京と大阪で会ったことです。
ほとんど同じ服装で、踊りを踊っているような雰囲気でした。
東京で見かけたのは湯島の実盛坂の上でした。
大阪はどこか全く思い出せません。

あの頃、その気になれば、幽界に入って戻ってこられなくなっていたかもしれません。
いずれにしろ、節子がいなくなってから数年の間の記憶がとてもあいまいで時間軸さえおかしいのです。
それを思い出すと、もしかしたら今いるのは顕界ではなく、幽界かもしれません。
冷静に考えるといまの生活はあまり論理的ではないことも少なくありません。
夢の中ほどではありませんが、どこかにおかしさを感ずることがあるのです。
いまもなお時に不思議なことが起こるからです。

那須の幽界体験からなかなか離脱できません。
困ったものです。

 

| | コメント (0)

■湯島サロン「生活を豊かにする片づけ術:探し物がないことが一番!」報告

家事セラピストで整理収納アドバイザーの石田ユキさんのサロンは、参加者それぞれと対話したいという石田さんの意向で、10人限定のサロンにさせてもらいました。
案内にも書きましたが、石田さんは、「片づけ」の大切さを「生き方」につなげて考えています。これまで出合った事例も紹介しながら、そんな話をとても分かりやすくお話をしてくださいました。

Kataduke-salon

最初に、片づけに関するチェックリストによる簡単な自己診断がありました。
そこで「片づけ」と「捨てる」とは違うことがやんわりと伝えられ、大切なのは「分ける」ことだと気づかせてくれました。
分けるためには、そのものの持っている「役割」を考えることが大切ですし、さらにそれは「生き方」にもつながってきます。

サロンは、石田さんが参加者に問いかけながら進められました。
たとえば、いろいろなキッチン道具が一目瞭然とわかり、すぐ取りやすい形で壁面にかけられているキッチンと、道具はほとんどが収納されているキッチンの写真をしめして、どちらが好きかと問われました。
そこで、片づけと使いやすさとの関係も示唆してくれました。

人は生きているうえで、たくさんの物を持つようになります。
大切なのは、持ち物のクセを自分の人生とつなげながら考えていくこと。
物は、物としてあるわけではなく、自分の生活とのつながりの中であるわけですから、片づけはその人の生き方につながっているわけです。
ですから、片づけは人生の棚卸し、暮らしの在庫確認だと石田さんは言います。
それをしっかりしていけば、楽しく安全に暮らせるようになり、そうした家がまた、楽しくて安全な暮らしを生み出していく、というわけです。
そうした循環を生み出していくためにも、片づけは大事です。

物が生活とつながっているのであれば、人生の節目ごとに持ち物を見直し、物との関係を変えていくことも必要です。
つまり、物との関係のルールや物を片づけるルールも大切です。
ルールは人によって違うでしょうが、基本的なルールは知っておくほうがいいと石田さんは言います

片づけのルールや方法はいろいろとあるでしょう。
物に住所をるける方式も話題になりましたし、色分けや収納方法も話題になりました。
しかし一番大切なのは、「分けること」、そしてそのための「ルール」。
今回、石田さんが強調したのは、「いつも使うもの」と「たまに使うもの」「念のための置いておくもの」「使わないもの」を分けることだということでした。

もう使わないけれど捨てるに捨てられないものをどうするかについてもいろいろとアドバイスがありました。
たとえば、和服のように自分が納得できない安さでしか売れないものは、売らずに寄付をするとかその新しい活かし方を考えることも有効かもしれません。
「売り買い」と「分け合う」の意味を考えさせられる話です。
そんな話し合いもありました。

片付いた暮らしは、いろんなメリットも生み出します。
探し物が少なくなり時間が生まれてくる。
無駄なものを買うことがなくなり経済的にも節約でき、空間も生まれてくる。
さらに心のゆとりと安心感を生み出す精神的効果もある、と石田さんは言います。

片づけというと、捨てることとつなげがちですが、私自身は片づけとは活かすことと考えていますし、散らかっているように見える片づけ方もあると思っています。
要は快適に生きられる物との関係づくりが「片づけ」ではないかと、改めて思いました。
つまり、「片づけ」は、物の価値を引き出すことで、捨てることでは枚葉に思いました。

石田さんがこれまでの体験から得てきたさまざまなノウハウの片りんもちょっと垣間見えましたが、石田さんは整理収納アドバイザーとして講演やワークショップ、実際に住まいを訪問して片づけ作業をやるお仕事もされていますので、もっと学びたい方や片づけに困っている方は、石田さんにお相談ください。
私に連絡をくださればいつでもご紹介します。

いろんなことを気づかせてくれる実践的なサロンでした。

 

| | コメント (0)

2019/10/01

■CWSコモンズ村の新しいメーリングリストを始めます

湯島のサロンの参加者を対象としたメーリングリストの引っ越しを完了しました。

このメーリングリストは、20155月以降に、湯島の公開サロンに参加した人を対象にしていますので、参加者は私だけではなく、少なくともサロンでお会いした数名の人が知り合いの人に限られています。
現在、登録者は400人強です。
今日から使用開始です。

メーリングリストなどのネットでも交流は、気楽で便利で負担なく、「ゆるやかなつながり」維持できますが、その一方で脆さや危険性もあります。
私もいろいろなメーリングリストに参加していますが、時に「炎上」事件も起きます。
その脆さを補完するために、リアルなみんなの空間との連携を重視し、このメーリングリストとサロンと一体化させていきたいと考えています。

なお、10月から湯島のサロンの名称を「CWSサロン」に改称し、そこから生まれるコミュニティを「CWSコモンズ村」と呼ぶことにしました。
メーリングリストの名前も「CWSコモンズ村」となっています。
また改めて説明させてもらいたいと思いますが、「CWSコモンズ村」は湯島のサロンとこのメーリングリストが目指している、心をひらけあえるコミュニティです。

CWSは、コモンウェルス・ソサエティの略ですが、同時に私が主宰するコンセプトワークショップの略でもあります。
コモンウェルスには「共和国」の意味もありますが、私は「みんなで育てていくコミュニティ」と捉えています。
ちなみに、「CWSコモンズ村」には失敗の歴史もありますが、一時期はコモンズ通貨も発行していた時期があります。

今度こそ、単なるメーリングリストだけではなく、リアルな場も持ったネットコミュニティを育てていければと思っています。
しかも、それを開かれた存在にしていきたいと思います。
文字ではなかなか伝えにくいので、一度、これをテーマにしたサロンを開く予定です。

湯島を維持する資金繰りのめどはまだ立っていませんが、ネットでのつながりの脆さを補完するリアルな場はこれまで以上に大切にしていきます。
できればみんなが使えるようなコモンズ空間を目指したいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

なおCWSコモンズ村にご関心を持ってもらえたら、私宛に個別にご連絡ください。

 

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4412:狸に化かされた気がします

節子

那須の2日目はちょっと不思議なことから始まりました。
詳しくは時評編の無駄話に書きましたが、朝、別荘近くに荒れ果てたホーンテッドマンションがあるというので、一人に見に行きました。
敷地内に入ってはいけないと言われていましたが、自然と入り込んでしまい、上を見上げたら2階の片隅の部屋に明かりがついていました。

もう少しよく見ようと見える場所を探していたら、下の道を誰かがやってくる足音が聞こえました。
不法侵入なので隠れるわけにもいかず、家を離れて道の方に行ったのですが、それは高等遊民仲間でした。
それにまつわる経緯は時評編に書きましたのでここでは繰り返しませんが、あれは幽界からの誘いだったのではないかと思います。

さらにその後も同じようなことが起こったのです。
ゆったりと贅沢な朝食を済ませたあと、上田さんの誘いで那須岳に行くことになりました。
ところが遊民の一人が、どうしてもロープウェイには乗らないと言い出しました。
それで下から茶臼を眺めて、それからまた温泉に行くことにしました。

上田さんがきちんといつも調べておいてくれるのですが、そこではなくもっとワイルドなところに行こうということになりました。
私は観光旅館的な温泉はあまり好きではありませんので、即座に賛成。

これもなんとなく上田さんの計らいのような気もしますが、その温泉の近くに、道からはそれとは分からない温泉があるというのです。
古い旅館ですが、開いているかどうかわからないほど傷んだ旅館です。
しかも、玄関先には、パンクして汚れた自動車と屋根が半分へこんでしまっている自動車が止まっていました。
旅館の前に川があり、そこに橋がかかっていますが、その橋もどうみても壊れっぱなしで、最近誰かが歩いた形跡はありません。
歩くのも心配のような橋です。

入るのを躊躇していたら、突然、人が出てきて誘導してくれました。
料金がいささか高かったので、上田さんは一瞬躊躇しましたが、お化け屋敷のような感じがみんな気に入ってしまいました。

そして入浴。
建物の中に温泉がありましたが、外にも露天風呂がいくつかありました。
建物の中野温泉は暑かったですが、どう見ても廃墟の中の温泉でした。
外の温泉はぬるくて、雨水のようでした。

ぬるいだけではありません。
屋根は半分壊れていますし、葉っぱなどで汚れています。
どう考えても廃墟になった温泉を狸が化かして人間を呼び入れたという感じです。
その環境でも一番良かった温泉の写真をアップしておきますが、私でさえも入浴できなかった温泉もありました。
どう考えても狸に騙された気がします。

Huro2

帰りは私だけ電車で帰りました。
それも普通の電車なので、行きと同じく4時間かかりました。

上田さんは不思議な人です。
同行した遊民たちはさらに不思議な人です。
しかし、久しぶりに人間を感じながら2日間過ごせました。

上田さんには感謝です。

 

| | コメント (0)

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »